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二度と戦争をしない――常に立ち戻る私の原点「8月15日」

田原総一朗です。また、終戦記念日の8月15日がやってくる。75年前、私は国民学校の5年生であった。

その日、私は日本が負けたことを知り、絶望して泣いた。軍国少年だった私は、海軍の軍人になり、国のために死ぬことが夢だったのだ。

その夢がなくなってしまい、私は絶望し、泣きに泣いていつのまにか寝てしまった。気づくと夜になっており、部屋は真っ暗だったが、二階の窓から街を見ると何やら異様に明るいのである。

それまでは灯火管制がしかれ、真っ暗な街が当たり前になっていた。「ああ、明るいっていいことだ」と私は急に明るい気持ちになった。

そして「死ななくていいんだ」という解放感に浸ったことを覚えている。「国のために死ぬ」という、いわば洗脳から解き放たれた瞬間だった。

その日まで「あの戦争」は、正しい戦争だった。当時アジアの国々は、タイをのぞき、ことごとく、欧米列強の植民地となっていた。そのアジアの国々を解放するための「正義の戦争」だと教わってきた。

ところが戦争に負け、夏休みが終わり、米軍が進駐してくると、教師たちの言うことは180度変わったのである。

「あの戦争は誤りの戦争であり、米英などの連合国が正しかった」。そして、それまで「英雄」だった東條英機らが逮捕され始めると「彼らは悪い人間であり、逮捕されて当たり前だ」と言う。

教師だけではない。ラジオや新聞も同じである。ほんの1か月前まで「国のために死ね」と教え込んでいた人たちが、平気で「君たちは平和を守るために、がんばるべきだ」と言うのだ。

しかも、彼らの姿勢はまたも豹変した。1950(昭和25)年、朝鮮戦争が始まると、アメリカは日本に警察予備隊の創設を求めた。

私が「戦争反対、警察予備隊も反対」と言うと、教師に、「お前は共産党か」とにらみつけられた。あんなにも「戦争はよくない。平和を守れ」と言っていた、教師たちがである。

偉そうな大人たち、教師や政治家、ラジオや新聞なども、一切、信じられない。これがジャーナリストとしての、私の原点である。

戦争を知っている人間は、少なくなった。天皇陛下も、首相も、戦争を知らない。だからこそ、戦後75年、何度でも、そして、いま、あらためて言いたい。

「二度と戦争をしてはいけない」。

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