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広島土産「カープかつ」誕生秘話……奥田民生のコンサートを観て40分でアイデアが舞い降りた 文春野球コラム ペナントレース2020 - 坂上 俊次

 今こそ、「カープかつ」を噛みしめるときである。魚肉のすり身といかの粉末をミックスしたシートをベースに、衣にソースを混ぜ込んで作られたカツフライである。懐かしのおやつのようであり、ビールにも実にマッチする。発売から15年、広島土産の定番となっている。赤いパッケージには、カープファンの心意気が宿っている。

 ただ、2020年は、カープカツにとっても試練のシーズンとなった。新型コロナウィルス感染拡大で人の動きが少なくなり、土産物が売れなくなったからである。カープかつ生みの親である(株)スグル食品 品質管理部・洲澤徹部長は、こう話す。「お土産売り場が制限され、観光地のお店が閉まった時期もありました。やはり、少なからず影響はありました」。



カープかつ ©スグル食品

 それに、今シーズンのカープの苦しい戦いである。実際、2016年からのリーグ3連覇の時期は、前年比10%以上の販売増だったというのだから、カープの勝敗は売れ行きに密接に関わってくるはずである。

 しかし、カープの話になると、洲澤の顔からビジネスマンの色は消える。「カープのことを順位で話しよったら、今までファンはできんかったよ。こういうときこそ応援、これがファンじゃろ。私は、安仁屋(宗八)さんの現役時代からカープを見とるからね。あぁ、それにしても1975年の初優勝は素晴らしかったわ」。

 洲澤のカープ愛は、想像を超えるものがあった。取材の会話も、ほぼ、カープへの思いへと脱線する。しかも、昨日今日の戦いぶりだけではない、なぜか話は、初優勝であり、金山次郎の解説であり、安仁屋のジャイアンツキラーぶりなどの歴史へと逸れていく。

 そんな男のカープかつ誕生秘話を聞いていると、心が和み、日々の悩みは小さなことのように感じられてくる。

ナチュラル・ボーン・カープファン

 根っからのカープファンだった。31歳のとき、スグル食品(広島県呉市)に入社した。それまで公務員だった洲澤は、縁あって入った故郷の会社で営業職を担うことになった。いか姿フライやビッグカツと聞けば、子供の頃の記憶が蘇る読者も少なくないだろう。

 この営業だ。これらの商品は、いわゆるお菓子のルートで流通していた。洲澤は、全国の菓子問屋、食品卸・小売店をまわり、販路拡大に取り組んだ。北海道、東北、関東、関西、九州……プロ野球スカウトも真っ青な守備範囲である。月24日が出張だったこともある。

 心の支えはカープだった。「広島を離れて、カープの大きさを再確認しました。一人でいるとき、カープは心の支えでした」。

 まだ全国でテレビ中継や動画配信が見られる時代ではなかった。出張には、ラジオ持参である。「営業の車の中でもRCC(中国放送)ラジオですよ。関東でも、『聞こえてくれぇ!』と祈りながら周波数をRCCラジオに合わせました。雑音が混じっても、その向こうにカープ中継が聞こえてくると、嬉しいもんでした。長野県松本市でも聞こえましたよ」。

 故郷への思いは、ますます強くなっていった。そして、2004年、40歳台になった洲澤に聞こえてきた「球界再編」のニュース。「カープはどうなるのか?」。愛するチームを応援できることが、あたりまえではないことを知った。

 しかし、長野県でRCCラジオを聞こうとする男である。じっとしてはいられない。「何かカープを盛り上げる方法はないものか」。そんな思いを胸に、向ったのは奥田民生のコンサートだった。

「カープかつ」が舞い降りた

 2004年10月30日、旧・広島市民球場で奥田民生がコンサートを行った。熱狂的なカープファンであるアーティストが、市街地にある広島市民球場でコンサートを行う。異例のチャレンジは3万2千人の観客はもちろん、広島全体を大いに沸かせた。

 洲澤も、その一人だった。「凄いコンサートでした。球場はもちろん、外にも人がいて、広島に全国の人が集まってきたような感じでした。僕も、奥田さんが大好きで、いろんなことを感じさせてもらいました」。

 イベント終了後、バス停へと歩きながら、洲澤は思いを馳せた。「奥田さんは奥田さんのやり方で広島やカープを全国に発信しておられる。僕も、僕のやり方で何かできないだろうか?」。

 コンサートの感動は思索に切り替わり、洲澤は、自宅のある広島県呉市へのバスに乗り込んだ。広島市中心部から40分程度の乗車時間である。この間に、あの「カープかつ」のディテールまでもが洲澤の頭に降ってきた。

「僕の会社はカツを作っている。そうだ、カープかつを作って、土産物として売ろう。パッケージは赤。味は……概要は……」。

 かくして、カープかつは40分間で舞い降りたのである。ただ、ベテラン営業マンである。ここからの動きはロジカルであった。翌日から、あらゆる土産物を研究した。「どうしたら売れるか考えました。当時、お土産で人気があったのが、500円~1000円のテレホンカードでした。なので、600円をターゲットにしました。それに、コンパクトに持ち運ぶため、パッケージはタテ長です。色は、赤です、目立ちます。あと、中は個包装にして職場などで配りやすくします。これは、もみじ饅頭を参考にしました」。

 600円。ワンパッケージに詰め込める最大量が16枚。この16枚が、宣教師のように故郷を広げていくのである。

 カープ球団の理解も得ながら洲澤のプロジェクトは進んだが、彼も会社員である。社内は賛成意見ばかりではなかった。「僕は命を懸けて売ります」。この一言で、洲澤は、カープかつを発売へと押し切った。

カープの絆が追い風を吹かせた

 2005年2月、カープかつは発売となった。ただ、大きな障壁があった。これまで洲澤らが扱っていた商品のルートは「菓子やおつまみ」である。一方、今回は「土産物」なのだ。流通のルートが違う。

 小売店や百貨店、駅の売り場に直接足を運んだ。営業マンでありながら、自分の手で商品の納入も行った。しかし、今のようなカープ人気の追い風も吹かない。商品の認知度も高くない。発売当初は苦戦が続いた。

 洲澤は、飛び込みで中国放送(RCC)の玄関に向かった。受付相手に「カープかつ」を力説すると、ひとりのディレクターがやってきた。アポなしの洲澤の話を聞くと、即決。ディレクターは取材と放送を約束した。おおらかさの残る時代である。ディレクターは、県内のある球場を借り切り、洲澤が赤いパッケージを手に思いを語るロケを行った。

 これが大反響を呼び、販路も認知度も一気に拡大した。聞けば、そのディレクターも熱狂的なカープファン。上司の決裁も経ずにロケを敢行したのである。

「これからも、ファン同士のつながりの中で、カープかつを活用して欲しいです。商品を通じて、カープファンをもっと広げたいです。広島をもっとPRしたいです」。

 カープファンが、カープへの思いとカープの絆で育んだ「カープかつ」。「今も、ディレクターさんのいる西の方向へは足を向けて寝ないようにしています」。義理堅い洲澤に、伝え忘れたことがあった。前回の定期人事で、そのディレクターは「東」へと異動、栄転を果たしている。

 しかし、西も東も関係ない、そんな各地のカープファンをつなぐのが「カープかつ」である。1パッケージ16枚の宣教師が、動きを取り戻しつつあるこの国で、カープの魂を広めていくのである。

◆ ◆ ◆

※「文春野球コラム ペナントレース2020」実施中。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイト https://bunshun.jp/articles/40579 でHITボタンを押してください。

(坂上 俊次)

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