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新型コロナ感染症は「近代の終わり」を促すか? - 岡本裕一朗 / 哲学・倫理学

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2020年初め、中国の武漢で始まった(とされる)新型コロナ感染症は、瞬く間に世界的な流行となり、3月以降には多くの国々で非常事態宣言を出すまでになった。

しかし、5月になると、感染の終息傾向が見えだしたこともあり、宣言は次第に解除され、世界的にも日常生活が戻りつつある。この後、何事もなかったように、以前と同じ世界が始まるのだろうか。それとも、「ポストコロナの世界」は、今までとはまったく違ったものとなるのだろうか。

もちろん、今回の感染症は、あくまで第1波であって、第2・3波が予想されている。また、ワクチンや有効な治療薬の開発も関係してくるので、今のところ確定的なことは言えないだろう。死者の数からいって、過大評価・過剰対策すべきでないという意見だってある。

もしかしたら、たんなる一時的な現象で、けっきょくは何も変わらなかった、ということになるかもしれない。したがって、「ポストコロナの世界」を語るのは、時期尚早の可能性さえあるだろう。

それでも、わずか数か月ではあったが、おぼろげながら見えていたものがある。それをここでは、「ポスト近代への予感」とでも呼んでおきたい。新型コロナ感染症は、今までの近代的な生活様式を直撃し、それに代わる新たな形態を要求するのではないだろうか。

とはいえ、ポスト近代の世界は、今のところ、ポジティブな形で見出されているわけではない。

「近代の終わり」が宣言されてから、ずいぶん経った。ニーチェあたりから計算すれば、もう150年も過ぎている。最初は「神」が死んで、その後に「人間」も死ぬはずだったが、思いのほか「人間」はしぶとく生き残っている。しかし、今度こそ、ほんとうに近代が終わるのだろうか。

いやいや、それほど甘いものではない。非常事態宣言が解除されたら、昔ながらの近代が舞い戻ってくるに違いない。したがって、「予感」かもしれないが、今回の感染症で見えてきた「ポスト近代」の姿を、しっかりと目に留めておかなくてはならない。

1.新型コロナ感染症はポスト近代の夢を見る?

そもそも、新型コロナ感染症にかんして、どうして「近代/ポスト近代」を語るのか。おそらく、こう問われるかもしれない。そのために、まずミシェル・フーコーの議論を確認することから始めよう。

周知のように、フーコーは『監獄の誕生』(1975)のなかで、近代社会のモデルとしてベンサムが考案した「パノプティコン(一望監視施設)」を描いている。これは、人々を同じ場所に集め、多様な形で配分して、規律訓練する効果的なシステムだ。

近代社会では、学校、工場、軍隊、病院、寄宿舎などが、監獄と同じ形式になっている。近代人は、こうした集団化のなかで規律訓練され、社会的な秩序を形成して生活している。

こうした近代的な「パノプティコン」を描くとき、フーコーの念頭にあったのは、ペストとの対応関係だった。たとえば、次のような記述を見れば、一目瞭然であろう。

「閉鎖され、細分され、各所で監視されるこの空間、そこでは個々人は固定した場所に組み入れられ、どんな些細な動きも取締まられ、あらゆる出来事が記帳され、中断のない書記作業が都市の中枢部と周辺部をつなぎ、権力は、階層秩序的な連続した図柄をもとに一様に行使され、たえず各個人は評定されて、生存者・病者・死者にふりわけられる――こうしたすべてが規律・訓練的な装置のまとまりのよいモデルを組み立てるのである。ペストの蔓延に対応するのが秩序であって、それはすべての混乱を解明する機能をもつ。」(*1)

こうした、近代社会に対応した病がペストだとすれば、それ以外はどう考えたらいいのだろうか。フーコーが語っているのは、近代以前の病であり、それを「らい病」と見なしている。

「らい病は排除の祭式をもたらし、その祭式は<大いなる閉じ込め>のモデルおよび言わばその一般的形式をある程度まで提供したのは事実だが、ペストのほうは規律・訓練の図式をもたらした。」(*2)

それでは、フーコーが分析した「近代社会」は、現代でも有効と言えるのだろうか。それについて、ジル・ドゥルーズは次のように語っていた。

「私たちが「管理社会」の時代にさしかかったことはたしかで、いまの社会は厳密な意味で規律型とは呼べないものになりました。フーコーはふつう、規律社会と、その中心的な技術である監禁(病院と監獄だけでなく、学校、工場、兵舎も含まれる)にいどんだ思想家だと思われています。

しかし、じつをいうとフーコーは、規律社会とは私たちにとって過去のものとなりつつある社会であり、もはや私たちの姿を映していないということを明らかにした先駆者のひとりなのです。」(*3)

このようにドゥルーズが語るとき、フーコーのように感染症との対応は示していない。しかし、ここであえて語ることにすれば、今回の新型コロナ感染症がいちばん適切ではないだろうか。そこで、近代とそれ以前・以後を図式化すれば、次のようになるだろう。


近代がペストに対応する形で規律と訓練の社会を形成したとすれば、ポスト近代の社会はコロナ型の社会を形成するのである。そして、その技術となるのが、人々を分散させつつ管理する、デジタルテクノロジーである。

フーコーが想定していた近代社会は、直接目で監視し、手とペンで記録する、といったアナログ技術にもとづいている。ところが、ポスト近代の社会では、コンピュータとそのネットワークを使って、いつでもどこでも管理するデジタル技術が中心となる。

2.新型コロナ感染症への対策について

今回の新型コロナ感染症の流行に対して、世界ではどんな対策が取られているのだろうか。それを見ると、「ポストコロナの世界」への展望がひらかれるかもしれない。そのさい、有効なワクチンや治療薬が開発されていないことが、前提となる。

もしこれが開発されていれば、今回の問題設定そのものが、意味をなさなくなるからだ。

さて、新型コロナ感染症への対策として、まず確認すべきは、アメリカやイギリス、フランスやイタリアなど、欧米諸国が取った方法である。非常事態を宣言し、都市封鎖(ロックダウン)を行なうのだ。通常の生活では認められる市民の自由を制限し、学校を休校にしたり、出勤を禁止したりする。

特別の事情がないかぎり外出できず、違反すれば罰せられるのだ。(これを「ロックダウン型」と呼ぼう)

今回の感染症では、無症状の感染者の割合が多く、しかもそうした無症状の感染者から感染が広がっている。また、発症するまで潜伏期間が長いので、どこに感染者がいるのか、特定が難しい。こうして、唯一の防御策として取られたのが、他人との接触を断つことだった。

この方法で、一定のあいだ人々が分散して生活すれば、病気の流行も終息へと向かうだろう。その結果として、非常事態が解除されることになる。

しかしながら、この方法で一時期流行を抑え込んでも、ウィルスそのものが消滅するわけではない。そのため、非常事態が解除されれば、やがて感染が広がるかもしれない。そうなると、再びロックダウンされることになる。こうして、同じサイクルが繰り返される。

そこで、こうしたサイクルを最初から拒否することも可能だ。これがもう一つの方法で、スウェーデンが採用する戦略である。ロックダウンのような厳格な行動制限を行なわず、通常の生活を維持しながら、国民が「集団免疫」を獲得するのを待つのだ。

これは一時期イギリスも試みたが、インペリアル・カレッジの報告書(*4)を受けて、「ロックダウン型」へ転換した経緯がある。(これを「集団免疫型」と呼ぼう)

しかし、現在のところ、有効なワクチンや治療薬がないかぎり、「集団免疫」が最終ゴールであることは否定できないだろう。(*5)「ロックダウン型」にしたところで、封鎖が解除されれば、再び感染が広がり、何度も同じことが繰り返される。

このサイクルの果てに、最終的に「集団免疫」が獲得されて、「ロックダウン」が必要なくなるわけである。この観点からすれば、「ロックダウン型」は「集団免疫」に至るまでの時間を、単に長引かせているだけと言えるかもしれない。

こうした二つの方法に対して、東アジアとくに台湾や韓国、あるいは中国(初期の武漢を除く)などで採用されたのは、「国民監視型」と呼べそうな戦略である。(*6)

デジタルテクノロジーとそのネットワークを利用して、国民一人一人の情報(身体状態、位置、行動など)を登録し、全員をダイレクトに管理するのだ。国家がその情報を掌握するだけでなく、各人の情報がスマートフォン画面に反映され、相互にチェックしたりする。

自分の周りに、どんな人がいるかも分かるので、人々がこれを確認すれば、感染者との濃厚接触も回避できる。

この「国民監視型」の方法は、人々の接触を避けて、社会的な距離を保つという点では、有効に働いたように見える。じっさい、この戦略を採用する国々では、感染者の数が劇的に減少し、新型コロナ対策としては成功している。

しかし、この場合、人々の個人情報が国家に常に把握され、管理されることは、覚悟しておくべきであろう。以上、3つの対策を図示化しておくことにしよう。


最初の二つは「近代」における二つの方法であり、最後のものは「ポスト近代」へ向かう方法と言えるだろう。欧米諸国は、近代的な生活に対して、非常事態を宣言していったん中断するか、そのまま通常生活を維持するか、いずれかの戦略を取ったのである。

これと違って、東アジアの国々では、デジタルテクノロジーとそのネットワークの発展を背景にして、ポスト近代へ向かう新たな規制を採用したわけである。

では、日本の場合はどうだったのだろうか。基本的には、近代の戦略であったが、そのやり方は中途半端なもので、「半=ロックダウン型」・「半=集団免疫型」とでも表現できるだろうか。監視については、デジタルテクノロジーをほとんど活用できず、近代的な(「昭和型の追跡調査」)を行なったと言える。

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