- 2012年10月11日 21:00
この人に聞きたい│孫崎享さんに聞いた(その1)日中領土問題で得をしたのは誰なのか?
1/2孫崎享さんの近著『戦後史の正体』は、日本の戦後史を対米関係の観点から読み解く、衝撃的な内容でした。領土をめぐって日中・日韓関係が緊張し、一方、沖縄や岩国では、反対の声が高まる中でオスプレイ配備が強行。こうした状況は、どんな背景から生まれてきているのか。じっくりとお話を伺いました。
画像を見るまごさき・うける
1943年生まれ。1966年東京大学法学部中退、外務省入省。駐ウズベキスタン大使、国際情報局長、駐イラン大使を経て、2009年まで防衛大学校教授。今年7月に上梓した『戦後史の正体』(創元社)が話題になり、20万部を超えるベストセラーに。ツイッター(@magosaki_ukeru)では約5万人のフォロワーを持つ。『日米同盟の正体―迷走する安全保障』 (講談社現代新書)、『日本の国境問題―尖閣・竹島・北方領土』(ちくま新書)、『不愉快な現実―中国の大国化、米国の戦略転換』(講談社現代新書)など著書多数。
領土問題もオスプレイも全て関連している
編集部尖閣諸島や竹島などの領土問題、オスプレイの配備に象徴される日米問題など、今、日本の政治はコントロール機能を失っていると感じます。こうした一連の動きは、全て関係し合っているのでしょうか?
孫崎
そうですね。なぜこのような事態になったかを理解するために、まず尖閣諸島のことから話しましょう。尖閣問題は、捉え方に2つの路線があります。「日本固有の領土であるから、断固として領有権を確保しようとする道」と「お互いが領有権を主張しているから、紛争にならないようにどうするか考える道」です。
今、日本国民のほとんどが前者の捉え方をしています。尖閣諸島が日本固有の領土であることは国際的に何の問題もなく、中国がいちゃもんをつけてきている、ということです。しかし、実は領土問題の"土台"となる事実を知っている人はほとんどいません。
領土問題への関心は高いけれども、領土問題をめぐる史実や国際条約については、知りませんね。
孫崎
戦後史を見ていく上で、一番大切なのは、ポツダム宣言なんです。1945年8月、日本が受諾したポツダム宣言の第8条には"「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ"と書かれています。つまりカイロ宣言(1943年)の履行を求めているわけです。
では、カイロ宣言にはどう書かれているかというと、"日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコト"とあります。日本が中国から奪った領土を全て返還しなさいということです。日本が尖閣諸島を併合したのは1895年でカイロ宣言より前ですから、本来、返還しなければならない可能性があります。
そうなりますね。
孫崎同時に、ポツダム宣言で連合国側が求めているのは、「本州、北海道、九州、四国は日本のものだけど、その他の島々は我々が決定する諸小島に極限せられる」ということです。連合国側が決定していないものは日本の領土ではないことになりますが、アメリカは領有権問題について中立の姿勢で、日本側・中国側のどちらにもつかないと言っています。したがって、尖閣諸島が絶対に日本のものと言えるかどうかが、かなり危ないんですよ。
編集部そうした史実を土台にすると、先ほどおっしゃった2つの路線が問題になるのですね。
孫崎
断固として領有権を守る道か、紛争にならないように考える道のどちらかですね。後者に関しては、いわゆる「棚上げ論」になるわけですが、「棚上げ」が持つ意味合いを理解するためには、中ソ国境紛争(1969年3月、国境にあるウスリー川の小島の領有権を巡って起こった大規模な軍事衝突)を知る必要があります。紛争が起きてすぐ、両国とも30〜40人の死者がでましたが、その後、エスカレートして場合によっては核戦争も辞さないとすら言われました。しかし、その状況のなか「川の上の島のことで戦争をするのが、中ソ双方にプラスなのか?」という話になっていきます。
そもそもこの紛争が起こったのには、同じ年に、中国の内政で非常に重要な動きがあったことが関係しています。1969年4月に、中国国防大臣の林彪は、毛沢東国家主席の後継者に指名されました。つまり、中ソ国境紛争を起こしたことが、林彪にとって政治的にプラスになった。紛争などが起これば、国防大臣はやはり重要だということになりますから。いわば、意識的につくられた紛争だったのです。
しかし、その状況に危機感を抱いた周恩来首相はソ連のコスイギン首相と会談し、「当面、この問題は棚上げにしよう」と同意しました。その知恵が、1972年の日中国交正常化の際、田中角栄首相と周恩来首相との会談でも用いられたのです。
このとき、周恩来首相は、「小異を残して大同につく」と言って、尖閣問題を棚上げしました。さらに、1978年の日中平和友好条約の制定時にも、鄧小平副首相が「我々の世代に解決の知恵がない問題は次世代で」と語り、尖閣問題は再び棚上げされています。
つまり、棚上げ論というのはある領土をお互いが「自分のものだ」と言っている状況で、いかに紛争にまでならないようにするかという、そのために出てきた知恵なんですね。
2010年の中国漁船衝突事件が転換期
編集部今回の尖閣問題では棚上げ論があまり語られず、勇ましい意見ばかりが目立ちます。
孫崎
このところの日中問題の始まりは、2010年9月に尖閣諸島付近で起きた中国の漁船衝突事件(2010年9月、尖閣諸島付近で操業中だった中国 の漁船が、それを取り締まろうとした日本の海上保安庁の巡視船と衝突した事件)にさかのぼります。多くの日本人は、この事件を中国側に問題があると思い込んでいますが、実はハッキリそうとは言えません。日本の法律の使い方に変化があったからです。
2000年に発効した「日中漁業協定」は、仮に中国が違反にあたる漁業をした場合、日本は拿捕するのではなく退域を求めることを定めています。それでも解決しなければ、中国側が処分する。以前から船の不法侵入は度々あったのですが、この日中漁業協定によって大事にせず対処していました。
ところが、この2010年の事件のときには、日本は日本の領海に入り込んだ中国漁船を捕まえて臨検しました。これは日本の国内法である「漁業法」を適用したからです。国内法では、違反した船に対して乗り込んで調べることが認められています。日中漁業協定とは、対処法が全く違うんですね。
二国間の漁業協定ではなく国内法で対処しよう、と方針が切り替わったのはいつなのでしょうか?
孫崎
鳩山内閣が終わって菅内閣になってからです。菅内閣は、2010年5月に発足してすぐ「尖閣諸島は日本固有の領土であって、国際法的に何の問題もない」ということを閣議決定しました。中国漁船問題が起きる前ですね。その時点から国内法で粛々とやるという方針になっています。当時、国土交通大臣は前原誠司さんでした。彼の命令によって、中国漁船は拿捕されたのです。
そのあたりから、今の問題は始まっている。だから、なぜその「切り替え」が起こったのかが非常に重要なんです。
すべてがアメリカにプラスの方向に動いた
孫崎そして、これは多くの人が気づいていないことですが、この事件をきっかけに、日米関係は大きく変わりました。
編集部日中関係の変化が、日米問題にどう影響したのでしょうか。
孫崎
1つは、2010年11月の沖縄県知事選挙です。この時は、現職の仲井真弘多さんと伊波洋一さんが拮抗していましたね。ひょっとしたら伊波さんが勝つかもしれないと言われていました。伊波さんはずっと普天間基地の県外移設などを訴えてきた人ですから、もしも伊波さんが勝ったなら、沖縄の基地問題の状況は今とはすっかり違うものになっていたでしょう。ところが、中国漁船問題が起きた後の選挙で、かつては県内移設容認を表明していた仲井真さんがスーッと勝ちました。
同じ年には、米軍への「思いやり予算」の改訂も行われています。その前の改定では若干、減額をして3年の延長となっていましたが、菅政権は減額なしの5年延長を決めました。もしも中国漁船事件が起きていなければ、これについても世間的にもっと厳しい見方をされたかもしれません。
また、アフガニスタンの復興支援策として自衛隊医官を派遣する構想もありました。これについては、社民党の福島瑞穂さんが反対をして終わりましたが、派遣される可能性があったということです。それから、武器輸出三原則を緩和する動きもありました。これも、このときは最終的には社民党の反対によって見送られましたが…。
このように、中国漁船事件を契機に、日米間のさまざまな問題が、オセロゲームのようにすべてアメリカ側にとって有利な方向に動いたのです。今、中国が軍事的にどんどん台頭してきた中、アメリカは国家予算の逼迫で国防費の減額を迫られています。そこで韓国、日本、台湾、ベトナム、フィリピン、それからオーストラリアで、中国包囲網を作ろうとしていますが、そのためには各国に強い対中敵視がなくてはなりません。尖閣諸島の緊迫というのは、アメリカの軍事関係者にとってはプラスなことなのです。
菅政権は、アメリカにプラスになるとわかっていて、日中漁業協定ではなく国内法で対応したのでしょうか? それとも偶然ですか?
孫崎偶然ではありません。現場で動かされている人間はともかく、仕掛けている立場の人はわかっていたはずです。海上保安庁に国内法を適用するように言った前原さんは、おそらくわかっていたでしょう。前原さんはかなり強硬に「中国の漁船を拿捕しろ」と言っていました。彼にアメリカ側からのプレッシャーがかかっていたことも、十分にあり得ます。当時、アメリカ側は「日本は法治国家だから釈放するな」と言っていました。日本の中国との緊迫が長引くことを期待していたのでしょう。



