- 2012年10月21日 17:01
橋下や日本維新の会の教育政策について問題点があるなら、真正面から教育政策論議をすべきだ。 - 2012年10月21・22日のツイート
まっとうな政策論議をしたい
http://t.co/EVZAGfPl 夜回り先生こと水谷氏が日本維新の会の教育政策に意見を出してくれていますが、真正面から教育政策論をやっていきたいですね。僕たちは子どもの事を考えて、政策実行しています。子どもの事を想っているのはお互いに同じ。ただその実行方法が違うのでしょう
僕も日本維新の会も子どもたちの事を想って政策展開している人もかかわらず、その政策を真正面から議論せずに、橋下や日本維新の会は子どものことを想っていないと決めつけるのは、全く政策論になっていない。
水谷氏は大阪の教育改革について反対なのであろうが、それならどの点がどのように反対なのかを政策論として展開すべきだ。水谷氏は、市長にまずは学校を回れ、子どもと話せと言う。教師上がりの教育の専門家に、このようなことを言う人が多い。
社会は役割分担だ。学校を回るのは、教育実践者だ。子どもと話すのも、現場の教員が原則だ。市長や知事は、教育行政の枠組み作りと、財源を確保しての予算の確保。巨大な教育行政を動かしていくのが、市長、知事の役割だということを認識して欲しい。
学校を回ることも重要だが、これは教育行政の十分条件ではない。学校を回るだけでは教育行政の予算は確保できない。予算を確保するためには市政全般で相当な改革が必要になる。これは教育実践者ではできない。市長と現場の実践者の役割は違う。
橋下や日本維新の会の教育政策について問題点があるなら、真正面から教育政策論議をすべきだ。僕にも7人の子どもがいる。その子供たち世代のことを想って政策を実行している。政策の中身や実行方法でおかしいところがあるなら、そこを指摘すべきだ。
水谷氏は学校を回っている自分だけが子どもの事を想っていると錯覚している。そして学校を回ることだけが全ての解だと独善的になっている。そのことを否定はしないが、それが全てではない。学校を回ることは必要だろうが、それで全てが解決するわけではない
水谷氏は水谷氏の役割でやれば良い。市長には市長の役割がある。それを前提に政策論を展開すべき。政策論もせずに、面識のない他人について、あいつは子どもの事を想っていないと決めつける考えは子どもにとって悪影響。
水谷氏のような大人に、指導を受ける子どもが、どのような大人になるのか心配だ。決めつけは絶対に良くない。議論をしてからロジックに結論を導く。これが成熟した民主国家において必要な教育。水谷氏は、完全に決め付け型。まさに佐野に近い。
今の日本の教育がダメダメだと言われて一向に光が見えないのは、教育評論家、専門家の質によるところが大きい。ほとんどの教育評論家、専門家は、教師出身者。教師個人の力だけで、教育は良くなると思っている。教師を個人商店的に捉えている。教育委員にもそのような考えの人が多い。
しかし、個々の教員の教育実践も、実は教育行政システムに乗っかっている。このシステムが悪ければ、個々の教育実践もうまく進まない。個々の教育実践は、現場の先生にお任せする。しかしその根っこの教育行政システムの構築は政治・行政の役割で、僕の領域だ。
夜回り先生こと水谷氏は、教育は教育実践のみで成り立っていると勘違いしているのであろう。教育行政システムにも精通した教育評論家、専門家が必要だ。水谷氏に伝えたい。僕らも子どもの事を想って、教育政策を実行している。そこは水谷氏と同じだ。ただ考え方ややり方が違うだけだ。
そうであれば、橋下は子どもの事を想っていないという決めつけは止めるべき。これを言った瞬間に議論は終わる。日本の子どもたちに必要なのは、相手の人格を決め付けずに、考えの合わない相手ともしっかりと議論する能力だ。水谷氏のように、相手の人格を決め付けるような子どもたちは少なくしたい。
水谷氏が学校を回るのは結構だが、他人の人格を決め付ける子どもが増えないことを願っている。そのような子どもは佐野のような大人になる。人それぞれ価値観も考えも異なる。だから議論をする。相手の人格を決め付けない。もちろん人格も否定しない。議論で決まらなければ最後は多数決。
http://t.co/EVZAGfPl 夜回り先生こと水谷氏は他人の人格決め付けではなく教育政策論を展開すべきだ。もし水谷氏が教育の分野で持ち上げらているなら日本の民主主義がまだまだ成熟してない象徴例だ。教育政策論ならいくらでも受ける。僕も子どもたちの事を想って市長をやっている
僕は、日本に欠けているのは、きちんとした議論、政策論議だと思っている。選挙になればこれは完全に戦だから、政治家同士にあってはある程度の決め付けは仕方がないのであろうが、平時はきちんと議論することが民主主義の発展に寄与すると信じている。
僕の政策や政治手法について様々な批判があることは承知しているが、まっとうな批判が少なくなってきた。人格攻撃になってきたな~まあ、これも民主主義の中で、一定のものは許されるんだろうけど、それは日本のためにならない。不正などは徹底追及してもらいたいが、まっとうな政策論議をしたい。
http://t.co/EVZAGfPl 夜回り先生の学校を回ることは否定しないが、それは教育の中でのほんの少しの部分。それが子どもたちのための大人の行動として全てではない。大阪では、610万円世帯までは10万円で、800万円世帯までは無償で私立高校にも通えるようにした。
この制度によって年間4000人を超える子どもたちが公立高校から私立高校へ先願として流れた。つまり、これまでお金がなくて私立高校へ行けなかった子どもたちが私立高校へ行けるようになった。障がいのある子どもが通う特別支援学校の4校増設を決めた。
学力に課題ある学校を財政的に支える制度を作り年10億円予算化した。大阪府内の公立中学校の給食を普及させるために250億円ほどの予算枠を設けた。市長就任後、大阪市では公立中学校の給食を実施し、経済的に苦しい家庭へ給食費のサポートをする。小中学校の空調設備の設置。
こども医療費助成制度の拡充、国の難病指定以外の難病の医療費サポート制度の創設。公立高校院内学級の創設。発達障がい児のサポート制度、児童虐待対策、一時保護預かり施設の設置・・・・・・もちろんこれは知事、市長の役割としてやったことであり、現場の教員も頑張ってくれている。
水谷氏は、このように知事、市長として何をやったかを確認もせず、君が代起立斉唱条例と教育基本条例のみで全てを全否定。そしてこの二つに真正面から批判してくるならともかく、「子供たちのことを想っていない」の一言で片づける。多くの有識者も同じ。博士さんの知る反橋下の人たちもそうでしょう。
僕は水谷氏のように学校を回って、悩みのある生徒の話を直接聞くようなことはしていない。それは知事や市長の役割ではない。しかし知事や市長にしかできないこともやっている。端的に言えば、学校を回っているだけではできないことをやっている。水谷氏はそこへの想像力がない。
水谷氏のような意見が、反橋下の典型的な意見であり、これではまともな政策論ができない。そしてこのような意見を現場の一部教師や教育評論家の多くが発する。これでは日本の教育政策や民主主義が成熟しない。まずは、僕がやった教育政策も見て、真正面から論戦してきて欲しい。
水谷氏へ。さらに大阪市では塾や習い事の助成として月1万円、年間12万円の学校外教育クーポンを中学校の生徒に配布する。まずは西成区で経済的に苦しい子どもたちに配布した。次年度大阪市内全域に広げる予定。こういうのも子どもたちを想ってのこと。学校を回ることだけが全てではない。



