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社会や他者に貢献できる「新しい価値の創造」を成し遂げたい - 「賢人論。」122回(前編)岩佐十良氏

食とライフスタイルの提案マガジン『自遊人』の発行、オーガニック食材の製造販売、地域再生活動、国内外でグッドデザイン賞を受賞した宿泊施設の経営。それらすべてを手がける岩佐十良(いわさ・とおる)氏の、枠にとらわれない自由な仕事ぶりは、テレビのドキュメンタリー番組でも度々取り上げられて注目を浴びてきた。今回のテーマは「クリエイティブな生き方とは」。コロナ禍を契機として、あらゆる職種でワークスタイルの変革が起きている今、自分のすべきことがわからないという方に向けて、他分野でご活躍されている岩佐氏に話を伺った。

取材・文/木村光一

「理想」の実現には「現実」の裏付けが必要

みんなの介護 岩佐さんのキャリアを拝見したところ、一見、つながりがないと思われる事業が並んでいて驚きました。いきなりで失礼な質問ですが、ご自身を何者だと規定されているのでしょうか。

岩佐 う〜ん、肩書としては「クリエイティブ・ディレクター」「編集者」「プロデューサー」を使い分けていますが、“何屋さんなのか”と訊ねられるとうまく説明できないんです。むりやり横文字にすれば“ソーシャル・マルチ・クリエイター”みたいな感じになりますが、それもちょっと怪しいじゃないですか(笑)。

総じて自分は何者かといえば、「社会に何らかの価値を提案し、それを具現化しようとしている人」と定義できるのかなと思います。

みんなの介護 クリエイティブな仕事をするうえで、常に心がけていることはありますか。

岩佐 数字に対してはかなりシビアですね。クリエイティブワークは“感覚優先”と思われがちですが、どんなにすばらしいアイデアや高い理想を掲げても、それを実現するための数字の裏付けがなければ絵空事。仮に実現できたとしても採算が取れなければ意味がありません。かといって、採算性ばかり気にしていても新しいことは何もできない。したがって、僕の思考は常に理想と現実の狭間を激しく往復しています。

もう1つ、キーワードにしているのは「メディア」です。僕が手がけている雑誌や食品、宿泊施設も、要するに“さまざまな提案を世に広めるための媒体”であって、最終的に成し遂げたいのは「新しい価値の創造」。ただし、あくまでその価値には“社会や他者への貢献”という条件がついていて、必ずしも僕個人の趣味嗜好とは一致していません。そのあたりの線引きも、仕事をするうえで忘れてはならないポイントの1つだと自分に言い聞かせています。

“先行逃げ切り”を狙って美術大学在学中に起業

みんなの介護 独創的でありながら客観的な分析をされていて、右脳と左脳のバランスが絶妙なのですね。いつ頃からそういう思考をされるようになったのですか。

岩佐 僕は小学校の作文に「将来、内閣総理大臣になる」と書いたことがあるんです(笑)。

みんなの介護 それはすごい!(笑)小学生では珍しいですよね。

岩佐 そうですね(笑)。小さな頃に考えていたのは、「政治」が社会を変えてゆく最もクリエイティブな仕事だということ。常に理想と現実のバランスを取り続けなければいけないところなど、政治家には今でも親近感を覚えます。

ちなみに僕は中学校まで理数系科目が得意で、学校の先生からするといちいち理屈っぽくて面倒くさい子どもだったみたいです。

みんなの介護 昔から社会を変える仕事に関心があったとのことでしたが、現在のようなクリエイティブワークに興味を持たれたのはいつ頃からでしたか。

岩佐 高校時代に遊びすぎて、気づいたときには志望大学への進学が難しくなっていたんです。そこでいろいろ思案した挙句、絵を描くのも好きだったこともあり、予備校に1年間通って武蔵野美術大学(工芸工業デザイン学科インテリアデザイン専攻)へ進みました。

しかし、美術大学には学年に何人か「こいつの脳内はどうなってるんだ」という飛び抜けた才能の持ち主が必ずいて、そんな彼らとこの先どうやってデザインやアートの世界で競っていけばいいのかと絶望的な気分になりましたね。それで在学中にデザイン会社を自分で立ち上げ、一か八かの先攻逃げ切りを狙ったんです。でも少し考えてみれば、すでに才能ある先輩たちが世に出ていたわけで、1年半早く社会に出たところで大したアドバンテージになるはずもなかったんです…。若気の至りとはいえ、浅はかでした(笑)。

それでも、当時はバブルが終わった頃で、売れ残りのマンションの空間演出をしたり、スーパーのロゴデザインをして看板をつくり替えたり、チラシをデザインしたり、「デザイン」と名のつくものなら手当たり次第なんでもやりました。

デザイナーから編集者へ転身。その後約10年間有名雑誌の刊行に携わる

みんなの介護 デザイナーから編集者へ転身されたのには、どういったきっかけがあったのでしょうか。

岩佐 実際にデザインの仕事をやってみて、やっぱりこの道では自分に勝ち目はないなと思い始めた頃、リクルートに勤めていたある方から声をかけてもらえたんです。

それで当時、銀座のリクルート本社の中にあった亀倉雄策さん(日本グラフィックデザイナー協会初代会長。1964年の東京オリンピック公式ポスターとエンブレムを制作)の事務所にいきなり連れて行かれ、デザインを一生の仕事にすることのすばらしさや厳しさをこれでもかと聞かされた挙句、「君はデザイナーには向いていない。でも、ものの捉え方や考え方が間違いなく編集者に向いてる。試しに学生向けの情報誌を1冊任せるからやってみないか」と言われて、一も二もなく「はい」と答えてしまった。それが編集者転身のきっかけでした。

みんなの介護 大きな転機になったわけですね。以降、岩佐さんの起ち上げたデザイン会社は編集プロダクションとなり、『フロムA』『じゃらん』『ガテン』『エイビーロード』(リクルート社)といった情報誌や『東京ウォーカー』(角川書店)の特集記事なども担当されたと伺っています。その後ご自身の雑誌を出版されていらっしゃいますが、出版についてはいつ頃から考えるようになったのですか。

岩佐 編集プロダクションとして仕事をしていたのは約10年ですが、「自分で雑誌をやりたい」という願望は最初からありました。とくに、手伝わせていただいた雑誌が売れれば売れるほど、その思いは強くなる一方でした。

というのも、雑誌媒体は編集長の方針や意見が絶対で、編集者として“自分の作品”をつくりたかったら編集長になるしかない。しかし、僕の立場は版元の社員だったわけではありませんから、自分の思い通りの雑誌をつくりたければ出版社を起ちあげるところから行なわなければなりません。編集プロダクションとしての最後の数年間は通常業務と並行して、その準備に相当追われていました。

『自遊人』は社会への提案を行う雑誌

みんなの介護 そしていよいよ2000年、ライフスタイル雑誌『自遊人』を創刊。それまで手掛けられてきた情報誌とは方向性が異なっていますが、編集方針はどのようにして決定されたのでしょうか。

岩佐 創刊当時から一貫して、毎回の方向性や特集はすべて僕が決定しています。ただ、先ほども話したように、それが100パーセント自分の好きなことかというと、そうでもありません。本来、僕はオタク気質で、好きなことになると徹底的に追求したくなるタイプなのですが、それと雑誌メディアとして取り扱うべき情報の視点は異にしています。

『自遊人』という雑誌はイノベーター(革新者)を標榜しており、したがって編集方針も「豊かな暮らしとはこういうものではありませんか」「私たちはこういう方向へ進んでいくべきでは」という、社会への提案をベースに決定されなければいけない。

本音を言えば、世の中なんかとは無関係に山登りやスノーボードに熱中して、好き勝手に暮らしていければ最高だというタイプなんですが、この20年、ずいぶん自分を抑えて仕事をしてきたといえるかもしれません(笑)。

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