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東大大学院で研究をしている香港人が見た日本 - 田中実 (ジャーナリスト)

 香港国家安全維持法が7月1日から施行され、その後、周庭(アグネス・チョウ)氏の逮捕が日本メディアをにぎわせた。また、民主派寄りの論調を書く「蘋果日報(Apple Daily)」の家宅捜索や、創業者、黎智英(ジミー・ライ)氏の逮捕はそれ以上に香港社会に大きな衝撃を与えた。

 そんな状況を東京大学で地域文化研究をしている香港人、銭俊華氏は6月10日に『香港と日本-記憶・表象・アイデンティティ』を発行。銭氏に香港についていろいろと語ってもらった。

数多くのメッセージの中には日本語の文字が見える

香港人による香港を知るための1冊を日本語で

『香港と日本-記憶・表象・アイデンティティ』

 筆者は前回の記事の『「香港国家安全維持法」の何が問題なのか?』でインタビューをした大東文化大学の廣江倫子准教授から彼を紹介してもらった。

 香港研究の第一人者、東大の谷垣真理子教授が彼を評価しているということ、『香港と日本』という本を読んで興味を持ったからだ。

 ご時世として“香港モノ”の本がたくさん出版されているが、香港人ならではの実体験に基づいて書かれているものが含まれている。当然ながら日本人には書けない内容になっているため、香港を日本語でより理解できる本になっている。

 また、著者は1992年生まれということで現代の香港の若者の思考を理解するにも役立つ1冊だ。香港の事を知っていると自負している日本人でも、バラバラの事として理解していた香港の事を整理できる仕上がりとなっている。

逃亡犯条例改正案のデモは恐怖を感じた

銭俊華:1992年香港生まれ。香港浸会大学卒業。現在、東京大学大学院総合文化研究科博士課程に在籍。専門は地域文化研究。論文に「香港人の民族意識にとっての『日本』」(『華南研究』第4号、日本華南学会、2018)、などがある。共著に、Colonial Legacies and Contemporary Studies of China and Chineseness (Singapore: World Scientific, 2020)がある。戦争の記憶とポップカルチャー研究をするなど、日本と香港を結ぶ新世代の研究者の1人。

 逃亡犯条例改正案のデモが発生した時はすでに日本に留学しており、動画などで状況をずっと見ていたいという。

「動画を見ていて、例えば8月31日の件は恐怖を覚えました。地下鉄内で緊急時の警告アラームが鳴っていたのですが、きいたことがなかったので、驚きもしました。また、自分が普段行っていたところが警察とデモ隊が対峙する場所となって『香港はこんな風になってしまったのか…』」と、愕然したそうだ。

 新聞を読んだほか、世界的に見ると若者の間でフェイスブックは古いSNSだが、香港ではフェイスブックが依然として力をもっていて、そこから記事を見ていたという。

「それだと好みの記事しか上がってこないのでは?」と問うと「警察のサイトとかもちゃんと行くようにしていた」と適切に判断するためにバランスを取っていた。情報のファクトチェックについては、1つの記事を多角的に見るようにしたという。

 これまでとの変化も感じ取ったと言う。

「香港人の政府批判者の中に『勝利』を求める意識が形成されていったからです。過去の社会運動への反省を踏まえ、彼らが求めるのは『公民社会の育成』、『民主主義の意識の育成』あるいは『栄光がある失敗』ではなく『勝利』でした。彼らにとっての勝利とは、特定の法律や政策を撤回させることや行政長官の普通選挙実施などです。

 道徳上の問題や実際に行動する時の個人的コスト、行動の効果や社会への副作用は彼らの考慮に入っているようですが、少なくとも戦略としての道路や建物の破壊、行動者自身の安定と健康な生活の喪失、社会全体の短期的繁栄を放棄することは彼らの手段となっています。

昨年からの状況をみると、政府側も英米諸国も自らの『勝利』のために大きいな賭け金を払ったと思います。

 発砲された催涙弾と投げられたレンガは、新たな国際情勢・秩序における無数の表徴の1つしかないかもしれません」と研究者らしく世界全体を俯瞰しつつ冷静に分析する。

 そんな中で「多くの日本の方が香港のことに関心を持ってくれたことは、とてもありがたいことです」とも話した。

言論と行動との矛盾はもう許されないかもしれない国安法

 逃亡犯条例改正案がなくなったと思ったら中国政府は香港国家安全維持法を制定した。2003年の基本法23条に基づく国家安全条例からの推移を考えると「倍返し」をくらってしまった。

「最近は、現在は国安法そのものより、香港人あるいは香港の過去と将来にとって、その法律が何を象徴することになるのか? 何の契機になったりするのか?…ということを考えています。国安法の施行と国際社会の反応をきっかけに、政治的立場を問わず、社会的運動や政治的言動の代価が高くなってきました。

 香港人が昔のように子供を連れて安全なデモに参加したり、デモが終わってからご飯を食べに行ったりして、翌日には日常に戻っているということは想像しにくいです。政治や社会イシューに関するSNSの投稿やシェアをする前、慎重に考える人も多くなると考えられます。

 言論と行動との矛盾はもう許されないかもしれません。政治的立場に関わらず、香港のみならず海外にいる人を含め覚悟しないといけないと思います」

 イギリス政府は、1997年の香港返還以前に生まれた香港市民が持つことができるイギリス海外市民(BNO)パスポートの保持者と、その扶養家族は、2021年1月からイギリスの特別査証(ビザ)を申請できるようになると発表した。中国政府は反発しBNOの無効化を検討すると表明した。

「香港人は1つの市民権と1冊のパスポートしか残らないかもしれません。いろいろと考えるべきでしょう。移民して、香港の市民権をやめたら、香港に対する責任を担わなくても構いません。しかし、人間は社会に属する存在です。出身地への責任をせずとも、移住地への責任と人間としての責任は担わなければなりません。

 こういう風に考えると、移民は、経済面や生活面だけではなく、そもそも人生の生き方にも大きな疑問を投げかけられます。彼らはいかに公民としての責任を負いながら、移住地との信頼関係を築いていくのか、また別の挑戦になるのでしょう」と香港を出ていく香港人に高い自覚が必要になるとした。

香港人とは? 香港人のアイデンティティって?

 日本の若い子が「オヤジくさい」などと揶揄する形でジェネレーション・ギャップを表現する事があるが、香港にいるとそれ以上の世代間ギャップを感じる。逃亡犯条例改正案に参加したデモ隊の若者と話すとそれを感じることがしばしばだった。

 「現在の20~30代と40~50代以上の違いを結構感じています。若い世代は香港アイデンティティが比較的強くて、中国人としてのアイデンティティが弱いどころか抵抗感すらある場合があります。年上の世代は、中国政府に不満がある民主派の人たちでも、中国人というアイデンティティは維持している印象です。

 多くの年上の民主派の共通的考えは『中国と中国共産党は別々なもので、中国の人民、土地、文化を愛しても、政権を支持するわけではない』。それに対し、政府を批判する一部の若者はそういった区別をしません。もしくは中国と中央政権を区別できないものかもしれません」

 実際、香港社会は、香港にいつごろ来たか、どうやってきたかですら異なる。中国は50以上の少数民族があるほか、漢民族ですら、客家、呉越などがあり、さらに「あの人は潮州から来た、福建から来た」といってさらに細分化される。

 それに加え、両親は香港人だがカナダなどの海外に移民。その子どもは海外で生まれ育ち、大人になって来港して働いている人も多く、そういう人たちは広東語は話せるが漢字が読めない人も少なくない。また、香港は貧富の差が非常に大きい社会でもあり、ここだけでも考え方は異なる。

 日本人は最近の香港に対して、民主派と親中派または黄色と青色に区別しようとする傾向があるが、香港はあまりに重層的な社会であり、切り取り方によって香港の顔は変化する。単純に区別するのはほぼ不可能だ。筆者の知り合いが「基本は黄色でも青がまだらに入って来るし、その逆もある。

 真っ黄色、真っ青な人はほとんどいないと思う」と語っていたがその通りだろう。銭氏と話していると香港人のアイデンティティは複雑であることを再認識させられた。香港を理解し、サポートしていく上で、我々日本人はそのことを認識しておくべきだろう。

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