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【特集 本格化する電子出版】 「電書」をやってわかったこと。紙の本とは違う楽しさがここにある-米光一成

「電子書籍元年」。幾度もこの言葉を耳にした。そして、肩透かしにあってきた。電子書籍市場が期待されるほどに盛り上がらなかったからだ。
 二〇一二年は、七月に楽天が「Kobo Touch」という電子書籍端末の発売を開始した。七九八〇円と、ソニーの「Reader」など従来の端末よりも割安の値段で発売され、その後の楽天の対応も含めて大きな話題となった。また、アマゾンは年内に「Kindle」を日本でも販売することを表明している。アップルの「iPad」も加えて、この三つの端末の競争はたびたび報道されている。
 はたして、今度こそ日本でも電子出版が本格化するのだろうか。今月の特集では、あえて「本格化する電子出版」と題して、識者や現場の方々に電子出版の現状を聞いた。そして、未来について語ってもらった。

電子書籍ではなく「電書」

   2010年。「電書フリマ」を開催した。

 場所は、小さな渋谷のカフェ。

 ネット上の配信サイトで販売するのではなくて、人が集まって、その場で売り買い、交換した。「デジタルでバー チャルな電書をリアルでアナログな対面販売で」がキャッチコピー。

「これ、今日、祖母が送ってきたトマトなんです」
 お客さんが持ってきたトマトと電書を交換した。そんなことができたのも対面だからだ。

 集まったのは、10代からおじいちゃんおばあちゃんまで、年齢や性別やふんいきもばらばら。予想を超える人が集まって(帰らずにみんなワイワイと話しはじめるので人が減らない)、室内の温度が上がりすぎて、たいへんだった。

 本を刷るのは難しい。何部作って、何部搬入するのか(本は、とても重たい!)。あまるとかさばる。でもデジタルだから、その問題は解消する。品切れがない。64種類の本を準備したが、用意するものは販売のためのパソコンと、見本だけだ。

 どうやって対面で購入するのかイメージできないとよく聞かれる。

 仕組みは簡単。お客さんは、印刷サンプルや、電子書籍デバイスで見本誌を見る。ほしい本を選ぶ。選んだ本と自分のメールアドレスを、販売員に伝える。代金と引き替えに、電書がそのメールアドレスに送られてくる。

 編集ライター講座の講師をやっているので、その受講生たちと、「電書部」を結成して、実験的にやってみた。

 どういう電書にするかを考え、著者とやりとりした。ページ構成をどうするのか(読者が文字の大きさを変えると変わってしまう)、リンクをどうするか、奥付はどう表記するのか、字間行間をどうするか、さまざまなことをゼロから考えて決めていった。チェックは専門の人がいたほうがいいということで校正班ができた。出版の歴史を濃縮して体験しているような不思議な感覚だった。

 販売する場面では、ノートパソコン1台あれば(スマートフォンだってだいじょうぶだ)どこでもできるので、渋谷のカフェだけじゃなく、近くのスタバ、吉祥寺、京都など、知人と協力して同時多発的に開催した。渋谷のカフェだけでも、半日で700人以上の人が来てくれた。5000部以上が売れた。

 電子書籍じゃなく、「電書」と呼んだ。

「電子書籍」だと、ついつい紙の本をベースに想像してしまう。「紙の本がなくなっちゃうんですか」「紙の本のほうが暖かみがあっていい」というような話になってしまいがち。そうなっちゃうと、電書の可能性にほとんど気づかずに、ほんの一部分だけを見てしまうことになる。紙の本のしっかりしたフォーマットにとらわれる必要はない。

 電書フリマでは、多種多様な電書が登場した。音声データとセットになったもの。ページがなく縦にずっと長く一行の言葉を追っていく小説。文字が目の前で変わっていく短歌集。前日に80名が協力して作ったマンガ。約600ページ超えの作品。同じインタビューを書き手を変えて数バージョン収録したインタビュー集。絶版になった本の電書化。マンガと動画の中間を連想させる読み心地のゆったりとしたパラパラ漫画など。

キンドルを手にして浮かんだビジョン

電書は、電子書籍の略称ではない。新しい表現の器になる。電書は、略称じゃなくて、電書。

 利点は大きくわけて3つある。

 1つは、コストがゼロに近づいた。

 もちろん内容を制作するのにはコストはかかる。だが、デジタルだから何部複製しても、そこから先のコストはほぼゼロだ。紙代も印刷代もいらない。

  2つめ。時間がゼロに近づいた。

 内容を作ってしまえば、プログラムで電書に変換、一瞬だ。「米光予言」というイベントをやったときは、このスピードを応用した。イベントの最中に発言をパソコンに入力してもらって(2人がかりで)、終了時に電書に変換した。終わってすぐ、お客さんに、いまやったイベントの電書を持って帰ってもらった。帰りの電車で、質疑応答のときの自分の発言が電書として読める、という興奮!

  3つめ。場所代がゼロに近づいた。

 ぼくの部屋は紙の本だらけで、片付けをしないとあらゆるものが崩れそうだ。これが電書であれば、何冊あってもスペースを占有する心配の必要はない。電書フリマでも、まとめて10冊以上買って帰る人が何人もいた。これが紙の本だったらかさばるのでためらうところだろう。

 コスト、時間、場所の3つがコントロールしやすくなった。でも、単純に安くて便利になったというだけじゃない。こんなのは、あとから人にわかりやすく説明するために考えたことだ。

 そもそもは、2009年、電子書籍デバイスのキンドルを手にしたときに浮かんだビジョンだ。公園で電子書籍を交換している人たち。おじいちゃんが孫の描いた絵本を公園でともだちに渡している。雑誌ができたその日に、編集者は行きつけの呑み屋で常連客に手渡す。できてなくても、途中のモノを渡して「本当は、来週完成なんだけど、完成版はあとから更新しますよ」なんてこともできる。魚屋で、魚に関する電書が手に入る。次に会ったときに、感想を書き加えた電書を返してくれる。本屋だけで売っているものじゃなくなっている。そんなふうにして、街中で、電書が交換されている風景。

 電書フリマは、そのビジョンを実現するための最初のステップだった。

 次のステップとして、2011年「電書雑誌よねみつ」を刊行した。1年間、走りながら考える実験としての電書雑誌。自分の名前を図々しくタイトルにしたのは、最終的には出したい人は誰でも電書を出す世界をイメージしてみたかったから。年間購読を受け付けた。

「不定期刊行で、出したいときだけ出すので1号しか出ないかもしれない(6号ぐらいは出ると思ってます)」と告知して、年間購読100円。数号出た後は、ネット上で2100円で購読を受け付けた(値段も、状況に応じてどんどん変えられる)。1年ちょっとで13号出た。

 制作メンバーは最終的に約30人。やりたい人がやりたいことをやる。やりたくなくなったら途中でやめてもいい。というルールで、ネット上のチャット空間を編集部にして作った。予定は立てるが守らなければならないスケジュールはなく(それどころかやらなくてもいい)、できたら発行というペース。

 制作メンバーが、リアルな場で会うことは1回もなく、「最終号を発行した後、打ち上げでみんな集まろう」と対話して、それを楽しみに1年間作りつづけた(打ち上げの日、ぼくは夏風邪を引いて、結局行けなかったというオチまでついた)。

ブログではなくパッケージ化する理由

 電書を作りだして驚いたのは、「本の値段って紙としての物理的な値段だったんだ」と実感したことだ。200ページの本で、ハードカバーなら、だいたい1500円だ。人生の宝物になる本でも、読み捨てちゃうような本でも、誤植だらけの本でも、値段はほぼ同じ。内容と値段は比例しない。電書を作ると、そのことで悩んでしまう。どうやって値段を設定すればいいのだろう。

 そもそも200ページにしなくていい。10ページの本だっていいのだ。いままでなら「10ページです」という時点で本にならなかった。規格外だ。ツカが足りないよ、と言われておしまい。電書なら10ページでも2000ページでも可能。1ページ、回覧板だっていい。

 こうなってくると、なおさら値段はどうやって決める?内容? でも、多くの人に読んでほしくて書いているのなら、値段なんてないほうがいいんじゃないの? ただで配るべきなんじゃないの。

ところが、ただにすると、届けたい人に届かない場合がある。届きすぎることが問題になることもある。

 わざわざ電書にしなくてもブログでいいじゃないか、と質問されることがある。その問題にも通じる。ブログなら気軽に読める。興味がない人でも、チラっと部分的に読むことができる。記事も短く、断片的に手渡される。便利だ。

 でもそうなると、全体の文脈をわからずに発言する人が増えてしまう。文脈事故が起こる。書く側も、それを避けたくなる。ついつい「個人的な見解だが?」とか「そう思わない人もいるかもしれないが?」なんてエクスキューズをつけてしまう。それどころか、慎重に手渡したい個々の思いが書けなくなってしまう。チラっと読むだけで共感されるようなわかりやすいことしか書けなくなってしまう。

 疾病を抱えている人が、同じ疾病の人や理解のある人に向けて書きたい、というときは、なかなかブログには書けない。こみいった問題だから全体を読んでから議論してほしいというケースも、ブログには書きにくい。それらは千切りとられ、砕片にされ、流用されてしまうかもしれない。その恐れを抱いてしまうと書き進められなくなってしまう。

 電書にして、パッケージとして枠を与え、値段をつける。どういったまとまりで、誰に、届けるのか。それをしっかり示すことで、書きにくさは、大きく減っていく。適した値段をつけることそのことじたいが、内容に関わるメッセージになる。

 電書は、小さなコミュニティの結節点として機能するだろう。おおぜいの場では話し合いにくいようなことも、小さい集まりの中で、ていねいに進めていくことができる。電書が小さなコミュニティのためのツールになる。そういう場でこそ、コスト、時間、場所の3つがコントロールしやすくなったことが活きてくる。

著者、読者、編集者もダイナミックに変化

 紙の本の良さにも気づいた。簡単に出せないからこそ、完成したものを作ろうという意識が働く。書き換えられない。ずっと持っていられる。古びていく。

 紙の本の版面の工夫や精緻さは、ものすごいレベルにある。それは、完成したものを作り出そうという熱意と結びついているはずだ。おさない甥っ子にプレゼントするなら、電書ではなくて、紙の本だろう。

 反対に、電書は、完成したものでなくてもいい。プロセス、途中で出すことができる、という部分が良さだ。意見や感想、情報をもらって、書き換える。すぐに追加もできる。どんどん変わっていく。版面も、読者側で変えることができる。読むたびに書き換わっている魔法の本のようなものもできる。

 むかしの写本を見ると、もともと書かれていた本文に追記されていて、渦巻き状に言葉が増殖している様子がわかる。そういった楽しみを電書では回復できる。

 インタラクションのスピードが速くなる。書いたものは即日、読まれて、意見が交わされる。それを電書に組み込んで、また流すことができる。プロセスの楽しさ、コミュニケーションの楽しさ、作り上げていく楽しさだ。まだ完成していない「いま」のモノを完成に向けて変えていく楽しさ。完成された紙の本とは違う楽しさを実現できる。

 紙の本と電子書籍を対立させて考えたり、紙の本をそのまま移し替えるという発想でやっている限り、イノベーシ ョンのジレンマに陥ってしまう。

 平凡社の『改訂新版 世界大百科事典』は、全34巻、総項目数約9万、知の集大成である。古い版が実家にあった。本棚の下2段を占拠していた。なぜか蛇のアゴの骨の図解があったことだけ印象深く記憶に残っている。調べようとすると、何巻に載っているか推測して、「よっこいしょ」と重い事典を取り出し、何百ページもの中から知りたい記述を探す。

 これが電子化すれば便利だろう。場所も取らない。重くない。探し出すのも検索ですぐだ。図解を動かしたり、映 像を流したり、立体的なものとなるだろう。未来の事典だ!と、すっとぼけて書いたが、1997年に「未来の事典」はもう出ている。マイクロソフトの電子百科事典『エンカルタ』。検索、画像・音声・映像など多彩な表現、ハイパーリンクもばっちり。質量ともに最高クラスの総合百科事典が、CD-ROM1枚に収められて、価格は5800円。『世界大百科事典』は28万3500円だから48分の1だ。

 この未来の事典『エンカルタ』は、どうなったか。2009年に滅びた。オンライン版もふくめて、シリーズ全てが打ち切られた。『ニューヨーク・タイムズ』の2009年3月30日の記事で、マイクロソフトの弁は以下の通り。

「伝統的な百科事典や参照書籍というカテゴリはすでに変化を遂げた。現代人は以前とは相当に違う方法で情報を探し集め編み活用している。最も有効で活用できるリソースを提供するというマイクロソフトの目標の一環として、エンカルタ事業を撤退することを決断した」

〝以前とは相当に違う方法?というのはウィキペディアを意識した発言だろう。

 特権的な編集(出版社編集者だけが著者を選び、知を集結させ、一方的に伝え広めていくような方法)は、 流動的な電書には馴染まない。新しい編集の方法が求められ、うまれてきている。従来の組織から抜け出して、出版社というより出版者と呼んだほうがよい個として、未知の何かを開拓するように動いている人がたくさんいる。だから、いま編集の仕事が、刺激的で、おもしろい。

 時間、コスト、場所のコントロールが自由になることで、作り方も、読み方も、売り方も、書き方も、変わってくる。読書体験というものが、大きく拡がっていく。編集と書き手と読者がダイナミックに変わる場所に、新しい表現の器として電書が出現する。

 ぼくも「電書カプセル」という場を準備中だ。ネットワーク上にあるが、対面販売することもできる。どんどん追加することもできる。書き換えることもできる。読者とのやりとりも可能。流動性を活かした電書の場を目指している。キンドルを手にしたときに浮かんできた風景に近づくための新しいチャレンジだ。

(ゲーム・クリエイター、立命館大学教授 よねみつ・かずなり)

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