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【読書感想】東條英機 「独裁者」を演じた男 ☆☆☆☆

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東條英機 「独裁者」を演じた男 (文春新書)東條英機 「独裁者」を演じた男 (文春新書)
  • 作者:俊也, 一ノ瀬
  • 発売日: 2020/07/20
  • メディア: 新書


Kindle版もあります。

東條英機 「独裁者」を演じた男 (文春新書)東條英機 「独裁者」を演じた男 (文春新書)
  • 作者:一ノ瀬 俊也
  • 発売日: 2020/07/20
  • メディア: Kindle版

敗戦の責任を一身に背負わされた東條英機。しかし、その実像は、意外に知られていない。日本の航空事情を知り尽くし、メディアを使った国民動員を実践した宰相は、なぜ敗れ去ったのか。「総力戦指導者」としての東條を再検証する。

「東條は軍人、戦争指導者として1930年代以降、航空戦と総力戦を相当に重視し、それを国民に語りかけてもいた。東條の行動の背後には、彼なりの戦争指導者としての自己意識や使命感があったのである。「総力戦」指導者としての東條の実像を、その発言や行動に基づき明らかにすることが、本書の目的である。(「はじめに」より)

 日本が太平洋戦争をはじめたときの首相であり、1941年1月8日の陸軍大臣時代には「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」という『戦陣訓』を示して捕虜となることを民間人を含む多くの人の自決や捕虜虐待の原因となったとされ、竹槍でアメリカの爆撃機に立ち向かう「訓練」をやり、戦後はA級戦犯として絞首刑になった、東條英機。
 東條さんが刑死してから20年以上たってこの世に生を受けた僕にとって、東條さんは「日本とアメリカの国力の差も理解せずに戦争をはじめ、竹槍でB29が落とせるという愚かしい精神論にとらわれた人」だったのです。

 ただ、だからこそ、「なんで国家としての非常事態に、そんな人が指導者に選ばれ(東條さんはクーデターを起こしたわけではなく、当時の憲法に則って首相に就任したのです)、あんな無謀な戦争をやっていても、誰も止めようとしなかったのか?」と疑問でもあったんですよね。

 この新書は、そんな東條さんの若かりし頃から、陸軍のなかで頭角をあらわし、首相をして絶大な権力を握ったあと、失脚し、東京裁判で死刑判決を受け、刑死するまでを当時の人々の証言や新聞記事、公文書などをもとに、かなり詳細に紹介しています。

 かなり史料が豊富で、丁寧に書かれているので、正直、読むのには骨が折れるというか、長いな……と感じたのも事実なのですが、それだけ「ちゃんと書かれている」とも言えます。

 さまざまな史料から、軍人としての東條英樹は、事務系の処理に非常に長けており、部下や民間人に対しては、優しく接することが多かったし、メディアをうまく利用して、自分をアピールすることを心がけていたことがうかがえます。

 東條さんが行った「軍事教練」で、「竹槍と精神力で敵の飛行機を落とす」なんてバカバカしいことが唱えられていたのですが、東條さん自身は、第一次世界大戦からの戦略・戦術の変化をよく理解しており、「これからは航空機の時代だ」と考えていたようです。
 また、第一次世界大戦末期のドイツでは、食糧不足から民衆の厭戦感が高まり、結果的にそれが敗戦につながったことから、戦時における食料をはじめとした民衆の生活を維持することの重要性も強く意識していた、ということでした。

 この本を読むと、東條英樹という人は、「精神論だけでアメリカと戦争をして、敗北と多くの犠牲者を出した無能な軍人・政治家」とは言い切れないような気がします。

 そもそも、東條自身が「国家の将来像については確固とした理念を持たず、陸軍のなかの統制派(東條はこちら)と皇道派の主導権争いのなかで「出世」し、生き残ることを重視していたのに、いつのまにか競争相手が退場していって、トップにまつり上げられてしまったようにもみえるのです。
 形式的には、昭和天皇という「不可侵のトップ」がいるわけではありますが。
 大きな戦争がない時代の軍人であったならば、東條英樹という人は、軍の事務を仕切る、有能な軍政家として終わり、こういう形で歴史に遺ることはなかったのかもしれません。

 1929(昭和4)年に東京の歩兵第一連隊長だった時期のエピソード。

 当時、第一連隊付軍医だった松崎陽は、演習で兵たちに供される飯やおかずが固い、あれではのどを通るまい、「飯は兵の命なのだよ。軍隊で炊事を担当することはただの飯炊きではない。連隊全部の命にかかわる大切な仕事をあずかっている。そのつもりで取組むのだ」と、兵の食事を担当する主計中尉を諭す東條連隊長の姿を回想している(東條英樹刊行会ほか編『東條英樹』)。若い将校によってはなぜそこまで、と感じたかもしれない。

 東條は性格傲岸といわれるが、甥の山田玉哉(陸軍中佐)によれば「必要な時、特に力弱く同情すべき立派な人に対しては、目のふれるところ誰彼かまわず物心両面共最大の援助をすることを惜しまなかった」反面、「偉そうな顔をしている者に対しては実に峻厳であった」という(同)。本人は弱者の味方、「平民派」を自任していたのである。

 東條連隊長が兵卒たちを愛護した背景には、当時の陸軍が置かれていた時代の変化があった。一つは共産党など社会主義勢力による反軍運動の高まりである。兵士たちを過酷に扱えば、その恨みは左翼に利用されてしまうと考えたのだ。もう一つはデモクラシー思想の普及である。権利義務の観念が発達した者も少なくない現状に鑑み、第一次大戦後の後期の陸軍では「兵卒には「自覚的」な「理解ある態度」が求められると同時に、将校に対しても、兵卒の人格の尊重や常識の涵養(かんよう)が求められ」ていた(黒沢文貴「大正・昭和期における陸軍官僚の「革新」化)。

「人情連隊長」としての東條の事績の一つに、徴兵された兵が除隊して社会復帰する際の再就職の面倒をみたことが挙げられている。これは単なる「人情」の発露ではない。徴兵された兵の再就職問題は、この時期の陸軍が解決すべき政治課題の一つだったからである。

 東條の他者への好悪、人事へのこだわりには極端なものがあった。陸軍省人事局長を務めた額田坦は後に陸軍次官となる東條について「局長、課長を経ず、直接筆者に対し、個人を指定して重要人事を強要され、その結果については非難を受けた覚えがある」と回想している(額田『陸軍人事局長の回想』)。

 これを読むと、部下や下々の者には優しく、自分が尊敬する上司(天皇)には忠実だけれど、同輩を侮って諍いが多かったという東條さんは、『三国志(演義)』の関羽雲長のイメージと重なるんですよね。

 太平洋戦争中も、ミッドウェー海戦で日本の海軍が惨敗を喫し、戦局が大きく転換するまでは、軍紀の乱れや国民の窮乏もそれほど逼迫したものではありませんでした。 
 しかしながら、急激に戦局が悪化してくるとともに、すべてが悪いほうに向かっていったのです。
 言論への取り締まりが厳しくなり、食糧はなくなり、軍の規律も乱れ、無謀な作戦が繰り返されるようになりました。

fujipon.hatenadiary.com

 この本は東条英機という人の伝記ではあるのですが、東條さんが首相・陸軍大臣として権力の座につき、太平洋戦争に突き進んでいく過程をみていくと、結局のところ、あの戦争というのは、日本国内での陸軍と海軍の覇権争いというか意地の張り合いで、「やっぱりアメリカと戦争するのは無謀だ」とわかっていながら、自分から言いだすこともできずに戦争に向かってしまったのではないか、そこには、戦争で犠牲になる兵士や国民たちへの想像力はほとんど働いていなかったのではないか、と考えずにはいられなくなるのです。

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