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スト2とサカモトとダウンタウンと TKブームとは何だったのか

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BLOGOS編集部

2020年7月24日、小室哲哉が作曲を担当した乃木坂46の楽曲「Route 246」が配信限定シングルとして発売された。

初めてオンエアされたのは発売の2日前、22日深夜放送の「乃木坂46のオールナイトニッポン」(ニッポン放送)である。乃木坂46は10代から20代半ばまでのメンバーが大半。一方、ファンは30代以降もたくさんいるが、“TK”というアルファベット2文字では小室哲哉が思い浮かばないメンバー・ファンが大半と考えられる。

「Route 246」を「新鮮」と感じているのは主にその若い世代だ。

私は90年代の「TKプロデュースブーム」をリアルタイムで体感したアラフォー世代。「懐かしい」とも「TKサウンドの復活と若者たちからの評価は心から嬉しいが、TKがあまりにもTK過ぎる」「もっとTKに新たなチャレンジをさせてほしかった」とも思ったのが、「TKプロデュースが青春」だったのは、アラサーでもアラフィフでもなくアラフォー世代なのだ。

今から24年前の1996年10月、とある音楽バラエティ番組がはじまった。まだCDデビューをしていない2人組の男性アイドルと、テレビにほとんど出ない伝説のフォークシンガーが司会をつとめるという「異例中の異例」の音楽番組「LOVE LOVE あいしてる」(フジテレビ系列)。

1979年生まれのKinKi Kids(堂本光一、堂本剛)と、1946年生まれの吉田拓郎。親子のような年齢差で、KinKi Kidsと同世代の視聴者からすれば拓郎は「親が聴いている」「よく知らないが“伝説の人”なんでしょ?」という存在だった。

しかしその“伝説”は、番組が続く中で明らかになっていった。90年代には当たり前になっていた「字余りソング、字足らずソング」の元祖であり、“拓郎に影響を受けたミュージシャン”が90年代に活躍していることを知らされた。若い世代の視聴者も、自身が生まれていない「1972年」に発売された「結婚しようよ」などのヒット曲を覚えていくことになる。

「LOVE LOVE あいしてる」の放映開始と時を同じくして、J-POPの中心にいたのが小室哲哉だ。番組にMCとして鎮座し、KinKi Kidsとともに歌うことで「1996年の吉田拓郎」は、「24年前(1972年)の吉田拓郎」を知らしめることができた。しかし、小室には「LOVE LOVE あいしてる」にあたるものがない。90年代、小室の何がどうすごかったのか、なぜ“TKサウンド”に人々は魅了されたのか、残念ながら伝える場所がない。そこで、この場を借りて、「Route 246」を新鮮に感じた世代に「TKブーム」を伝えたい。

世代で異なる小室哲哉像

まず、「TK概論」として、“世代ごとの小室哲哉像が異なる”ということを提示したい。大学在学中からスタジオミュージシャンとして活躍していた小室が、バンドのメンバーとして名前を出したのが1980年。「SPEEDWAY」というバンドで、翌81年には脱退している。この頃のことを知る人はおそらく小室と同世代、もしくは少し下の世代=60歳前後、アラ還になると思われる。

そして、84年4月21日にデビューし、94年4月21日にプロジェクト終了を宣言した音楽ユニット「TM Network」(のちにTMNに改名)。このユニットの活動中に中学1年~3年で、心を撃ち抜かれた世代は現在「39歳~51歳」となる。また、渡辺美里の「My Revolution」をはじめとする「作曲家・小室哲哉」が作り出した80年代ヒット曲に心をつかまれた世代は、現在50代半ばと思われる。

そして、小室哲哉は「t」であり「TK」である、という「TKプロデュース」のグループ、いわゆる「小室ファミリー」に心を奪われた世代がいる。TMNの後期のファンと被るが、40歳前後のアラフォー世代である。

では、「TKプロデュース」ブームは、いつ、どのようにはじまったのか、どこが「起点」となるのかを整理したい。

1989年、伝説は宮沢りえのプロデュースからはじまった

作曲家、編曲家として活躍していた小室が、音楽面のみならずビジュアルや宣伝まで「トータルプロデュース」を初めて手掛けたのは1989年9月15日に発売された宮沢りえのデビューシングル「ドリームラッシュ」。もちろんこの時は「TKプロデュース」「小室ファミリー」という言葉はない。ただ、このプロデュースが90年代のTKブームの第一歩であることは確実だ。

また「89年9月」と小室にはもうひとつ大きな因縁がある。宮沢りえの鮮烈なデビューと時を同じくして、菊池桃子が88年に結成したバンド「RA MU(ラ・ムー)」が、事実上解散したのだ。一見、無関係に思えるが、意外なつながりを引き出したのがプロインタビュアーの吉田豪。RA MUについて小室は『ビジュアルから考えたら、バンドの真ん中の人がかわいくて美形な方がいいに決まってるんですよ。それで演奏がいいっていうのはアリだなと思って』と話したという。安室奈美恵、華原朋美、西野妙子(dos)など「アイドル」という箱に入っていた女性を「アーティスト」としてトータルでプロデュースするという、90年代にとったTKプロデュースの手法は、89年の時点で思い描かれていたということになる。

RA MUは、この30年間、深夜ラジオを中心に面白おかしく扱われてきた。しかし、吉田が引き出したこのエピソードや「当時、日本ではあまり定着していなかったR&B、ファンクに取り組んでいたこと」は再評価、いや、一度も評価されていないのだから今こそしっかりと評価すべきことだ。

さらに、音楽ライターの兵庫慎司が著書「ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー」(リットーミュージック)の中で、「阿部義晴がRA MUのプロデュースをするという話があったが、それを辞退しユニコーンに加入した」という事実を引き出している。その世界線のRA MUには、もしかしたら小室は何も感じなかったのかもしれない。音楽界の人間交差点RA MU。面白ネタにするのは2019年で終了としていただきたい。RA MUを笑うものは、RA MUに泣くのだ。

閑話休題。TKプロデュースの話に戻ろう。89年は小室哲哉が歌手としてソロデビューした年でもある。

90年にユニット名を「TMN」に改名してから発売されたオリジナルアルバムは「RHYTHM RED」(90年)、「EXPO」(91年)のみ。92年にはシングルもアルバムも発売されていない。その分、小室の楽曲提供は盛んだった。月ごとに書くと以下の通り。

1月21日 小林勇人「PASSENGER 〜a train named Big City〜」
4月22日 渡辺美里「My Revolution - 第2章 -」
5月27日 観月ありさ「TOO SHY SHY BOY!」
7月8日 渡辺美里「ムーンライトダンス(HELLO LOVERSバージョン)」
10月1日 観月ありさのセカンドアルバム「ARISA II SHAKE YOUR BODY FOR ME FIORE」にて「SHAKE YOURBODY FOR ME」・「GIVE ME YOUR LOVE TONIGHT」・「TOO SHY SHY BOY!(EXTENDED NEW RE-MIX)」・「GENERATION」・「HE'S GONE」
11月21日 東京パフォーマンスドール「十代に罪はない」
11月21日 渡辺美里「青空」

観月ありさへの提供がほぼ半分だ。小室は前年に発売された観月ありさのファーストアルバム「ARISA」に「夢だけのボーイフレンド」を楽曲提供している。このアルバムには小林武史、辛島美登里、尾崎亜美、奥居香、高見沢俊彦と名だたるミュージシャンが楽曲提供しており、小室は全10曲中1曲の提供だった。

しかし、セカンドアルバムは10曲中5曲を小室楽曲が占めた。ちなみに1976年生まれの観月は「中学時代からTM NETWORKのファン」とコメントしているが、初めて楽曲提供してもらった時は中学3年生。そして、自身に曲をたくさん書いてもらった年にTMNのリリースがないというのは皮肉なものだ。(ただし、コンサートツアーは行われている)

2014年放送のテレビ番組「ヨルタモリ」で、宮沢りえと観月ありさは「私たち、元祖小室ファミリーなんだよ」と語りあった。つまり、92年の時点ではまだ「小室ファミリー」という言葉と認識はなかったということになる。その頃、宮沢、観月と並ぶ人気を誇ったのが牧瀬里穂。3人の苗字のイニシャルから「3M」と呼ばれた。そして、牧瀬里穂も、93年に小室哲哉から2曲提供を受けている。その93年は「TK Rave Factory」ことtrfのプロデュースがはじまるため、小室の作り出す音楽の供給量は、さらに増えていく。

2月25日 trf「GOING 2 DANCE」
5月21日 宮沢りえ「My Kick Heart」
5月21日 東京パフォーマンスドール「キスは少年を浪費する」
6月21日 trf「EZ DO DANCE」
6月23日 東京パフォーマンスドール アルバム『MAKE IT TRUE 〜Cha-DANCE Party Vol.6』にて「WHOOPEE DAYS」・「MAKE IT TRUE」
9月17日 牧瀬里穂 アルバム「PS.RIHO」「国境に近い愛の歌」・「キャンセルされたプライバシー」
9月22日 中森明菜 アルバム「UNBALANCE+BALANCE」にて「愛撫」・「NORMA JEAN」
11月10日 東京パフォーマンスドール「ダイヤモンドは傷つかない」
11月10日 東京パフォーマンスドール アルバム「SEVEN ON SEVEN」にて「Sanctuary〜淋しいだけじゃない」
11月21日 trf「愛がもう少し欲しいよ」
11月21日 trf「Silver and Gold dance」
12月12日 裕木奈江 アルバム「旬」にて「みんな笑った」
12月15日 池山隆寛 アルバム「TO THE TOP VICTORY ROAD」にて「自由の女神」
12月16日 trf「寒い夜だから…」

加えてこの年の9月29日、2年ぶりとなるTMNのシングル「一途な恋」が発売されている。恐ろしい仕事量だ。そして中森明菜からプロ野球選手の池山隆寛にいたるまで、仕事の幅も広い。アーティストだけでなく、様々な作詞家とタッグを組んでいるところも特筆すべきところ。東京パフォーマンスドールでは「売野雅勇」「松井五郎」、牧瀬里穂では「秋元康」、中森明菜では「松本隆」、池山隆寛では「サエキけんぞう」と、80年代から活躍を続ける作詞家との制作を行なっている。

この時点で観月、trfには歌詞を書いている小室だが、プロデュース業がはじまり「作詞家・小室哲哉」として本格始動するのは、もう少しあとになる。

楽曲提供量は多い。しかし、92年、93年の曲リストを見て、あなたは何曲知っていただろうか。口ずさめる曲はあっただろうか。ここ数年の音楽番組で見る機会、聴く機会のあった曲はあるだろうか? おそらく、広く知られているのは観月ありさ「TOO SHY SHY BOY!」(オリコン最高位4位)、trf「EZ DO DANCE」(同15位)、「寒い夜だから…」(同8位)、この3曲ぐらいだと思われる。

この状況がガラッと変わるのが、1994年だ。

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