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少子化の根っこにあるのは資本主義・個人主義・社会契約の浸透だと思う

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BBCジャパンで、「世界じゅうで出生率が下がっていく」という話題を見かけた(以下参照)。

世界の出生率、驚異的な低下 23カ国で今世紀末までに人口半減=米大学予測 - BBCニュース

少子化は、ヨーロッパ諸国から東アジアへ、次いでそのほかのアジアへ、やがてアフリカへと広がっていくとされている。また少子化そのものが問題なのではない。リンク先で問題とされているのは「あまりにも急激な少子化」だ。

IHMEの研究による予測は次の通り。
・5歳未満の人口: 2017年の約6億8100万人から2100年には約4億100万人へと減少
・80歳以上の人口: 2017年の約1億4100万人から2100年には約8億6600万人にまで急増
マリー教授は、「巨大な社会的変化をもたらすだろう。私には8歳の娘がいるので、世界がどうなるのか心配だ」と付け加えた。
とてつもなく高齢化が進む世界で、誰が税金を払うのだろうか? 誰が高齢者のための医療費を払うのだろうか? 誰が高齢者の世話をするのだろうか? これまで通り定年退職できるのだろうか?
「我々はソフトランディング(大きな衝撃を伴わないよう着地)する必要がある」と、マリー教授は主張する。

ここでマリー教授が挙げるスピードが、急激でハードランディングな少子化だとするなら、たとえば韓国や日本やイタリアの少子化は既にハードランディングな、危ない少子化にさしかかっているのではないだろうか。

ではなぜ少子化が進んでいるのか。

「女性が教育を受けるようになったから」は半分未満の解答

少子化の理由についてありがちな回答は、「女性が教育を受けるようになったから」だ。もちろん、女性が教育を受ける程度が上昇し、女性が子どもの数を選択できるようになった国や地域では出生率は下がっている。間違った回答だとも思えない。

しかし私は、これは事実の四分の一程度を言い当てていても、全容を言い当てていないと前々から思っている。

第一に、今日では男性だって挙児(きょじ:子どもをもうけること)を大いにためらう。挙児について判断や決断を下しているのは女性だけではない。実際には男性も女性も子どもをもうけることを、否、それどころか男女交際さえもしばしば諦めている。韓国でいわれるn放世代という言葉は、男女ともに挙児や男女交際を諦めざるを得ない状況をうまく表現している。

第二に、そもそも、なぜ教育を受けるようになったら子どもの数を制限しなければならないのか? が問われていない。今日の社会でいうところの「教育を受けた人々」は、女性に限らず、男性もまた挙児をためらう。ときには男女交際さえもためらう。なぜ、教育を受けたら挙児や男女交際をためらわなければならないのか。

それは、教育をとおして女性も男性も経済合理性などを身に付けるからではないだろうか。ここでいう「教育を受ける」とは、数学や理科といった自然科学や国語や英語といった語学をマスターするだけのものではない、と私は思う。現代社会の教育プロセスのなかには、個人を経済的に自立した個人として自覚させ、社会契約をよく守った主体(individual)へと教え導く側面がぬぐいがたく伴っている。

個人として経済的に自立していなければならず、社会契約をよく守らなければならない(=たとえば虐待やネグレクトのようなことは絶対に避けなければならない)と家庭や学校で教え込まれ、その教えをしっかり内面化した人々は、結果として資本主義や個人主義や社会契約のならいに従って子育てをするべきか・しないべきかを決定する。子育ての方法についても資本主義や個人主義や社会契約のならいに従って見積もるし、実践しようともする。

かつて子育ては資本主義や個人主義や社会契約*1のならいに従って行われる以上に、そうした近代的なならいの外側、地域共同体*2の領域で行われるものだった。挙児や子育てには、資本主義や個人主義や社会契約に妥当しない側面がかなりあった。もちろん良いことばかりだったとは言わない──子どもの権利が守られなかったり共同体による抑圧が伴ったりもした。ともあれ、それがかつての世代再生産のならいだった。



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しかし、子育てが資本主義や個人主義や社会契約のならいに従って行われるようになると、青年期の男女は子育てできるかできないかを資本主義のアングルから、または個人主義や社会契約のアングルから考えるようになる。少なくとも十分に教育され、十分に判断力のある男女はそのように子育てを見据えるだろうし、事実、そのような考えに基づいて首都圏のたくさんの男女が挙児や子育てを(場合によっては男女交際をも)諦めたり先送りしたりしている。

だから「女性が教育を受けるようになったから」は事実の四分の一程度しか言っていない。この物言いは、教育による影響を男性も受けているという事実を軽視しているし、そもそも現代の教育全般が自然科学や語学だけを教える思想的にまっさらなものではなく、資本主義や個人主義や社会契約のならいに従うよう個人を導き、その思想や通念に従わせる性質を備えていることを無視している。

教育が資本主義や個人主義や社会契約のならいに従うよう働きかけることを、当たり前だと思っている人がいるのかもしれない。しかし、たとえば18世紀以前のキリスト教系の教育機関で行われていた教育などは、そうではなかったはずである。

あるいは資本主義や個人主義や社会契約のならいがあまりにも当たり前すぎて、それがイデオロギーであることが見えなくなっている人もいるかもしれない。あるイデオロギーを強固に内面化している人は、そのイデオロギーのとおりに考え行動することがあまりにも当たり前になってしまうので、そこにイデオロギーを見出すことはとても難しい。

一例を挙げると、私からみた日本経済新聞はイデオロギー色の強いメディアとうつるが、資本主義や個人主義や社会契約のならいを徹底的に内面化している人からみれば、日本経済新聞は思想的には無色透明なメディアとみえるだろう。

現代人たるもの、経済的主体として自立していなければならず、その結果としてファイナンスやキャリアアップを合理的に追及しなければならない。そのうえ、個人主義や社会契約のならいに従って生活し、子育てをも実践しなければならないとしたら、子育てをわざわざ始める必然性自体が乏しい。経済的にも倫理的にも健康面でも出産や子育てにはリスクがあり、ベネフィットのリターンは確かではない。資本主義や個人主義や社会契約のならいをよく内面化し、子育てに挑むゆとりが足りないと感じている人なら、以下のフレーズにおおよそ同意するのではないだろうか。

 できるだけ経済的であれ。できるだけ合理的であれ。社会契約を成り立たせる決まりごとには忠実であれ──親も教師もメディアもそのように説き、不経済な選択を愚かとみなし、不合理な選択を間違っているとみなし、社会契約からはみ出した選択を許されないものとみなす社会のなかで私たちは育てられる。そのような決まりごとをありとあらゆる方向から注ぎ込まれた結果、私たちはそのような超自我を内面化し、ほとんどの人はそうした決まりごとに疑問を持つこともないまま暮らしていく。

(中略)

 骨の髄まで資本主義や社会契約の考え方に馴染んでいる人が、みずからのイデオロギー体系では説明できず、可視化することもできない経験に、時間やお金や体力を費やすとは思えない。少なくともそれは合理的な選択ではないし、収益の期待できる事業とも言いがたい。  一方、メディアには虐待やネグレクト、子どもにまつわるリスクの話題があふれている。子どもにお金をいくら費やしても、しょせん、親と子どもは別々の主体なのだから、純―経済的には子育てにリソースを費やすより、自分自身にすべてのリソースを割り当てたほうが経済的ではないか──少なくとも私は、子育てを始めてみるまでそうした疑いの念を晴らすことができなかった。  昭和時代の田舎で育った私ですらそう疑うのだから、令和時代の東京で育つ世代に、私が見出したところの〝子育ての意味〟をあらかじめわかってもらうのは難しそうに見える。そもそも彼らは、そんな資本主義や社会契約の外側に存在するサムシングを理解したいと思っているのだろうか。

健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについてより

今日でも、ごくまれに資本主義や個人主義や社会契約の考えに馴染まないままの人、いわば「教育の足りない人」ともいうべき人は存在する。


だが、そのような後先を考えない妊娠や子育てを現代社会は逸脱とみなす。そして社会の秩序から逸脱している点があらわになるや、刑事的・医療的・福祉的な介入によってすみやかに矯正しようとする。そうした矯正の存在も含めて、私たちは資本主義や個人主義や社会契約にもとづいて考え、振る舞うようたえず訓練されている。だとすれば、よほど経済的に自信があって、よほど子育てに関心があって、なおかつ生殖適齢期をたまたま迎えている人でなければ子どもなんてつくれるわけがない。

このような見方でみれば、首都圏で子どもが増えないのが至極当たり前のようにみえる。生きていくために沢山のお金が必要な首都圏に住み、なおかつ(田舎者とは違って)資本主義や個人主義や社会契約のならいをしっかり内面化している人々が、よく考えた末に挙児や子育てを避けるのはきわめて合理的な選択だ。今日のイデオロギーに照らして考えるなら、合理的なだけでなく、正しい選択だとも言える。

だとしたら、できるだけ合理的で、できるだけ正しく生きようと思えば思うほど、子どもなんてもうけられないし、子どもなんて育てられるわけがない。自分の子供が他人に迷惑をかけてしまうリスクまで考えれば、まさに子育てはナンセンスとしかいいようがない。

資本主義や個人主義や社会契約をよく内面化している人々は、この「子育てはナンセンス」を越えるような強い動機や衝動を持たない限り挙児や子育てに至らないのだから、この思想にみんなが馴染めば馴染むほどその地域や国は子どもが少なくならざるを得まい。少子化の要因はほかにもいろいろなものがもちろんあるけれども、この、思想やイデオロギーに根ざした少子化圧とでもいうべきものはほとんどすべての国にかかっていて、ヨーロッパの次は東アジア、東アジアの次は東南アジア……というように思想の伝播とともに広がっている。

移民国家は、移民によって少子化を緩和し、労働力の不足をも緩和しているが、あれを見ていると、「まだ資本主義や個人主義や社会契約にイノセントな人々をよそから連れてきて出生力と労働力を搾取している」ようにみえてしまう。いや、それを搾取と呼ばないためにポリティカルコレクトネスをはじめとする大義を彼らは掲げているわけだが、その大義は移民の権利を守り移民を引き寄せるものではあっても、自国の庶民の慰めになるようなものではない。

こうした構図は日本国内にもある程度当てはまる。よく教育された首都圏の青年はなかなか子どもをもうけないが、首都圏に集中する仕事や教育や文化に釣られて地方から青少年が集まってくることによって、世代再生産の難しさは誤魔化され、いわば、地方の青少年の血を啜ることによって首都圏は成り立っている。

このままいけば(そしてこのままいく公算が高い)、リンク先にあるように移民や人口集中がすべての国や地域に必要になり、移民に来ていただくことの難しい国は人口や地域はどんどんやせ細り、高齢化が進み、社会制度が荒廃するにまかせるしかなくなってしまうだろう。 

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