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歴史学と経済学の交わるところ 「歴史研究と社会科学の接点」1 安田洋祐×與那覇潤

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     與那覇氏       安田氏

地を這う実証研究か、空翔る一般理論か、現実をより正確に描くとは
どういうことだろう、理論と歴史は果たして相容れるのか歴史研究と社会科学の接点を探るクロスオーバートーク

◇経済学者と歴史家

安田:
僕は小さい頃から数学が好きで、それが思わぬ形で大学に入ってから経済学の勉強で役に立ったのですが、歴史の場合には、最初に本格的に勉強しようとしたときに方法論的なものってあるんですか?

與那覇:
いきなり答えにくい質問ですね(笑)。僕もたぶん、狭い意味でのプロパーな歴史学者ではないところがあるので……。ざっくりいうと「文学部史学科」で教えているのが、日本の場合は狭義の歴史学です。それ以外のどの分野でも、例えば、数学や物理学といった理系や建築・美術などでも「~史」とつく分野はあるけど、いわばザ・歴史学は文学部でやることになっている。

文学部系の王道的な歴史学の特徴は、一次史料の発掘とセットになっていることだと思います。とにかく手書きだったり、どこにあるのかわからなかった資料を集めてきて、活字に直して資料集のような形に編纂するなり、自分で資料を翻刻して自分の論文の中で使う、といった作業の比率が高い。この一次史料という言葉に二つの意味があるのでわかりにくいですが、歴史学ローカルの一次史料というのは、「まだ他の人が使っていない生資料」という意味でいうことがある。すでに活字化されているものではなくて、自分で発掘してきた手書きの文書が一次史料、みたいな使い方をする。基本的には、文学部系の歴史学が中心的にそれを担当する形になっています。もちろん、経済学部にいる経済学史の人がそれをしているケースもあるのですが、例えば岡崎(哲二)先生とかはちょっと違うタイプの歴史研究ですよね。

安田:
違いますね。

與那覇:
それを基にして、政治学的にこういう理論がつくれないかとか、経済発展というのはこういう条件が整った時に起こるのではないか、といったインプリケーションを探求するのが法学部の政治史だったり、経済学部の経済史だったりしますよね。

安田:
一次史料を発掘するというのは、古い蔵に行ってこういう文書が出てきた、といったお宝鑑定団的な感じなんでしょうか。新たな資料を見つけてくるだけでも論文になるのか。それとも、単なる発掘だけでは不十分で、この点が面白いとか、新しいとか言わないとダメですか? その辺の論文のスタイルって一体どうなっているんでしょう。

與那覇:
論文のスタイルも、「私はこの命題を証明する」的なサマリーで始まる経済学とは全然違いますね。極端にいえば、そのまま、こんな史料を見つけましたよと報告するだけの場合もあって、翻刻とか資料紹介とか資料集として出すという形がそれです。それ自体が貴重なものだと、それだけでも業績になります。例えば、原敬の日記を全部文字にして刊行するとか、今はもう出ているから誰でも使えますが、最初にやった人はすごい業績です。

もちろん、普通は単なる翻刻と研究論文とは区別されます。論文の場合は仰るとおり、自分なりに問を持って、自分が見つけてきた資料を並べて再解釈すると、この時代のこの地域でこういうことがあったことが分かります、というところまで持っていく必要がありますね。

安田:
文学部にいる歴史系の研究者のメインの仕事というのは、とにかく一次史料の発掘の旅に出かける、というイメージなんですかね。

與那覇:
たぶん、それの究極型が例えば史料編纂所でしょうね、東京大学の。

安田:
ちょうど僕たちの中高の同級生が史料編纂所に勤めているのですが、彼はいつも、いろいろなところにいって一次史料を探しているのかしら? 

與那覇:
それもあるけど、史料編纂所くらいになるともうすでに所蔵していて、まだ読まれていないものがたくさんあるんじゃないかな。ほかにも近代の政治家関係では国会図書館の憲政資料室にがばっと集まっているけれど、そのすべてを全部読んだ人はもちろん誰もいない。外交文書だったら外交史料館とか、そういう施設が同じ機能を果たしています。

安田:
それは考古学っぽいイメージで良いんですか? 眠っている資料を見つけてくる。

與那覇:
難しいな。

安田:
うーん。分野外の人間からすると、歴史学って、意外と何をやっているか分からないものなんですよ(笑)。

與那覇:
それは、経済学部に経済史があるから逆に分かりにくいのでは? もう各学部に「○○史」があるのに、なんでそれと別に「歴史学」が要るの、って発想になるのかな(笑)。

安田:
それもそうなんだけど、歴史学に限らず、やはり分野が違うとイメージがわきにくい。経済学部であれば経済について何かしら研究なるものをやっているのだろう、歴史学についても歴史について何かやっているんだろう、ということまではみんな漠然とわかるんだけど、具体的に何をやれば学術業績になるのか、普段はどういう仕事をしているか、についてはあまり知らないよね。

與那覇:
歴史学の業績が評価されるポイントは何かということですね。どんな学問でも「オリジナリティ」がないと業績にならないけど、歴史学の場合はその含意が二重になっているので、わかりにくいのかもしれません。誰も使っていなかった資料を見つけてきましたというオリジナリティと、みんなが知っていた資料だけれど、こういう解釈したのは自分が最初でしょう、というオリジナリティの両方があるんですよね。

文学部系のプロパーな歴史学だと、一つ目のオリジナリティが占める割合が八割くらいだったりするケースもあるわけです。逆に、自分みたいなそういうことをあまりやっていない歴史研究者だと、自分が見つけてきたわけではないけれど、こういうふうに読んだ人はいなかったよねという具合に、二番目のオリジナリティの方の比重が大きくなる。そのバランスは個々の研究者による、という感じかな。

安田:
文学部の中の歴史系の研究者だと最初の方の比重が大きいという話だったよね。

與那覇:
逆に、例えば思想史などは二番目の比重が大きい。福澤諭吉全集がもうあるわけだから、「福澤諭吉という思想家は、僕が発掘したんです」などということはもうない(笑)。でも、福澤の思想をこう解釈してきた人はいないよね、という研究は、これからも出てくる。文学史もそちらに近いでしょうね。

もちろん思想史でも、福澤の未発掘の書簡を見つけてきたらそこにすごいことが書いてあったとか、そういうことがあれば第一のオリジナリティの比重が高まる。文学部の歴史学というのは、ある種それ以外の要素をそぎ落とした純粋歴史学というか、一番目の比重がかなり大きい歴史学だとは言えると思います。

◇方法論の違い

安田:
歴史研究というのは、経済学の中の経済史、政治学の中の政治史みたいに、各種ディシプリンの中にある、というのがちょっと変わっているように見えます。ただ、現在ではそれぞれのディシプリンに分かれている学問も、古くは分かれていなかった。思想家とか哲学者みたいなのがいて、何でもかんでも議論していたわけです。それが、ある程度は対象に応じて独自の方法論で分析したほうが見通しがよくなることが次第に分かってきて、どんどんと細分化していきました。

歴史についても、もし細分化せずに単一のディシプリンとしてのみ歴史学があったとすると、相当分析が難しそうですよね。歴史というのは広い意味では、人類の今までのすべての活動、過去の積み重ねのすべてなわけですよね。切り口を切ってあげないと、いくらでも“歴史”を掘れてしまう。こう考えると、何もディシプリンに頼らずに歴史を発掘するというのは、そもそも無理な話な気がしてきます。そういう意味では、現在を分析するディシプリンごとに、それぞれ歴史研究が存在するというのは自然なのかもしれません。

與那覇:
歴史の側から見ると、時々不思議なのは、経済学部のコースの中に経済史というものがあって、科学史とかも似たところがあるけど、その意義というのが、ちょっと見えないところがある。いったい、歴史学とは違う学問を掲げた学部で、どういう位置づけになっているのかなと。それは、どうですか。

安田:
僕自身は歴史を研究しているわけではないので、あまりはっきりしたことは言えないんですが、理論的な科目を通じて経済の見え方を勉強します。それは、日本の景気はどうなっているのか、経済政策はどうすればよいのか、というような現在の話だけではなくて、過去がどう見えるのかについても応用できるわけです。そういう視点で見ると、経済学のツールを使って過去の日本の経済がどう見えるのかについて関心が出てくる、というのは健全なモチベーションではないでしょうか。
実際に、ある程度同じ経済学の方法論を共有している人たちが経済に関する歴史を見てくれているわけですね。これは他の学部の歴史研究にはない要素でしょう。


與那覇:
なるほど。

安田:
アメリカ経済とか、中国経済とか、日本から離れた経済圏については、日本にいる限り直接実感を持って見ることは難しいですよね。でも、そういった海外の経済動向に関心を持っている人は多い。同じように、二百年前の経済史なんかは、直接的には絶対に見ることができないわけですが、関心自体は持っていても不思議ではないでしょう。そういう意味では、外国を見るというのと過去を見るというのはそんなに違いはないわけですよね。

少し脱線しますが、なぜ今日本で経済活動がきちんと回っているのか。お店に行けば、大体欲しいものが売っていて—僕は、今日行きたいラーメン屋に行ったら「満足のいくスープができなかったから」という理由で閉まっていた、というアクシデントに遭遇したんですが(笑)—まぁ、大体目星をつけて何か買い物にいったら品切れになっていることも少ないし、物をめぐって取り合いになっているわけでもないし、一定の秩序があって経済活動が行われている。それが、学生時代の僕にはかなり不思議だったんですね。

別にそれだけが経済学の勉強を始めた理由ではないんですが、目に見える普段の生活の中で、なぜこんなにうまく、ある種の調和みたいのが取れているのか、というのは素朴に疑問でした。逆に言うと、発展途上国なんかでは、全然違った仕組みで経済が動いているはずです。おそらく、日本ほど上手くは機能していないような仕組みの中で経済活動を行っている。そういった場合でも、なぜそうなっているのか、何かしらの理由があるのではないか? と考えてもみたり。

経済史の話で言うと、数百年前の日本でどういう形で経済活動が行われていて、なぜそういう仕組みになっているのか、その仕組みの中で個々の人々がどういう暮らしをしていたのか、という問題には興味がありますね。現在の経済活動とは全然見た目は違うはずですが、それぞれに調和のようなものがとれていた可能性はある。

理想的には、ある程度同じような方法論で、特定の経済の仕組みが異なるいろいろな場所で見られるとか、仕組み自体は全然違うのに、その中で動いている人々の行動をつぶさに観察すると、同じような動機に基づいている。それにも関わらず、結果的には違うシステムができあがってしまったとか、少ない仮説の下でいろんな地域とか時代の現象を分析出来たらよいな、というのはかなりの経済学者が関心を持っていると思います。


與那覇:
それは経済学に限らず、社会科学全般の志向としてありますよね。可能な限り少ないツールで、適用範囲がひろい図式を構築したいという。

安田:
でも、他の社会科学の人と話すとあまりそう思っていないような気もする(笑)、経済学者は特にそうなのかもしれない。

與那覇:
だよね、経済学が特に一番強い。

安田:
強すぎるかもね、ちょっと。

與那覇:
逆に社会学なんかは、それを目指したけれど挫折したという感じなのかな。でも、ルーマン社会学とかだと、「システム」の概念で全部記述できるという話を今もやっているわけだから、やっぱりゼロになったわけじゃない。

今回事前に送ってもらった、岡崎先生、黒崎(卓)先生、吉川(洋)先生の鼎談(「鼎談 経済史の可能性 経済学と歴史学の境界を探る」『経済セミナー 特集:経済史研究の新潮流』2012年、8.9月号)でも、関係する問題が議論されていたと思います。単純化して言うと、経済学と歴史の関係を考えるときに、まず経済モデルが先にあって、それをテストするための「事例」として過去(歴史)がある、という捉え方が一つありますよね。

一方で、もう少し歴史学よりの捉え方をすると、とにかく過去のことを最初にいっぱい調べてみて、昔の事実が出てくれば嬉しいし、そこからなにか普遍的な法則を見いだせればもっと嬉しい、となる。前者の方が純粋経済学よりだし、後者の方が経済史、歴史学に近い方向性だろうなと思います。……(つづく)

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