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「半沢直樹」第二部は悪役が主役の歌舞伎

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一部に引き続き「半沢直樹」第二部が好調だ。もっとも今回は、その仕立てが一部とは少々異なっている。しかも、この違いは一部を踏まえており(設定や主要配役のキャラクターが視聴者に認知されていることが前提にドラマが展開している)、それが人気に繋がっている。そこで、今回は第二部の魅力についてメディア論的に分析してみよう。キーワードは「悪役」と「歌舞伎」だ。

「世界」と「趣向」

歌舞伎では作品の構成は「世界」と「趣向」に分類される。「世界」は作品の型=設定・世界観やストーリー、言い換えれば作品が何を伝えようとしているか、つまりWhatに焦点を当てるマクロな側面。一方、「趣向」はその世界=設定の中で、作品がどのようにアレンジされるのか、役者がどのように演じるか、つまりHowに焦点を当てるミクロな側面だ。「半沢」第二部においては後者=趣向(とりわけ役者の側面)が突出しており(第一部には「大和田への復讐」というマクロなテーマが設定されていた)、それが視聴者に見ずにはいられなくさせることに成功している(逆に「世界」の側面については第一部よりも固定化されている)。

「半沢直樹」のストーリーは実に荒唐無稽という表現がしっくりくる。実際の銀行業務においては、あのような状況が発生することはない。つまり、プロパーの側からすれば「ありえない世界」。だが、ファンタジーと考えれば「面白ければナンデモアリ」なので、何ら問題はない。言い換えれば「法律的に見れば半沢の行為はダメである」というような批判こそ、逆に「荒唐無稽な物言い」となる。そして、ポイントは、当然ながらこの荒唐無稽な世界にどのような趣向が凝らされるかにある。

それでは第二部での「趣向」の醍醐味を他の作品群=ジャンルとの比較によって段階的に考えてみよう。

「水戸黄門」における世界と趣向

先ずはじめに「半沢」同様、荒唐無稽な世界=設定が明確に設定されていて、それでいて「半沢」より劣る、いわば「否定すべき作品=悪役」として「水戸黄門」を取り上げてみよう。ご存じのように、この作品は黄門様一行が各地を漫遊し、その都度、訪れた場所で発生した事件を解決してみせるという展開。悪役は代官や悪徳商人(その典型は越後屋)で、被害者は庶民。この一連の事件が40分ほどの放送時間内で解決する。ストーリーはワンパターンで、世界=設定は固定されている。つまり善と悪が明確に区別され、両者の間に黄門様一行が介入していくのだが、この時、趣向、つまり水戸黄門世界を魅力的に見せる役割はもっぱら黄門様一行に委ねられている。言い換えれば悪役と庶民はワンパターンで個性がなく、こうした安定した世界=設定の中で一行が様々な展開を見せる点=趣向に魅力がある。

こうした、安定した「世界」は、テレビ番組に対するメディア・リテラシーがまだ低かった時代には視聴者のニーズに十分耐えうるものだった。だが、TV以外の娯楽メディア、とりわけインターネットが視聴者の思考様式を多様化・相対化して視聴者のコンテンツに対するメディア・リテラシーを引き上げた結果、こうした展開=趣向は次第に「単なるワンパターン」にしか思えなくなっていく。そして、それが「水戸黄門」の失墜をもたらすこととなった。

ディズニーにおけるヴィランズ(=悪役)の個性化

こうした世界=設定を維持しながらも趣向を一歩前進させているのがディズニー作品群、とりわけプリンセス物だ。「水戸黄門」同様、その世界は荒唐無稽だ。基本パターンはプリンセスがヴィランズ(ディズニーでは悪役はヴィランズと呼ばれる)によって苦境に追い込まれるが、最終的にはプリンスがやって来てヴィランズを滅ぼし一件落着となる。その基本解決方法は「真実のキス」に基づいている(ただし現在、世界=設定にはジェンダーやレイシズム問題を踏まえてアレンジが施されるようになっている)。

要は「水戸黄門」の悪役=ディズニーのヴィランズという図式になるのだが、事情は少々異なっている。視聴者の誰もが、これが悪役=ヴィランズであると容易に判るのは水戸黄門と同様だが、ディズニー作品の場合、ヴィランズに個性が付与されるのだ。これはわれわれが水戸黄門の作品群を思い浮かべる際、似通っているために、個々の悪役を思い返すことが難しいことを踏まえるとコントラストが明瞭になる(言い換えれば、悪役は「悪代官」と「悪徳商人」という普通名詞に集約されてしまう)。一方、ディズニーの場合、女王、マレフィセント、アースラ、ガストン、ジャファー、スカー、フロロー、ゴーデルといったヴィランを思い浮かべることは容易だ。悪役にもスターとしてのキャラクターが付与されているのだ(事実、ヴィランズはディズニーランドの人気者でもある)。だから、オーディエンスとしては「今度はどんなヴィランが登場し、どんな悪行を展開するのか?」に関心が向かう。

歌舞伎における役者の個性化=趣向を楽しむ

歌舞伎の場合、さらに「この役柄を誰がどのように演じるのか」に観客の関心が加わっていく。言い換えれば世界=演目の物語に対して趣向=役に対する役者のパフォーマンスという区分がある。そして観客は、実は物語のことなどとっくに熟知しているので、関心はむしろ趣向に向かうのだ。だから称賛として「成田屋!」「音羽屋!」という役者の屋号が観客席から投げかけられる。もちろん、これは役者個人のパフォーマンスに向けられたものだ。

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