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中国化する日本 ——政治・経済・文明観のアーキタイプ 與那覇潤 × 飯田泰之(前編)

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リンク先を見る中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史

著者:與那覇 潤

販売元:文藝春秋

(2011-11-19)

販売元:Amazon.co.jp

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「日本特殊論」の原型を、源平合戦の時代まで探しにいく――

話題の『中国化する日本』の真意を探る対談の前編。

『ALWAYS』に涙する精神は、1000年前からセットされていた?

◇なぜ中国は「ヨーロッパ化」しなかったのか

飯田 與那覇さんの新著『中国化する日本』は各方面で話題騒然となっていますね。ご自身で注意書きを加えられていますが、「中国化」という言葉には、今の情勢では全日本人が「ドキッ」としてしまう。

與那覇 事前の予想通り、「中国の国家資本主義」とか「南シナ海政策」といった、経済学または地政学的な話だと思って手に取られた方も多かったんじゃないでしょうか。しかし、本書の「中国」が指すモデルは「宋」のことなんですよね。1000年前からの時間の幅のなかで、日中両国の現在を見てみようという発想になっています。宋朝のしくみを目指すのが「中国化」、それと180度逆の日本独自路線でいくのが「江戸時代化」という、二つの軸で歴史を書いてみようと。

飯田 中国では宋、日本では江戸時代が国と社会の形の原型になっているというのは、非常にわかる感覚です。たとえば、どの国でも大衆向け歴史物の時代設定となる時期はだいたい決まってきます。


アメリカなら開拓時代ですし、日本なら時代劇といえばほぼ江戸時代、中国でも大衆演劇や小説だと宋の時代ですね。日本でも有名な『水滸伝』に『金瓶梅』、大岡越前ネタの原型である包公故事やそれをスパイスにした『三侠五義』など、争乱モノでない時代物には宋の時代を舞台にしたものが多いようです。

與那覇 なるほど、そういう見方もありますね。それにしても日本人の中国史への興味が、なぜあんなにも三国志に集中してしまうのか不思議です。戦前の内藤湖南からすでに指摘があるにもかかわらず、日本人があまりにも知らなすぎる「世界で最初の近世社会であり、グローバル化の先駆けである宋」のイメージから、本書を書きはじめました。

飯田 読みながらふと気づいたんですが、西洋の自由主義開放勢力・グローバル化推進勢力は比較的戦争に強いのに、宋とその影響を受けた朝鮮や日本ではおしなべて戦争に弱かったというのは不思議ですね。

與那覇 そうですね。特に日本では、宋に学ぼうとしたグローバル化推進勢力がなかなか戦争、つまり内戦に勝てない。本のなかでも引用した小島毅先生が面白いことを書かれています。それは宋が成立する前、唐が滅んだ後の五代十国時代に、中国大陸も一種の戦国時代的な国家分裂状況になるのですが、そこで「宋が成立しない」というシナリオもありえたのではないかと。

飯田 つまり、ヨーロッパのようになるということですか。

與那覇 そうです。国家分裂したまま、主権国家が複数できて国際社会をつくるという可能性もあった。しかし、宋という帝国をもう一度つくって統一した。そこが中国独自のものが生まれた起源なんだというふうに書かれています。

飯田 春秋戦国時代の国は、基本的に民族で構成されています。ギリシャやローマにおける蛮族と同様、楚の国は言葉が通じない完全な異民族だったといわれる。そんな歴史があるのに、なぜか秦による統一以降は、中国は少なくともその中核地域は統一されるのが当たり前になる。一方ヨーロッパでは統一国家が成立しなかった。

與那覇 ローマ帝国崩壊後は、幻想として神聖ローマ帝国やナポレオン帝政や第三帝国が出てくるだけで、それを目指すと自滅しましたしね。

飯田 今も絶賛自滅中といっていいかもしれない(笑)。

◇「日本的改革勢力」は必ず分裂している?

飯田 また本の中では「ブロン」というユニークな概念について多く記述されていますね。

與那覇 「いいとこどり」を狙ってブドウとメロンを掛け合わせたら、ブドウのように小さな実がメロン並みの数しか実らない、そんなへんてこな植物ができてしまう。元ネタは星新一のショートショートで、日中両国の文化が混じって「悪いとこどり」な社会をつくってしまうことの比喩として使いました。

飯田 日本の近世におけるブロンとして思いつくのが、田沼時代から寛政の改革にかけての不思議なねじれです。ぼく自身、與那覇さんの本を読むまで気づかなかったんですが、松平定信と田沼意次、両者の経済政策と政治の組み合わせの悪さは、現代にまで受け継がれる「ニッポンのジレンマ」のように感じます。

『田沼意次の時代』(岩波現代文庫)に代表される大石慎三郎先生の一連の研究に詳しいですが、田沼は経済的には全国的な課税を模索し中央集権化を進めようとするのに、政治手法は江戸的です。その一方で封建領主、つまり大名からの中央集権化への反発のリーダーである松平定信は、反グローバル主義的で反自由主義経済的なのに、なぜか学問としては朱子学を重視するわけです。

そこで不思議なのは、理念としては朱子学を受け入れるが、実態は朱子学とはかけ離れていたほうがいいという、その掛け違いに松平定信の、ある意味で分裂的な志向があらわれていると思うのですが。

與那覇 網野善彦流にいうと、鎌倉幕府崩壊あたりから掛け違いがはじまるんですね。重商主義政策をとろうとする指導者が、同時に政治の集権化を進めてゆくという中国的な傾向が、鎌倉幕府の終わりの時期に見られます。

北条氏の得宗専制と呼ばれるものですが、しかし増長した御内人――これは北条氏の私的な家臣で、商業を基盤としていました――の平頼綱を誅殺するために、鎌倉幕府の公的な御家人――こちらは農業が基盤です――の力を借りるという、首尾一貫しない戦いが起こります。

同様のことを繰り返したのが後醍醐天皇です。幕府を潰して集権化したいのに、足利氏という有力な御家人に頼ったせいでまた寝首をかかれる。それが近世になっても続き、現代にまで至るというのが、網野さんの言いたかったことだと思います。

飯田 現代でも同じかもしれません。改革勢力は最後にはどこかで旧勢力と妥協してしまうし、せざるを得なくなる。

與那覇 小泉改革もそうですよね。加藤の乱が節目でしょうか。古い自民党と縁を切って、民主党などの新しく伸びてきた政党と組んでやればわかりやすかったのですが、うまくいかなかった。

飯田 民主党も不思議な政党で、旧自民党メンバーを数多く抱えながらも、最大の支持母体は労働組合なわけです。それは江戸時代以来,もしかしたら鎌倉幕府成立以来の「地位の非一貫性」の話とも結びついていて、誰かの首をとればおしまい、というのがないようにできている。

與那覇 そうですね。AとBが組んでCを倒そうか、あるいはAとCが組んでBを倒そうか、という話ばっかりで、ビジョンの首尾一貫した完全な勝利者が出て来ない。近世思想史でいうと、国家神道は仏教を倒すための儒教神道連合軍として生まれたのだと小島毅さんが書いています。山本七平風にいえばそれこそが「現人神の創作者」、すなわち儒教の絶対的な天観念と、神道的な生き神思想のアマルガムだったわけですが。

飯田 儒教と神道は一番遠い様に感じますが、反仏教のところでくっついてしまったわけですね。この手の組み合わせの悪さは枚挙にいとまがないといってもよいでしょう。

◇サンデル・ブームが映しだしたもの

飯田 「中国的と江戸的」という軸は、「リベラルとコミュニタリアン」「新自由主義とケインズ主義」という思想の軸としても整理できるのではないでしょうか。その悪い組み合わせを無理矢理に正当化するのが陽明学、それも日本的な意味での陽明学かもしれません。日本では陽明学ムーブメント――動機さえ正しければとにかく何か行動すれば良し、といった空気――が凄い人気を集めてしまうことがある。

與那覇さんが本のなかで提示された解決策の一つが「アメリカを徹底して褒める」というものです。もうそれしかないのかな、とぼくも感じるんですが、このグローバル化=中国化は、ここ数年どうも逆回転し始めているようです。経済でいうと新自由主義からケインズ主義へ、政治哲学でいうとリベラリズムからコミュニタリアニズムへ。もっとも僕はサンデルの本を何回読んでも論理的に理解できないのですが、なんだか「心に触れる」という。

與那覇 サンデルは、あのTVで話題になった講義内容の方だと、コミュニタリアニズムに引っ張っていこうという考えがあまり強く出ていないですよね。日本人のサンデルファンが、はたして彼の思想をどう受け取っているのか。

飯田 その一方でケインズ主義を攻撃しますが、経済学的にはちょっとおかしい。コミュニタリアニズムの理念を支えられるのはケインズ主義しかないと思うのですが。もっともこれは、アメリカにおける政治と経済政策の立ち位置の問題が絡んでいるのかもしれません。

與那覇 サンデルは保守派だと思われているから、ということですか。

飯田 「保守対リベラル」の二項対立から抜け出したいというのもあるでしょうね。アメリカでケインズ派というと、リベラルの代表というイメージで見られてしまいますから。

與那覇 それこそロールズが存命だったら、NHKを通じて今、ロールズブームが起きていたりしたんでしょうか。

飯田 それはどうでしょう。日本人の情感にロールズは訴えないような気がします。ロールズの論文はすごく理解できるのだけれど、「心」に触れない、という感じで。サンデルの考え方が日本で爆発的に受け入れられる理由の一つは、善とは何か、悪とは何かという基準がないからなんですよね。これを日本的な「場の論理」との類似でとらえることが出来るかと思います。

與那覇 なるほど。場じゃなくて論理で押し切るような、クリアカットなものは受けない。

飯田 サンデルはいいことをいっている気はするが、論理的な部分の僕がぜんぜん納得してくれないんです。

與那覇 五木寛之的なものであったと(笑)。いいことをいうが、全体を通して何をいっているかがわからない。

◇「江戸ノスタルジア」の向こう側に待っているもの

飯田 「中国化」というテーマはもちろん僕の頭の中にはなかったのですが、ケインズ主義の利点というのは、「偽職」、つまり本当だったら存在しなかったはずの職を配ることです。これは理論的には十分あり得る考え方です。

失業者が大量にいると賃金の引き下げ圧力が生まれますが、少なくとも偽職を与えお金を渡しているとそうならない。これが重要と唱えているのが阪大の小野善康教授です。一方、ミルトン・フリードマンや金融政策を重視する派は「偽金」、つまり不換紙幣を出せという。バラまくのは職かお金かといったときに、リベラルな人ほどお金が好きですよね。

與那覇 そうですね。ギリギリ可能な範囲まで、特定のアイデンティティを強制しない「負荷なき自己」でいきましょうと。

飯田 たとえば「東日本大震災復興のためにこういう仕事が必要です」という物語つきで渡すのか、あるいは「生活に困っているからお金がこれだけ必要ですね」というふうに渡すのか。僕はお金派ですが、日本人にとっては物語つきのほうが好ましい、というのはたぶんあるのだろうと思います。

與那覇 それはやはり、社会保障はお金の保証ではなく職の保証だと思い続けてきた帰結で、その原点がまさに江戸時代の武士の偽職そのものですよね。彼らは大名行列程度のことをやって給料をもらっていたわけですから。中国化を肯定して売れる本は日本ではおそらくありませんが、逆に江戸時代を肯定する本は飛ぶように売れます。

飯田 『江戸の想像力』(ちくま学芸文庫)など、田中優子さんの著作がいい例ですよね。

與那覇 江戸ノスタルジアの内実を解剖した渡辺京二さんの『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)もそうですね。江戸時代は職業規制をしているせいで、竹ひご細工などの小物をつくるだけの職種でも食べていける時代だった。これは一つの文明の成熟ではないかと渡辺さんは評価している。しかし一方で「ガラパゴス化の原点」でもあるんですよね。独自性は高くても、普遍性や相互互換性がない。

飯田 流通網があったからそこまで分業ができたんですね。江戸時代は、日本国内に「江戸」と「江戸以外」の2つの国が存在したと僕は考えています。小物をつくって生活できたのは、江戸に限ったことではないでしょうか。あるいは京阪もそうかもしれませんが、都市は別天地といった感覚はあると思います。

與那覇 「ブルジョア」と「プロレタリア」のトゥー・ネイションズ(2種類の国民)じゃないですけど、「超大都市」と「田舎」という感じですね。

飯田 「香港」と「中国本土」でもいいかもしれない。完全に一国二制度ではないかと思える。

與那覇 それでいくと、「平壌」と「それ以外」ともいえますね(笑)。農村にいる人たちは何とか食べてはいけるが、労働条件を見ると本当に悲惨。江戸時代は「ちょっとパフォーマンスのいい北朝鮮」といった感じだと思います。

飯田 別の視点から見れば、農村は食べていけるだけ豊かですが、江戸の低層民はわけがわからないくらい悲惨。江戸の町中だけ19世紀ロンドンのような階層社会になり、田舎はわりと落ち着いた中世のようになっている。

與那覇 本来は経済効率的には非効率であるはずの身分制度や封建制を残したら、それが地域を超えた不況や貧困の蔓延をブロックするショックアブソーバーとして機能したけれど、アブソーバーの恩恵を得られる人と得られない人が固定化するという問題が起きた。

今年のお正月に飯田先生が出演されていた、NHKの討論番組「ニッポンのジレンマ」のテーマにもつながりますね。格差自体は必要悪だが、格差の固定化は許せないという説は江戸時代にもあったのでしょう。農村でアブソーブしてもらえる人と、そこからはじかれて都市で見捨てられる人の差が、生まれた順――家を継げるか否か――で決まるのかと。それは耐えられないという話になるわけです。

飯田 効率化や自由化とすんなり同居できるリベラリズムとは異なり、日本的なものや江戸的なものは、効率化にとっては夾雑物でしかないんです。その一方で、不思議なもので夾雑物が多いほうが社会が安定する。経済学からの類推ですが、すべての市場が完全に自由化され、かつ摩擦がない経済になるとショックが全部経済変動になる。

岩井克人先生が、現代に残っている資本主義的ではない規制や慣習が、実はショックアブソーバーなんだという指摘をされています。統一的な原理に従った集権的な政治経済システムで、自由市場化が徹底された場合、景気はジェットコースター型になるのかなと思ったりします。

與那覇 それがたぶん中国化なんでしょうね。

飯田 2000年代の世界経済はものすごい振幅を経験したので、場合によっては江戸っぽいものの長所はそこにあるのかなと思ったりもする。

與那覇 サブプライムローン問題も、江戸的な夾雑物を排除しきったがゆえのジェットコースターですかね。コミュニティで居場所を確保するのではなく、バラバラの個人でもローンを組めば家がもてますよということをやっていたら、うまくいってるときはみんなリッチに住めていたけど、うまくいかなくなったら全員追い出された。

飯田 もっとも、今日のユーロ危機までリーマンショックと同じ文脈で語る人がいますが、これは真逆の失敗です。単に時期が近くて二つ起きた危機なので、何か同じ根っこを探しているけれど、実はもっとも対照的な危機が連続して起きてしまった。サブプライムローンは市場の失敗であり、ユーロ危機は知性の失敗。放っておいたらうまくいくと思っていたらやっぱりうまくいかなかったという話と、人間が設計した「最適なシステム」がうまくいかなかったという話です。これに加えて最近は、日本化する世界経済といわれることも多いようです。

與那覇 というか中国的な失敗と江戸的な失敗が混じっているのだとしたら、それこそブロン化する世界経済です(笑)。

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