- 2020年10月16日 09:32 (配信日時 10月16日 06:00)
菅首相、25年前に味をしめた「人事介入」横浜市の職員が告発
1/2
9月21日、菅首相は横浜市西区にある小此木彦三郎氏の墓前に、首相就任を報告していた
「状況を把握した首相は、とっさに『まずいな』と、こぼしたそうです。10月3日からの週末に対応を協議して、『公務員の任免権は首相にある』で押し通す方針が決まりました」(政治部記者)
10月1日に明らかになった、菅義偉首相(71)の「日本学術会議」任命拒否問題。従来は学術会議側からの推薦者を、そのまま会員に任命するのが慣例だったが、今回、首相は推薦された105名の学者から、6名を除外した。
「首相は官房長官時代から、形式上の任免権しかないことに疑問を感じていました。2017年の前回選考時は、学術会議側から定員より多い『予定者リスト』を受け取っていましたが、今回の『予定者リスト』は、定員ぴったりの人数。
それに不快感を覚えて、首相の “最側近” である杉田和博官房副長官(79)が主導し、和泉洋人首相補佐官(67)と除外を実行したようです」(同前)
だが、冒頭の首相の発言どおり、学会からは広く「学問の自由の侵害」と大反発が起きた。引くに引けない菅政権は、10月9日の会見で、河野太郎行革相(57)が「不透明な学術会議のあり方も行政改革の対象」との方針を示すなど、完全対立の様相となった。
「あとづけで行政改革の話にすり替えられましたが、今回の任命拒否は、総裁選で『反対する官僚は異動してもらう』と、首相が発言した延長線上にあるように見えます。官僚を押さえつけ、マスコミを手なずけ、今度は学者を従わせたいということでしょう」(政治ジャーナリスト・角谷浩一氏)
今回の騒動を、「いかにも菅さんらしい」と見ていたのは、横浜市の幹部職員のA氏だ。菅首相が衆議院議員に初当選したのは、1996年のこと。それ以前は、横浜市議会議員だった。
「25年ほど前、菅さんは横浜市で “影の市長” と呼ばれていました。市職員人事への介入で、市政に絶大な影響力を持っていたからです」(A氏)
菅首相が、“神奈川のドン” と呼ばれた故・小此木彦三郎元通産相の秘書として「政治の道」を歩み始めたのは、有名な話だ。
秘書として10年以上仕えたあと、1987年に横浜市議会議員に初当選すると、当時の菅市議は、小此木事務所の “番頭” の位置に収まる。国政に出て、あまり地元にいない小此木氏に代わり、“ドンの名代” として、菅市議は市政にかかわっていたという。
「ある市職員が、小此木事務所からの陳情に、いい対応をしなかったことがありました。すると、その職員が課長に昇進する際、菅さんが市長に昇進理由をただしたんです。突然のことに、市長も『ドンに失礼があったのか……』と、その職員の昇進を一度見送りにしました。
人事は “玉突き” ですから、ひとりの発令が遅れると市の業務が滞ってしまう。円滑に人事をおこないたい市は、それ以来『人事予定リスト』を、事前に菅さんへ提出するようになったんです」(同前)
- SmartFLASH
- 「今を撃つ」写真週刊誌!スクープ満載でお届けします!!