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- 2012年10月16日 09:00
建築と社会学の新しいアドレス 「答えが運ばれてくる前に」 藤村龍至×南後由和
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南後氏 藤村氏
超線形プロセスから批判的工学主義を経て、列島改造論2.0に向かう建築家と、街から美術館、書店を遊歩する社会学者与えられた答えに満足しない二人が自分たちで見出したものは? 人口減少や「縮退」を運命や宿命ではなくポジティブに読み替える
(司会:荻上チキ)
何ものかへのレクイエム
荻上:藤村さんに質問ですが、都市計画をオープンで作っていくという方法論はもちろん昔から、あえて位置づけるとすると、何へのカウンターとしてそうした手法が重視されているのか。あるいは、言い換えると、藤村さんが何への応答としてそうした方法論を身体化されたのでしょうか。藤村:私がまちづくり系の研究室にいた1990年代のおわり頃、「地方分権」というスローガンが具体化して、市町村レベルで意思決定しなければいけないことが急激に増えて現場は混乱気味でした。その頃現場で盛んに行われていたのは付箋を配って皆の言っていることをKJ法でまとめて構造化するファシリテーショングラフィックスです。
皆の意識にはこういう全体像がありますと可視化して共有するところまではいいのですが、さて、そこから解決案を立案するために空間像を描こうとすると、そこでいきなり飛躍してしまうんですよね。そこに空間のデザイナーがいるわけですが、ダイヤグラムを形にしたときに飛躍してしまう。
それは建築学科での議論も同じで、毎回、講評で論争になるのは、これだけリサーチしてきました、こういう型が発見されました、というところまではよいのですが、それを実際の建築=空間の解決案に置き換えると、いきなり飛躍してしまう。
それを解決するには、段階を刻むということを考えて、形を刻みながらその中で問題を可視化することと解決するということを一対一で行わなければならないと気が付きました。
情報技術には履歴保存というコマンドが一般化したので、昔ほどリサーチをやって切断して、ぼんと形態を得るのではなく、小刻みに時系列を重ねていくような連続性は想像しやすくなりました。複製技術のコストが下がったからです。
荻上:ログ化しやすくなったわけですね。
藤村:ユーザーのニーズとデザイナーの解決案の乖離が指摘される公共施設のデザインも、一回のコンペで決めるのではなく、最低限複数案から複数回のセッションで決めるとするだけでも、大幅に変わると思います。
荻上:あえて、レッシグの例を出すまでもなく、もともと芸術的な問題として情報技術の発展によって過去のログを取りやすくなったとか、その分進行しやすくなったということはありますよね。それから経済的、市場的な背景として、人口減少の中でリノベーションをどうやっていくのかいうことが課題としてある。
それは、政治的には田中角栄的な日本列島改造計画、あるいはその時に出来た依怙贔屓方のバラマキ政策へのカウンターが求められている。では、建築家としての思想というかモラルの部分としては何が対比できますか?
その予算は妥当か?
藤村:おそらく丹下健三が一九四五年に戦災復興に取り組む際に直面した状況と似ている気がしています。社会全体としてその頃一番集中投資されていた分野に炭鉱労働者住宅だったそうですね。炭鉱労働者住宅に大量に資本が投入されるというのは戦地からの引き上げ要員をとりあえず受け入れなければいけないという状況でとりあえずなされていた投資が長期的に見て本当に妥当な施策なのかというのはよりマクロな人口分析、経済分析をしないと言えない、と。
丹下さんはそこからリサーチを積み上げていって最終的に工業都市を今のような形で太平洋側に配置していくことが日本を経済成長させるのだという論理をもって、それでああした軸線を引いてきているわけです。それと少し似ているところがあると思っています。
荻上:なるほど。
藤村:今は市民のニーズに反応して福祉・防災とか、被災地の復興というものに予算がどっと流れているわけですよね。それは長期的に見て本当に妥当なのかということを検討するためには経済系との連動が必要だと思っています。
他方で丹下さんの頃にもワークショップシステムとか、プロセス型のデザインプロセスはいろいろ試されたものの、やはりトレーシングペーパーに鉛筆で図面を描いている時代ですから複製コストが高かったのだと思います。それに比べれば今は、解析技術も上がってきているし、そうした履歴を保存するというデータベース的インフラも整ってきているので、それをベースにして、よりプロセス型の集団設計がやりやすくなりました。
荻上:試みは同じであったけれど、それを可能に出来なかったという展示会・実験がいくつかあったりするわけですよね。
藤村:そうですね。もうひとつの時代背景として、今は拡大の時代と違って縮小というのは少ないリソースを合わせていってコストを下げましょうという話は、ワークショップで詰めていくのに向いていると思うんですね。
荻上:官製タウンミーティングみたいな形で、シナリオを市民に押し付けるようなやり方って今でもありますよね。
藤村:今のタウンミーティングとかパブリックコメントと呼ばれるものは既得権益のネットワークやシステムで出来上がった案にアリバイを与えるために行われることもありますね。
全部出来上がってから事後的にコメントを求めるだけではなくて、最初の条件設定からオープンにしてしまっても大丈夫だよということを私たちの「鶴ヶ島プロジェクト」は示していると思います。市役所の職員は「人口が縮退するなんて公の場では言えません」とか、「これから財政難になるなんてことは言えません」というわけです。
やってみると、住民も最初は「どれだけこちらのわがままを聴いてくれるんだろうね」という感じで来られているんですけど、これだけリソースが限られています、将来を考えてこういうことをやらないといけないんですという前提条件をオープンにすると、むしろスムーズに受け入れられます。
荻上:五回繰り返す内に、コミットメントが身体化されるという話も面白かったですね。
藤村:五回というのが分かりやすかったのだと思います。建築の老朽化と財政問題を郊外都市の自治の復興のために使うといいのではないかと思います。
荻上:コンペティションというとバブル期の広告代理店的なイメージか弱肉強食のイメージしかないけれど、藤村さんの説明でそうではないということがよく分かります。
藤村:経済系の専門家が「公民連携」を提唱する際に、現場ではしばしば単なるコストカッターとして受け止められてしまう。空間系の専門家である建築家と協働すると、コストカットと新しい公共のプレイヤーを育てたり場所を用意することを両立できるということを具体的に見せることができます。
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荻上



