- 2020年09月28日 15:06
公文書改ざんで夫を亡くした赤木雅子さんが語る、夫への愛とこの国の理不尽さ
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森友学園への国有地売却をめぐる公文書の改ざんを上司にさせられ、それを苦に自ら命を絶った財務省近畿財務局の職員、赤木俊夫(あかぎ・としお)さん。
その妻、雅子(まさこ)さんが最近、元NHK記者の相澤冬樹さんと共著で『私は真実が知りたい 夫が遺書で告発「森友」改ざんはなぜ?』(文藝春秋)という本を出版しました。真相解明をめざして国と佐川宣寿元国税庁長官を提訴している雅子さんはいま、どんな思いで裁判を闘っているのか。
笑下村塾たかまつななが、その胸の内を聞きました。
■22年間連れ添った最愛の夫

ー赤木さんは最近、『私は真実が知りたい 夫が遺書で告発「森友」改ざんはなぜ?』(文藝春秋)という本を出版されました。なぜこの本を出そうと思ったんですか?
赤木:森友問題は分からないことが多いんですけど、自分の知っていることは全て本に書いたので、1人でも多くの人に知っていただけたらと思って。この本が出版されることで、財務局や財務省の人が真実を話してくれるきっかけになってほしいです。
ー雅子さんにとって、夫の俊夫さんはどんな方でしたか?
赤木:かけがえのない人で、大好きな人でした。22年間一緒だったんですけど、けんかもしたことがなかったし、本当に仲が良かったと思います。
ーどういうところがお好きだったんですか?
赤木:全部好きでした。私のことを一番に考えてくれて、本当に大事にしてくれました。人柄も優しいし穏やかだし、分からないことは何でも教えてくれるし、そういうところが尊敬できて好きなところですね。
ー めちゃくちゃ素敵ですね。本にも「趣味は赤木俊夫」と書かれていましたね。
赤木:夫はすごく趣味が多かったので、私が趣味を持つよりも夫が趣味を楽しんでいる姿を見るのが私の趣味みたいな感じでした。家にいても常に一緒にいたので、いま隣にいないのが不思議なくらいです。
ー出会って2回目でご結婚されたんですよね?
赤木:出会ったのは阪神・淡路大震災の前の年で、私は岡山県で彼は和歌山県でちょっと離れていたので、とにかく早く結婚しようって、すぐに結婚を決めました。「一緒に関西においで」って言ってくれたのかな。照れますね。
■自分の雇用主は「日本国民」
ー俊夫さんは、仕事に対してはどんなふうに向き合う方だったんですか?
赤木:とにかく仕事には真面目に取り組んでいて、一生懸命やっていました。あまり家で仕事の話はしない人ですけど。
ー「自分の雇用主は日本国民だ」と言っていたそうですね。すごいと思いました。
赤木:それは近所の方に伝えていた言葉で、亡くなった後に聞きました。そういうことを言う人だったなと感じました。当たり前のことを言っただけですごいと言われるのは、きっと当たり前ではない人が多いからだと思います。公務員や国会議員の方がみんなそう思っていたら、今回の改ざんのようなことには繋がらなかったと思うので。
■ある日を境に様子が激変

ー確かにそれが当たり前であるべきなんですよね。俊夫さんの様子の変化に気づいたのはいつごろですか?
赤木:2017年2月26日の休日に、私の母と私と夫と3人で公園に梅を見に行ったときに、夫が当時すごく尊敬していて信頼していた上司の方から電話があって、「いま僕の仕事がいっぱいいっぱいで手に負えないから手伝ってくれないか」と言われたんです。
それで休日出勤をしたんですが、一番最初に改ざんしたのがその日だったみたいです。いつも笑顔で明るい人だったんですけど、その日から確実に様子が変わって徐々に調子が悪くなっていきました。でも当時、平日はほとんど朝帰りか終電で帰るような日が続いていてずっと寝不足だったので、その日から笑顔が少なくなったけど、寝不足のせいかなぐらいにしか思っていなかったです。
ー俊夫さんが改ざんをしていたということを知ったのはいつごろだったんですか?
赤木:夫が亡くなる5日前の3月2日です。朝日新聞のニュースを見て知りました。夫からは「内閣が吹っ飛ぶようなことをしてしまった」ということは聞いていたんですけど、ニュースを見てこのことだなと気づきました。
夫が休職してから半年以上経っていて、そのころにはもう新聞も取っていなかったしテレビもあまり見ていなかったので、私が仕事に出かけるときに、改ざんのことが話題になっているのが夫の耳に入らないように「今日はニュースを見ないようにしてね」と声をかけて行ったんですけど、帰宅したら夫がぐったりとしていたんです。そのとき初めて二人で会話をして、「やってしまったのは、このことだったんだ」みたいな話をしましたね。
ー 俊夫さんとしては雅子さんには知られたくなかったんですよね?
赤木:本人は犯罪行為をしてしまったとも言っていたので、私にニュースになるまで言わなかったということは、言いたくなかったか、知られたくなかったのかもしれないですね。
ー 書き換えのことを知ってどう思いましたか?
赤木:夫が公文書の書き換えは犯罪だと言っていたんですけど、こんなに悪いことだとはすぐにピンとこなかったです。でもやったらダメなことなんだろうなと思いました。
夫は当時、うつの症状がひどくて「死にたい」とか「体中が痛い」と言ったり、食事もあまりとれなかったりして人が変わってしまっていたので、私は「誰か助けて」といつも思っていました。でも、助けられなかったです。かわいそうなことをしちゃったんですよね。
もしも近畿財務局の局長が責任はすべて自分にあるということを言ってくれたら死ななくて済んだんじゃないかとか、いまお世話になっている弁護士さんに相談できていたら違っていたのかなとか、今となっては思いますけどまだ答えがわからない状態です。
ー 本を読んで印象的だったのが、俊夫さんが「部下にやらせなくてよかった」と言っていたところです。
赤木:はっきり覚えていないんですけど、部下に若い方が2人いて、その方たちにはやらせずに済んだと言っていました。そこはよかったんだって。おそらく夫が全部引き受けたのかもしれないですね。そのあたりも知りたいです。
その部下の1人の方とはお会いしたんですけど、何一つしゃべってくださらなかったので。どういうふうに改ざんが行われたのか、その原因と経緯を全部知りたい。明らかになってほしいです。
■「ありがとう」が最期の言葉
ー 話しにくいことだと思うんですけど、俊夫さんが自ら命を絶たれていたのを見たとき、どんなお気持ちでしたか?
赤木:あの日の朝、私が仕事に行くために玄関を出るとき、夫はいつもは布団の中にいるか、まだ3月で寒かったのでコタツにもぐっているかしていたんですけど、その日に限って玄関まで見送りに来てくれて「いってらっしゃい」じゃなくて「ありがとう」って私に言ったんです。
そのころはもう何度も自殺未遂を繰り返していたので、職場で連絡が取れなくなったときに「もしかしてやっちゃったかな」と思って急いで帰って、現場の様子を見たときは「とうとうやったな」という気持ちでしたね。
夫の体が動かなくて、抱き上げてもぐったりしていて。高いところからではなくて、低いところから首を吊ってたので、夫のベルトのところを持って一生懸命抱き上げて。そうしたら喉に空気が入ってゴボゴボって音を立てたので一瞬助かったと思ったんですけど、口からよだれが出てきて人形みたいになって。
もう死体になってるなって。もうたぶん助からないだろうなって思って。本当にかわいそうでした。
■夫は“財務局に殺された”
ー雅子さんはその後、どうされたんですか?
赤木:私、慌てて救急車じゃなくて警察に電話してしまって。「殺された」って意識がすごくあったので。「財務局に殺された」っていう思いがすごくあって、つい110番しちゃったんですよね。
それで119番しなさいって言われて、119番したら「人工マッサージしなさい」って言われて、馬乗りになって人工マッサージをしていたら救急車が来ました。意外と冷静だったと思います。
でも一方で「これで楽になれたね」とも思ったんですよ。「もうこれで苦しまなくていいよ」って声をかけたのは覚えています。その当時、わけの分からないものを相手に、2人とも誰に助けを求めていいかも分からないまま本当に苦しくて苦しくて仕方なかったから。私自身も生きていることがすごくつらくて、何度も死にたいと思っていました。
ー 改ざんをしなければ、こういうことにはなっていなかったですもんね。
赤木:誰が改ざんしようと発案したのか。そこから始まっていると思うんですよ。夫の手記には、佐川さん(佐川宣寿元国税庁長官)と書いてあるけど、佐川さんは「今はもう自分は答える立場ではない」と言って逃げていますけど、人が1人亡くなっているんだから、自分が指示したのであればそのことを話してほしいし、どこからどのように指示が下ってきたのか、そもそもなぜ改ざんをしなければならなかったのかを教えてほしい。
全部が明らかになれば今後こういうことが起きないだろうし、私たちのように苦しむ人が少なくなると思うので、ぜひそういうことを明らかにしてほしいと思います。
- たかまつなな
- お笑いジャーナリスト・株式会社 笑下村塾 取締役
1993年神奈川県横浜市生まれ。慶應義塾大学大学院政策メディア研究科、東京大学大学院情報学環教育部修了。フェリス女学院出身のお嬢様芸人としてデビューし、日本テレビ「ワラチャン!」優勝。また「朝まで生テレビ」「NHKスペシャル」などに出演し、若者へ政治意識の喚起を促す。
笑下村塾ホームページ
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