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「日本の中心」は東京ではなく、農村地なのだと気がつきました - 「賢人論。」122回(中編)岩佐十良氏

2004年、株式会社『自遊人』は東京・日本橋から新潟県南魚沼市へ本拠を移転。当時でみれば、全国誌の編集部の地方移転は前代未聞の出来事である。編集長・岩佐氏は「食の情報を発信する者として米づくりの研究がしたかった」とその理由を語ったが、今で言えば、時代を先取りした“新しい働き方”の実践でもあったと言えるだろう。移住を通して獲得した豊かな暮らしと働き方について、そして都市部を支える農村地の姿について話を伺った。

取材・文/木村光一

移住を決意したのは「正しい情報を届ける」という編集者の使命から

みんなの介護 16年前、岩佐さんは事業の拠点を東京・日本橋から新潟県南魚沼へ移されました。当時は今のようにリモートワークやワーケーションが一般的ではなかったと思いますが、そんな状況下でなぜ雑誌『自遊人』の編集部を地方へ移転させたのか、その理由を聞かせてください。

岩佐 はい。理由は2つありました。1つは、『自遊人』で食を中心にしたライフスタイルの特集を組んでいましたので、より深く農業を学ぶ必要があったということ。2002年からは「自遊人の暮らし」という会社を起ち上げて“日本の本物の食”(全国から選りすぐりの「米」「味噌」「漬物」)の販売も始めていたので、それ相応の知識は持っていたつもりでした。しかしよくよく考えみると、事業の中で得た米づくりの知識については矛盾が多く、本当のところ今一つ腑に落ちていなかったんです。

みんなの介護 米づくりの矛盾とは具体的にどういったものでしょうか。

岩佐 取材で評判の高い米の生産農家に「あなたのお米がおいしいのはなぜですか?」と聞くと、それぞれ独自の答えを提示してくれます。ですが彼らの持論を総合してみると、必ずしも答が一致しない。つまり、「おいしい米づくりの理論」に矛盾があって、科学的根拠に基づいた説明になっていなかったんです。にもかかわらず、僕たちはそれぞれが理由にあげた「土壌が良いから」「水が良いから」「昼夜の寒暖差があるから」「有機質肥料を使っているから」といった話を、そのまま活字にして読者に伝え続けてきた。これは、本来疑問を放置しておいてはいけない編集者としてあるまじき行為だったと考えています。

日本一の米どころである南魚沼へ会社を移転したのは、いくら調べても「どうすれば本当においしいお米ができるのか」という疑問に対する解答が得られず、「それなら自分たちでやってみるしかない」と思い立ったからです。正直、その一念に衝き動かされただけで、当時は後先のことに関してほとんど何も考えていませんでした。

移住によって暮らしと働き方ががらりと変わった

岩佐 理由の2つ目は「自分たちのライフスタイルを見直すため」。東京では販売部数を伸ばすことに追われて、昼も夜もなく働き詰めの毎日を送ってきた結果、僕たちの体はボロボロになっていました。食生活も滅茶苦茶。「日本人は伝統的な食を取り戻すべきだ」と誌面で声高に訴えている当の本人たちが、忙しさにかまけてファストフードやコンビニ弁当ばかり食べているというのも大問題で、それらを解決する切り札としても田舎への移住は必然だと考えたんです。

最近はいろんな方から「ずいぶん早くに移住を決意されたことは先見の明でしたね」とお褒めをいただいていますが、当時は「頭がおかしくなったんじゃないか」「東京にいなければ感性が鈍くなる」など、散々な言われ方をしたものでした。

みんなの介護 今と比べて、当時はリモートワークのための環境も整っていなかったのではと思いますが、どのように対応されていたのでしょうか。 

岩佐 その頃、メールでの原稿のやりとりこそ可能になっていましたが、写真に関してはまだデジタル技術が発展途上だったため、多くの現場ではポジフィルムが使われていました。それの受け渡しをどうするのかも問題で、とにかく印刷物を仕上げるまでには、いちいち人の手を介するアナログなやりとりが避けられない時代だったんです。

結果から言えば、会社の移転は大正解。南魚沼に来てみたら、とにかく“時間”ができた。つまり、無駄がなくなって仕事が早く終わるようになったんです。

東京にいたときは、カメラマンがポジフィルムの納品にきたときやライターとの打ち合わせの際、必ずと言っていいほど仕事とは関係のない話をしていました。さらにはコピー機の営業や、デザイナー、タレント事務所の売り込みなどに社員が応対していましたから、昼の間はなかなか仕事に集中できず、とどのつまり、夜中から明け方まで原稿を書かなければならない羽目に陥っていたわけです。

ところが、新潟までは誰も来ません。ですから、めちゃめちゃ仕事が捗るようになって、驚くほど時間に余裕が生まれました。当初、心配されたポジフィルムの受け渡しや印刷工程の諸問題も、全体の作業スケジュールを前倒しにして宅配便を使うことであっさり解決。なんと、一番難しいだろうと考えていた「田んぼでの作業時間」まで捻出が可能になったんです。

朝・夕は農作業、午後・夜は編集作業というサイクルで3年間を過ごす

みんなの介護 岩佐さんは米づくりの詳細な記録を『実録!米作農業入門』(講談社)にまとめられていますね。

岩佐 その本は2010年に農業生産法人『自遊人ファーム』を設立した頃の取り組みの様子と、そこに至るまでの5年間で得た知識やデータをひとまとめにしたものです。2006年から2008年にかけての3年間は、ほぼ田んぼ中心の毎日を送っていたといっても過言ではありませんでした。春から秋にかけては涼しい午前と夕方に田んぼへ出かけて農作業をし、気温の高い午後と夕飯を終えて温泉で一風呂浴びたあとに雑誌の編集を行うというのが1日の仕事サイクル。それでも、当時隔月刊だった『自遊人』がきちんと出せてしまったんですよ(笑)。

一時はあまりに米づくりにのめり込みすぎて、「田んぼの面積をもっと広げようか」と考えたほどだったのですが、そもそも僕らが南魚沼にきたのは「どうやったら本当においしいお米ができるのか」という疑問の答えを見つけるため。その過程で農業を“肌で感じ”、農業の実態を知ることが目的であって、決して農家になりたかったわけでも田舎暮らしがしたかったわけでもなかったのだと、すんでのところで思いとどまったんです。

人間にとって根源的に必要なのは「食物」

みんなの介護 もし岩佐さんが耕作地を拡張していたら、日本の農業に新しい価値観が生まれて、後継者不足や耕作放棄地解消につながった可能性もあったのではないでしょうか。

岩佐 それはないです。僕らがいくら本気になったところで、若い頃から米づくりをしている経験豊富な専業農家には到底敵いません。第一、よく言われる「跡継ぎ問題」や「耕作放棄地問題」も、全国屈指のブランド米の産地である南魚沼にはまったく存在しない。むしろ、僕らも移住した当初は空いている田んぼがなかなか見つからなくて焦ったくらいだったんですから。

みんなの介護 それは意外ですね。それにしても、岩佐さんのお話を伺っているうち、なんだか農村に対するイメージがポジティブになりました。

岩佐 僕の出身は東京・池袋。父、母も東京生まれなので“田舎のない子どもとして育ち、30代半ばまで「日本の中心」は東京だと信じて疑いませんでした。しかし、南魚沼にきて間もなく、その捉え方が根本的に誤りであったことに気づいたんです。

人間はものを食べなければ生きていけません。そして僕たちの主食である米を生産してくれている中心地はどこかといえば、農村地帯にほかなりません。

経済や文化はもちろん大事です。ですが、人が生きるうえで最も根源的な「食」という見地に立てば、明らかに東京をはじめとする都市部は農村部によって支えられている。僕は食のふるさとに身を置いて、ようやくそんな自明のことが理解できた。世の中の見え方がまるで変わったんですよ。

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