- 2020年10月05日 18:44 (配信日時 10月02日 15:15)
五木寛之「コロナ禍の大転換を"他力の風"に変えた私の技法」
1/2コロナは世界史的な大転換を感じるハプニング
――今回のコロナ禍で、個人も社会も大きな変化に見舞われています。五木さんにとってもっとも大きな変化はどういうものでしょうか。
【五木】なんといっても、これまで50年以上続けてきた夜型生活が朝型生活に逆転したことでしょうね。それまでは、朝に寝て夕方に起きる暮らしを半世紀続けてきたんです。たぶん自分は一生このままのスタイルで生きていくだろうと思ってました。ところが3月末から4月にかけて突如変化が起きて、それからは1日も欠かさず7時半くらいに起き、夜はだいたい12時半か、1時には寝ています(笑)。
作家 五木寛之氏 - 撮影=尾藤能暢じつはこれまでも、もうちょっと健康な作家になろうと何度も努力をしたことがあるんですよ。でも、ことごとく挫折しました。それが突然、努力もしないのに変わるのは、僕は「他力」と言っていますが、やっぱり自分というものを超えた、転換期の大きな力に個人の心身が感応したのかもしれません。
コロナによる生活革命で、つくづく自分の力でなんでもできるわけじゃないことを実感しました。昔から言ってきたことではあるけれど、人生は自分の思う通りにはいかないものです。これは個人だけじゃなくて、社会や国家、世界の多くの人が理想を追い求め、こちらのほうに世の中を持っていこうと思っていても、その通りにはいかない。
むしろ、思いがけない大きな力が転機になって、世界は変わっていくんだな、と痛感しました。大げさに聞こえるかもしれませんが、私にとってこの生活の大逆転は、世界史的な大転換を感じさせるようなハプニングだったのです。
これから「札束」という言葉は死語になっていく
――コロナ禍で再注目された五木さんの『大河の一滴』には、「ちっぽけな自分の体のなかをゆっくりとへめぐっている見えない風のようなもの、見えない大きな流れ、そういうものが感じられるときがあります」という一節があります。まさにそれをお感じになられたんですね。
【五木】身近なところで感じる変化は、大きな変化の前触れのようなものでしょう。通貨にしても、どんどんキャッシュレスになって、そのうち紙のお金はほとんど必要なくなってくるらしい。昔は聖徳太子が描かれている1万円札にはオーラがあったんですよ(笑)。札束が目の前にドンと置かれると、それで自分の行動が左右されるという実感があったわけですけど、これから札束なんて言葉はもう死語になっていくでしょうね。
1万円札も、いまはただの紙という感じしかしない。それどころか、コンビニでお札を唾つけてめくっていたりすると、周りの人から白眼視される始末です。これから先は、目に見えない仮想のもので物事が動く。ウイルスが物を介して感染するわけですから、ますます目に見える物の実感は希薄になっていくでしょうね。
いまは文字は書くものじゃなく「打つ」ものになっている
【五木】たまたま昨日、原稿を書いていて、400字の原稿用紙が切れてしまった。最近、これほど困ったことはありませんでした。原稿用紙に文章を「書く」ことも、ほとんど実感がなくなってきたわけです。いまは文字は書くものじゃなく「打つ」ものになっている。
ある芥川賞作家に、「原稿用紙がなくて大変だったんだよ」と言ったら、「携帯で打てばいいじゃないですか」って(笑)。その人は、子どもを抱えてあやしながら、携帯で原稿を打ってますと言ってました。プロの作家でも携帯で原稿を書くことにもはや抵抗がないんですね。
――そういう等身大の変化が歴史的な大転換と地続きなわけですね。

【五木】たとえばグーテンベルグが発明した活字印刷によって、聖書が普及し、それを読んだ人たちが免罪符などに対して疑問を持って、ローマのカトリック教会に対する不信が起こりましたよね。それで宗教改革、宗教戦争が勃発したことが、近代の出発点になりました。同じようなことが今、起こっているんじゃないですか。つまりグーテンベルグの活字印刷の時代がそろそろ終わるんですよ。
もちろん、紙の印刷物だっていくらかは残るでしょう。でも、残る・残らないという問題じゃないんです。残ると言えば、どんなものでも少しは残ります。映画が普及していったとき、演劇の時代は過ぎたと言われたけど、いまも劇場は残っています。みんながテレビを見るようになって、映画は終わったと言われたけれど、映画もちゃんと残っている。残っていくけれども、その時代のメインストリームではなくなるんです。
「自粛警察」と同じことが戦争中の「隣組」にあった
――感染が拡大するにつれて、感染者の家庭に差別的な言動を投げつけたり、休業しない店にいやがらせをしたりする「自粛警察」のような動向がメディアでよく取り上げられました。
【五木】もともと島国は同調圧力がものすごく強いところなんです。国外逃亡できないからね。これはすごく大きいですね。亡命できない国に住んでいると、同調せざるを得ないんだ。
自粛警察のようなものは今に始まったことではありません。たとえば戦争中に、隣組(となりぐみ)というのがあった。町内で何十軒か、一つの隣組に帰属するんです。当時は、灯火管制といって、敵に見つからないように光を外に漏らさないようにしていました。隣組の組長や幹部は、夜見回りをして、ちょっとでも窓から光が漏れていると、その家に文句を言いに行くわけです。
作家 五木寛之氏 - 撮影=尾藤能暢- PRESIDENT Online
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