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- 2012年09月19日 04:36
中国化する日本 ——政治・経済・文明観のアーキタイプ 與那覇潤 × 飯田泰之(前編)
2/2◇「周回先回り」してしまった中国
飯田 その一方で自由主義経済とグローバル化の本家本元である中国が最終的に近代化、または機械工業化できなかったのはなぜなのでしょうか。與那覇 一つは、足立啓二先生が『専制国家史論』(柏書房)という本で、中国の専制レジームはある意味でポストモダン、現代の先駆けなんだということを書いています。大規模に組織された流通業をもてなかったことが原因ではないかといっている。完全にすべて個人化してしまうと、バラバラに商売はできても計画的な大量生産はできないんですね。
飯田 つまり資本の集積ができない。株式会社がつくれなかったといった話ですね。
與那覇 そうですね。すべて個人のネットワークで運営するから、妥当な比喩なのかどうかわからないですけど、最初から全部ヤフオク状態という感じ。
飯田 なるほど(笑)。
與那覇 逆にいうと、江戸時代は経済を国家がしばっていたおかげで巨大流通業ができたんですよね。三井越後屋などの大商店はヨーロッパのデパートよりも早くできました。中国はそれをつくれなくて、ある段階から先へは進めなかった。工業製品以前の貴重品など、職人さんのつくった嗜好品を売り買いするところまではいけるけど、工場に人を集めてきて規格化された製品を大量につくって大量に売ることはできなかったんです。
飯田 そのうち科学技術面でも差ができて追いつけなくなったと。
與那覇 集産主義や組織資本主義が通用しなくなるのがネオリベラリズムですが、中国の場合は、最初から組織資本主義の先にいってしまったんですね、周回遅れならぬ「周回先まわり」という感じで。
飯田 最初だけは国がある程度やったほうがいいという官営企業論はよくいわれますよね。経済学の世界にビックプッシュという理論があります。最初のうちは収穫逓増、つまりまとめてつくれば得というフェーズが必ずあるので、そこの段階を超えないと自由な経済はまわらない。その一方で、そこを超えるとあとは放っておいてもなんとかなる。発展途上国への大規模ODAの根拠にも使われたりします。
與那覇 要するに鉄道は最初は国がひいて国営ではじめて、途中から民営化するのが一番いいよという感じですね。
飯田 アメリカは鉄道バブルで超えたといわれています。後から考えるととても採算がとれない路線が、株式ブームに乗って大量にできた。人が住んでいないところ同士を結んだ意味のない鉄道も含め、ちまちまとつなげて、買収を繰り返して、全国交通網ができあがる。振り返るとほとんどの投資がバーストしているわけですが。日本の場合は日清戦争の賠償金で、その段階を超えたといわれています。
與那覇 どんな資本主義も最初は国家資本主義ではじまると。
飯田 それを続けた国はろくなことになりませんが。
與那覇 第二次大戦後の途上国で「最初だけ社会主義」が多かったのもそれに近い感じでしょうか。
飯田 開発独裁ですね。アメリカとイギリスだけは極めてめずらしいケースで、みんなが楽観的な投資活動をした結果、その段階を超えてしまった。「レイルロードタイクーン」といった経営シミュレーションゲームも流行りましたが、昔は鉄道開発、イコール国が広がることだったので、アメリカ人の琴線をくすぐったんだと思います。
與那覇 馬でフロンティアを征服したら、今度は鉄道で征服したいという欲求をかき立てるものがあったと。
飯田 そうですね。新しい土地に出ていくというのは好きなのかもしれない。
◇虚像の昭和30年代と、幸福が常態化した昭和40年代
飯田 中国が近代化できなかったのに対して、逆に日本はなぜうまくやれたのか。昭和10年あたりの段階では先進国とはいいませんが、所得水準の面でも張出大関ぐらいにはなっている。戦後はいうまでもないですね。ただ戦前は、日本は経済に関しては何もしていないんです。官営工場を高いお金出して無駄に買っただけです。與那覇 40年体制というのも、意外と戦後の経済成長への影響は大きくないといわれている。
飯田 邪魔はたくさんしましたよね。その意味でいうと、田中角栄が戦後、あるいは昭和で一番人気のある政治家なのには理由があるように感じます。
與那覇 一定の世代以上だとそうですね。2009年の朝日新聞のアンケートで、昭和といって連想する人物の一位が昭和天皇で、二位は田中角栄だった。
飯田 それはすごく正しいイメージかもしれない。
與那覇 大きく引き離された三位が美空ひばりで、以下に戦中から戦後にかけての首相が続きます。田中角栄はドラマになるわけでもないし、どっちかというと汚職のイメージが強いけど、ある程度の世代以上だとあれこそが戦後日本だよということになるんでしょう。
飯田 最近、「三丁目の夕日シンドローム」というのを提唱しているんですが、実はあの映画のなかで描かれていた昭和30年代は、昭和40年代に近いと思います。道路や電化製品はもちろん昭和30年代に合わせているんだけど、考え方や慣習が昭和30年代ではない。
與那覇 労働争議とか全然してなさそうですよね、あの映画のなかの人たち(笑)。
飯田 その通りです。昭和30年代は労使対立がのっぴきならないところまで進んでいたはず。労使協調とか、会社と労働者が仲良くやっているのは、むしろ昭和40年代後半の風景なんですよね。
與那覇 高度成長で分配するパイもできているし、社会党もものわかりがよくなってきた頃の話である、と。
飯田 集団就職で出てきて中小工場か自営業種、つまりは都市インフォーマルセクターで働かされている層と、その使用者とは強い対立関係にあったといっていい。映画に出てくるような温かい関係ではないでしょう。その意味でも昭和40年代のイメージに近いですよね。
與那覇 公明民社が定着して、そういう人たちもしっかり議会で代表してもらえていますという、ある種の家父長主義みたいな感じですよね。ものわかりのいい親が子に「大丈夫だ、俺が守ってあげるよ」といってくれるようになるのは、実はもっと後のこと。
飯田 昭和20年代のメーデーのテーマも「インド的低賃金からの脱却」ですから。戦後なのにまだそんなレベルの経済だったんです。
與那覇 でも映画にする時は、舞台を70年代にすると盛り上がらないから、やっぱりいいとこどりがしたいんでしょう。
飯田 大学生の実質所得、つまり仕送りとアルバイト代から授業料を差し引いた額を物価で調整したものですが、1980年と現在とで同じくらいだという指摘もあります。70年代だと携帯やテレビゲームこそありませんが、ほかは現在と大して変わらない。ディスコらしきモノも一般化し、学生もテニスサークルに入るし、今ぼくらがいるような喫茶店は当時からあった……という程度になっていたりする。
與那覇 大澤真幸さんが、「右肩上がり感」が肝なんだということを書かれています。あの作品の中の人たちは貧乏なままでも、その後は右肩上がりになっていくことをみんな知っているから、観客はあれを見て泣く。70年代はすでに幸せな停滞という感じで、右肩上がりではないですよね。最低水準は確保してみんな丸くなっていますが。高度成長期と低成長期の両方いいとこどりをすると、ああいう映画になる。
飯田 日本の原風景である水田栽培さえ、それが稲作の中心になったのは戦後だといわれます。水田すら日本の原風景ではなく、食料管理制度のもとで昭和40年頃につくられたものなわけです。江戸時代的なものの再来である昭和時代は、実は期間としてはそんなに長くなかったんじゃないか。でもなんでみんなこんなに好きなのでしょうか。
與那覇 昔、原田泰さんが40年体制は実は70年体制だということを書かれましたが、それに近いニュアンスなのかもしれません。
飯田 そうですね。終身雇用も基本的に70年代に成立している。
與那覇 本当はまだまだ臨時工みたいなものが多かったはずですよね。
飯田 『ALWAYS 三丁目の夕日』よりもつげ義春や水木しげるの漫画の世界のほうが、やたらと生活に苦しんでいて、よほど昭和30年代らしいと思いました。
與那覇 逆にいうと、それだけ日本人は幸せな70年代を送ることができた、稀有な人々だったということかもしれません。ヨーロッパではすごいスタグフレーションですよね。
飯田 73年と79年におこったオイルショックは、世界的には79年のほうがショックが大きいとされます。ところが日本の場合は日本銀行が天才的な冴えを見せて、その被害を最小限にとどめた。第二次オイルショックにはなりましたが、まず石油備蓄をしましたし、計画的にその在庫を放出もした。金融政策もびっくりするぐらいうまくやったので、インフレはおきたものの第一次オイルショックのような大惨事にならず、結果としてそんなに困らなかった。
與那覇 そこで学ぶ機会を逃してしまうんですね。そのときはそれが世界一幸せで、英米型の新自由主義で無駄をバシバシ切るほうにも変えなかったし、欧州型のコーポラティズムで労使協調というしくみにも変えなかった。自民党がそこそこうまくやってくれて、社会党がそこそこ文句いっています、それでいいじゃんということで終ってしまったんですね。
飯田 だから今、社民党は絶滅危惧種ですもんね。国会からいなくなるんじゃないかというぐらいの勢いです。
與那覇 比例区の定数削減がきたら危ないですよね。
飯田 選挙区からの選出っていましたっけ?
與那覇 沖縄が一応いますから、沖縄社会大衆党とかに吸収されるしかないのかもしれない(笑)。
(後編につづく)
※以上「α-synodos」vol.94より転載
與那覇潤(よなは・じゅん)1979年生まれ。東京大学教養学部超域文化科学科卒。同大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程単位取得満期退学、博士(学術)。日本学術振興会特別研究員等を経て、現在、愛知県立大学日本文化学部歴史文化学科准教授。専攻は日本近現代史。著書に『翻訳の政治学――近代東アジア世界の形成と日琉関係の変容』(岩波書店)、『帝国の残影――兵士・小津安二郎の昭和史』(NTT出版)、『中国化する日本――日中「文明の衝突」一千年史』(文藝春秋)。新刊に池田信夫との共著『「日本史」の終わり 変わる世界、変われない日本人』(PHP研究所)など。
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飯田泰之(いいだ・やすゆき) 1975年東京生まれ。エコノミスト。 東京大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科博士課程単位取得中退。 現在、駒澤大学経済学部准教授、財務省財務総合政策研究所客員研究員。 専門は経済政策、マクロ経済学。 主著に『経済学思考の技術――論理・経済理論・データを使って考える』(ダイヤモンド社)、『経済は損得で考えろ』(エンターブレイン)など。



