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合流新党への批判:選挙目当て、数合わせ、野合

立憲民主党と国民民主党との合流に関する報道では、「批判になっていない批判」をよく見かけます。まともに相手にする価値もないかもしれませんが、念のためコメントします。

「選挙目当て」

今朝(8月28日)の朝日新聞に「与党などから『選挙目当て』との批判も出ている」との報道が出ていました。「与党」というからには、自民党か公明党の議員の批判でしょう。自公連立は「選挙目当て」ではないのでしょうか?

単独政権の樹立が難しい状況下では、複数の政党で協力して選挙戦に臨んで政権獲得をめざすのは当然のことです。政策的距離が近い政党と選挙協力するのは当たり前のことです。そしてさらに政策的距離が近ければ、合流するのが合理的です。

自民党は2つの政党が1955年に合流して成立した政党です。これも当時の社会党の伸長に対抗した選挙戦略です。だからといって自民党を批判するのは筋違いです。同じことで、立憲民主党と国民民主党との合流を「選挙目当て」と批判するのは筋違いです。選挙を重視しない政党はありません。「選挙目当て」批判は、まったく批判になっていません。

「数合わせ」

民主主義では数の力は大きいです。議会運営でも議席数がモノを言います。しかし、多数派が横暴なことをして、少数派を抑圧するのは許されません。安倍政治の8年間で行われてきたことは、多数による専制でした。多数による専制は、形式的には民主主義かもしれませんが、実態としては民主主義的ではありません。多数派の横暴を止めるためにも、いまの多数派を少数派に追い込まなくてはなりません。

立憲民主党は「立憲主義」を掲げる政党です。多数派になっても、権力行使には抑制的な政権をめざします。「多数派による専制を行わない多数派」が望ましいと思います。そのためにも数は力です。

そういう意味でも「数合わせ」批判も、批判になっていません。議会で多数派をめざすのは当然のことです。かつて参議院の多数を失った自民党が、公明党との連立を選びました。議会の多数派をめざすのは、政策実現のステップとして重要です。「数合わせ」の元祖は自民党ですが、そのことは批判されることではありません。

「野合」

政策的にまったく相いれない政党が合流するのは「野合」です。しかし、新党の綱領を見ていただければわかるように、いまの安倍政権とは大きく異なる政治理念と基本政策を掲げて結集するので、「野合」という批判はあたりません。

立憲民主党と国民民主党はもともと同じ政党であったこともあり、格差是正(再分配強化)に熱心であり、経団連(=経営者)寄り自民党と対照的に労働者寄りの政策を掲げ、家父長的家族観の自民党に対してリベラルな家族観に基づく社会政策を訴え、大きな方向性で一致しています。

やはり「原発ゼロ」という点で意見の不一致が一部見られますが、昨日(8月27日)立憲民主党、国民民主党、連合の三者で発表した「共有する理念」のなかで触れられた以下の記述の内容で合意できれば十分だと思います。

株主のみならず、従業員、消費者、取引先、地域社会など多様なステークホルダー(利害関係者)への利益の公正な分配、経済と生活における安全保障という視点にもとづく国内供給体制や純国産エネルギーの確保など、一人ひとりの命とくらしを支え合う経済システムや低廉で安定かつ低炭素なエネルギーシステムを確立する。その際には二項対立的思考に陥ることなく、科学的知見に依拠するとともに、雇用の公正な移行を維持する。

いま核廃棄物の最終処分場の選定が話題になっていますが、最終処分の問題は必ず考えなくてはいけない課題です。原発ゼロを主張する人であろうと、原発推進論者であろうと、核廃棄物の処分が必要なことについては意見が一致すると思います。きちんと議論して国民的な合意を形成する必要があり、そのためには「科学的知見に依拠」して議論することが大切です。

私は「科学的知見に依拠」して議論すれば、必ず「原発ゼロ」にいたると思っています。別にイデオロギーとして「原発ゼロ」を訴えているのではありません。福島第一原発事故を踏まえ、安全性や経済性、核廃棄物の問題などを総合的に考えれば、原子力発電は割に合わないという結論にいたります。

福島第一原発事故のあった年の1月に私は新潟県の柏崎刈羽原発の見学に行きました。あるとき国会で「原子力発電のコストは過小評価されているのではないか?」という趣旨の質問をしたところ、当時の経済産業大臣政務官から「日本の原発技術は素晴らしいから、山内さんもぜひ見学に行ってみてください」と言われました。政務官の勧めにしたがって、雪の日にひとりで新潟まで行き、東電の方から丁寧に説明を受けました。

その説明を聞いて、また施設内を見て歩いて、当時の私は「原発は安全なんだろう」と思いました。しかし、そのわずか2か月後に福島第一原発事故が起こり、電力会社から聞いていた説明が誤りだったとわかりました。私のなかでは「安全神話」への信頼は完全に崩壊しました。

現場に足を運んで自分の目で原発を見て、担当者の詳しい説明を聞いて、それでも「安全神話」に私はだまされていたわけです。おそらく現地を見ずに「原発は安全だ」と思っていた人より、実際に原発を見て「原発は安全だ」と信じていた私の方が、確信をもって「安全神話」を信じていたと思います。

その後も福島第一原発や浜岡原発など合計6回ほど原子力発電所に足を運び、説明を聞きました。また、原発関係の勉強会にはのべ100回以上出席しています。その結果としてやはり原発はやめるべきという結論に至りました。

ロシアや中国などの強権的な国家を除けば、多くの先進国で脱原発が進んでいます。原発は自然災害にもテロや戦争にも脆弱です。私は国会で「原発のテロ対策が不十分だ」という趣旨の質問もしたことがあります。

再生可能エネルギーのコストダウンが進み、原発の価格競争力は失われつつあります。世界で脱原発化と脱炭素化が進んでいます。経済性、安全性、倫理性のあらゆる面を考慮してやはり脱原発は現実的だと確信しています。

感情的にエネルギー政策を語るのではなく、あるいは、既得権にとらわれて合理性を無視するのではなく、虚心坦懐にファクトに基づいて議論すれば、必ず原発ゼロに向かいます。その意味でも「科学的知見に依拠」して議論すれば、原発推進派もいつかトレンドに逆らえないことを理解するでしょう。

エネルギー政策についての「科学的知見に依拠」した対話は、党内だけではなく、国民的にも必要です。原発の是非をイデオロギー論争にせず、「科学的知見に依拠」した政策論争にしなくてはいけません。その時の勝者は脱原発派になるでしょう。

おそらく「立憲民主党は『原発ゼロ』の旗を降ろしたのか」という批判があると思いますが、枝野代表はむかしから「原発ゼロはリアリズム」と言っています。経済的合理性、科学的合理性、安全性などをリアリズムに基づいて議論し、結論を出せばよいだけです。「原発ゼロ」から後退したということではありません。

以上のように報道されている合流新党への批判の多くは、批判にもなっていません。自民党の議員が「野合」だの「数合わせ」だのと批判するのは片腹痛いです。

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