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【特集 本格化する電子出版】この革新期を楽しもうとしているクリエイターに好奇心をかきたてられる-豊﨑由美

「電子書籍元年」。幾度もこの言葉を耳にした。そして、肩透かしにあってきた。電子書籍市場が期待されるほどに盛り上がらなかったからだ。
 二〇一二年は、七月に楽天が「Kobo Touch」という電子書籍端末の発売を開始した。七九八〇円と、ソニーの「Reader」など従来の端末よりも割安の値段で発売され、その後の楽天の対応も含めて大きな話題となった。また、アマゾンは年内に「Kindle」を日本でも販売することを表明している。アップルの「iPad」も加えて、この三つの端末の競争はたびたび報道されている。
 はたして、今度こそ日本でも電子出版が本格化するのだろうか。今月の特集では、あえて「本格化する電子出版」と題して、識者や現場の方々に電子出版の現状を聞いた。そして、未来について語ってもらった。


電子出版にもの申す!?

 1961年生まれの、本を読むことを職業にしているわたしに求められている役割といえば、アンチ電子出版なんでありましょう。装幀家が丹精して作ったカヴァーの魅力。本によって異なる、ページを繰る時の感触。かつて『本の雑誌』で熱く盛り上がった「書店に入ると、なぜ便意をもよおすのか」問題にもつながる書物独特の匂い。そうした五感にまつわる紙の出版物へのフェティッシュな愛着や、電子出版になったら判型のちがいといった紙だからこそできる遊びがなくなるのではないかという不満をもとに、電子出版断乎反対の旗を掲げる。そんな役どころを期待されての、今回の起用なのではないかと想像するわけですが、しかし、もっと合理的に考えているんですの、わたくしは。

 実用書、辞書、辞典に関しては、どんどん電子書籍化してほしい。いや、大部の百科事典に関しては電子書籍として買うことすらしたくなくて、一定の使用料を支払うことで版元のライブラリーにアクセスして利用するというシステムにしてほしいくらい。小説に関しては、紙と電子どちらで読むかを選択させてほしい。というか、電子化不可能なスタイルの作品も存在するので、小説の場合は電子書籍化一本には、今のところの端末技術では無理だと思うんです。たとえば、ポストモダン小説の極北といっていいマーク・Z・ダニエレブスキーの『紙葉の家』(ソニーマガジンズ)のように、トリッキーかつ細かい字組から成っている作品を、Kindle やkobo の画面で読むのは物理的に不可能。

 つまり、電子出版と紙の出版が併存してほしいという、凡庸で穏便な考えの持ち主なんです。電子でやったら面白くなることは電子で、紙のほうがうまく表現できるものは紙で│コンテンツの特性に応じて出していけばいい。わたくしのようなロートルライターがわざわざ明言するまでもなく、それでいいに決まってるわけです。  

 ただ、要望はあります。ゲームの二の舞は避けてほしいということ。思えば、ファミコン時代はよかった。ファミコンだけ持っていれば、やりたいゲームがだいたいできた。ところが、今や、最新のドラクエを遊びたかったらWii と通信システムを買えというように、ゲーム端末機が群雄割拠。そればかりか、たとえばプレステで遊べるゲームのシリーズにしても、最新作は最新のプレステでないと遊べない、ふたつ前のバージョンの旧機では遊べない、つまり、最新作を遊ぶためにはプレステ自体買い換えなくちゃいけないという、ゲーム端末無間地獄のごとき様相を呈しているんです。  

 もし、読書端末がそんなことになったら、日本における電子出版の未来は暗い。「東野圭吾の最新作はkobo でしか読めません」じゃ、お話になりません。読書端末ごとに読める作品、読めない作品があっては、読者はついてきません。すべての電子出版物は、あらゆる読書端末、もしくはパソコン、スマホで読めるようにしてほしい。もし、ゲーム業界のような事態に陥るのなら、せめて端末機自体をうんと安くするべき。そうでなければ、誰が買うかよ、電子の本を。  

電子出版時代の醍醐味とは

 とはいえ、ここまでわたしが触れてきたのは、これまでの出版の形態をひきずったスタイルの電子出版なのであり、そういう枠組みから飛び出すインディペンデントな試みこそが、電子出版時代のワクワクの源になるのはまちがいありません。  

この新しい遊び方を手にした進取の気性に富むクリエイターたちが、大手出版社&印刷所&取次連中による、自分たちが生き残るために構築した、”新しい革袋に古い酒を入れる”式のつまんないシステムを置き去りに、斬新な表現を生み出していく。それこそが、電子出版時代の醍醐味と信じる次第です。

 でも、だからといって、「出版社なんてなくていい」と思っているわけではありません。ライターや小説家にとって、優秀な編集者と校閲者は大事な存在です。ただ、従来の出版社でなくなってもかまわないのではないか。電子出版が本格化すれば、編集者1人、校閲者1人、弁護士1人、最小3人で出版社というか、出版ユニットは成立します。将来的には、そんなユニットが数多く存在すればいいんじゃないかと、わたしは思うんです。  

 もちろん「電子は売れた分の印税しか入ってこない。紙は初版分の印税が確実に入ってくる。だから、紙の出版という”先行投資”がなくなったら純文学系作家は持続的な仕事ができなくなる」「大手出版社がやってくれたようなセールスプロモーションを、そんな小さなユニットでできるのか」という異見はございましょう。というか、数年前まで自分自身がそう考えていました。だから、そんな不安を抱えている書き手のためにも、電子と紙の併存時代はしばらく続いたほうがいいし、第一、ひとはそんなにも急激に電子書籍に気持ちを移さないとも思うんです。たとえば、五木寛之『親鸞』(講談社)の上巻だけをネットで無料配信したら、紙の出版物として出した下巻だけでなく、紙版の上巻もちゃんと売れたという事例があります。書棚に下巻だけあって平気というひとはあまりいないので、この結果は当たり前といえば当たり前なのだけれど、電子と紙は知恵さえ使えば共存可能だという 証左ともいえるのではないか。とりあえず、今はそんなふうに考えているのです。

未知の”なにか”に気持ちを飛ばす楽しさ

  4年前、わたしは2LDKの自宅以外に3LDKの家を借りざるを得なくなりました。壁という壁を占め、床という床に山なすようになった本に追い出されたんです。今は自宅を仕事場にし、新しく借りた家は生活拠点にしていますが、その新居の壁もすでに書棚で埋まっています。文字が読めるようになって以来、読書に親しみ、リアル書店で本を購入し、集めてきたわたしのような人間にとって、紙の本にまつわる思い出や感情は深いし、重い。紙をめくって本を読むという行為が身にしみついてもいますから、これからだって電子書籍が読書生活の中心にはならないと思います。第一、生まれた時から読書は端末機でというボーンデジタル世代が社会の 中心層になる頃、わたしはこの世界に存在しません。でも――。トライ&エラー、スクラップ&ビルドを重ねながら、グーテンベルク新世紀ともいうべきこの革新期を楽しもうとしているクリエイターを見ていると、好奇心をかきたてられるんです。機会があれば、自分でも電子出版に挑戦したいとも思っています。電子でないとできないようななにか。未知の”なにか”に気持ちを飛ばす楽しさを、残りの人生、ぞんぶんに堪能する所存です。

(ライター、書評家 とよざき・ゆみ)

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