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障害者介護保障運動から見た『ケアの社会学』―― 上野千鶴子さんの本について(後編) 渡邉琢

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(5)また、経済力というところで、どうも上野さんには、セレブ的発想がある。たとえば、ヘルパーの指名制度を介護保険に導入できないものか、真剣に考えているようである。「利用者から人気の高いヘルパーに指名が集中すれば、指名料をとって報酬を増額すればよい」そうである。別にセレブ的発想が悪いというわけではない。

けれども、これでは貧乏人の反感を買うのは必至だ。金持ちは金を払ってよいケアを受けられる。貧乏人はだれがきても文句いわずがまんしなさい、といっているようなものだ。そういう嗜好は、それはそれで当然と思うが、それならば『ケアの社会学』は『(セレブの)ケアの社会学』という但し書きが必要ではないだろうか。

そういえば、上野さんは『おひとりさまの老後』という本では、金のある高齢シングル女性のサクセスストーリーのみを取り上げた、といっている(『現代思想』2011年12月臨時増刊号)。

(6)そして最後に、上野さんは、なぜ「ケアワークは安いのか」という問題設定をするが、彼女にはどうも働く人たちへのまなざしがあまりないような気がする。彼女の視点は、まず基本は経営者に向かい、そしてサービス利用者として障害者にも向かう。けれども、もちろん働く人への言及はあるけれども、どうもその人たちへのまなざしがない。これはぼくが介助者であるゆえの感覚なのだろうか。

ワーカーズコレクティブの事例にしても、高経済階層の女性たちが「活動」の主力であり、「労働」して稼がねばならない低経済階層の女性たちはあまり登場しない。指名制の話にしたって、顔立ちがよくスキルの高い人たちは高い報酬をもらっていくであろうが、うだつの上がらない人たちはそこで格差をつけられる。

すべて一律がいいといっているわけではないが、ヘルパーの選別に対して多くのヘルパーの心理が動揺することは、彼女はご存じなのだろうか。彼女の視点は、基本的にケアワーカーを使用する側にあるように思う。経営者としてケアワーカーを使用する視点。利用者としてケアワーカーを使用する視点。

そして彼女には、自らがケアワーカーになるという視点があまりないのかもしれない。

「わたしたちの社会の女性のケア労働は、もっと条件の悪い他の女性たち(外国人、移民、高齢、低学歴、非熟練等々)の負担において『解決』される」(p451)

これは彼女自身の言葉であるが、彼女はこの課題に対しては十分な解決策を示していない。そして、ぼくが思うに、彼女の『ケアの社会学』からはこの課題は等閑視されざるをえない。上野さんの『ケアの社会学』は『ケアワーカー使用者の社会学』と言い替えられうる側面もあるように思う。

未完の『ケアの社会学』

前半で述べたように、この本は、大半の世の「常識人」にとっては革新的内容を含んでいる。彼女の家族破壊と女性解放の戦略は、やはり『家父長制と資本制』以来一貫している。

そして、育児と介助、介護をひっくるめたケアという人間の生命に関わる再生産様式に対する、彼女独特のまなざしも一貫している。生命の育みとその死の看取りへの深い関心が、戦闘的な彼女の思想の根っこにあるのだろう。それでも、本の構成、内容、論理上、ぼくが感じたところでは以上のような問題点があった。

「労働者性」の軽視と感じる部分に関しては、ここではこれ以上論究できない。むしろ彼女はその部分は論じずに突っ走っていけばいいように思う。それが時代を切り開いてきた先駆者の役割なのだろう。

もうひとつ、女性の立場と障害者の立場との間の溝について。問題点を論じる中で、障害当事者の視点に立つよりも、フェミニストとしての立場が勝ってしまっているのではないか、だから当事者主権の原則を外しているように見える、と述べた。残念ながら今回のこの本では、その二つの立場の間の溝については言及されていない。彼女もそこらへんを内省することは嫌がるかもしれない。

しかし、障害者運動の嚆矢が横塚晃一『母よ!殺すな』(生活書院)であったことは強調されていいように思う。70年代、福祉政策の欠如(=家族への押し付け)の中で母親による障害児殺しが多発したとき、母への同情は世間から多数あり、減刑嘆願運動まで起きたが、殺された障害児への同情の声は一切見られなかったという。それに脳性まひ者たちが抗議したことが、障害者自立生活運動のはじまりとされる。

もちろん、なぜ「父よ、殺すな!」でないのか、あるいは「母に、殺させるな!」でないのか、といった問いを考えてみるのは有意義である。けれども、障害者たちは、女としての母との格闘から、自分の道を切り開いてきた。自立生活運動はつねに、健常者社会、健常者文明一般を批判すると同時に、目前に立ちはだかった「母なるもの」と対決してきた。母はしばしば障害者にとって直接の抑圧者であった。「当事者主権」を本当に語るならば、そこらへんまで踏み込んで論じていってほしい。

上野さんの『ケアの社会学』の内容が深まるには、このあたりの格闘が書き込まれていかねばならない。それ抜きには、当事者主権の形式的追跡にとどまるであろうし、70年代と同じ過ち――ケアされる側の声は無視され、ケアする側への同情に終始する――が繰り返されないとも限らないのだ。「当事者主権」の論理も、「利用者本位」などと同様、現場では簡単にすり替えられるのだ。

じつは『家父長制と資本制』において、すでにそこらへんの格闘に対する示唆がある。その6章に「子供の叛乱」と題する節がある。以下、そこから引用するが、「子供」を「障害者」、ないし「要介護者」、「ケアされる者」に置き換えてほしい。ここに見られる抑圧の問題と取り組んでいくことなしには、『ケアの社会学』は完成しないであろう。

「子供の抑圧と叛乱は、フェミニズムとつながる重要な課題である。女性と子供は、家父長制の共通の被害者であるだけでなく、家父長制下で代理戦争を行なう、直接の加害――被害当事者にも転化しうるからである。家父長制の抑圧の、もう一つの当事者である子供の問題と、それに対して女性が抑圧者になりうる可能性への考察を欠いては、フェミニズムの家父長制理解は一面的なものになるだろう。」(p133、岩波現代文庫版より)

『ケアの社会学』はまだまだ未完成である。この本の読者は決してここで甘んじていてはいけないのだ。この本に書かれている内容に対して、別の視点、すなわち本来の「当事者」の視点で書かれたものが追加されることが切に待望される。そしてそれは掘り起こされていかなければならない。

ケアの課題に対しては、もっと重層的な立場からのやりとり、対話が必要である。その際つねに、自分がどこの立場からものを語っているのか、問われざるをえないし、自問せざるをえないだろう。この「大著」をこえて、ケアにまつわる議論を進めてゆくために。日々葛藤の中にありつつ、障害者の地域生活を支える介助者、支援者として生きている者として精いっぱい書かせてもらった。 

(了)

※以上、「αシノドス」vol.94より転載 

リンク先を見るケアの社会学――当事者主権の福祉社会へ

著者:上野 千鶴子
販売元:太田出版
(2011-08-04)
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渡邉琢(わたなべ・たく)1975年名古屋生まれ。2000年、日本自立生活センター(JCIL・京都)に介助者登録。2004年、JCILに就職。京都市における24時間介護保障の実現に尽力。2006年、仲間とともに「かりん燈 万人の所得保障を目指す介助者の会」を結成。介助者の生活保障を求める活動をはじめる。著書『介助者たちは、どう生きていくのか――障害者の地域自立生活と介助という営み』(生活書院)。・かりん燈 http://www.k4.dion.ne.jp/~karintou/

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