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「人間の小さな声を拾い上げるために」― 吉岡 忍(ノンフィクション作家) Part1

『石井光太責任編集 ノンフィクション新世紀』(河出書房新社)の刊行と連動して、2012年7月28日にシナリオセンター(東京都港区)で開催された「総合ナビゲーター・石井光太 ノンフィクション連続講座」第3回。日航機事故について書いた『墜落の夏-日航123便事故全記録』で知られるノンフィクション作家・吉岡忍氏に、人間の小さな声を拾い上げる発想法から取材方法を聞いた。

ゲスト:吉岡 忍(よしおか しのぶ)
ノンフィクション作家。1948年長野県生まれ。早稲田大学政治経済学部在学中に、ベトナム反戦運動「べ兵連」に参加し、米軍脱走兵の逃亡支援活動に従事。また「ベ兵連ニュース」の編集長も務める。その後、ノンフィクション作家となり、『墜落の夏—日航123便事故全記録』で第9回講談社ノンフィクション賞を受賞する。他の著書に『日本人ごっこ』『鏡の国のクーデター』『M/世界の、憂鬱な先端』他多数。

■総合ナビゲーター・石井光太のコメント■
「ノンフィクションの分野には、世界を一変させるほどの素晴らしい作品が林立しています。フィクションとは違い、ノンフィクションにはたった一本の作品で、読者の人生観や世界観、あるいは世の中の流れを丸ごと変えてしまう力があります。しかし、現実を題材にするため、なかなかそれを書いている作家やその手法に光があたりません。そこで、ノンフィクション連続講座では、著名な作家が代表作をどのように発想し、調べ、取材し、執筆したのかということを直接詳しくお聞きしています。作家たちは誰も見たことのない現実にどのように目を向けたのか。そしてそこに入り込み、取材をし、作品をつくりあげたのか。こうしたことは、現実=ノンフィクションの世界に生きている全ての人に役に立つ発想だと確信しています。ぜひ、講座内容を聞いてみてください」

【ゲストの代表作品】

『墜落の夏 —日航123便事故全記録』

520人が死亡した日航機墜落事故、国内最大規模の事故発生の細密を描き、わずかな生存者の声に耳を傾ける。遺族に更なる苦痛を与えた補償金問題、そして、〈ビッグ・ビジネス・シャトル〉がいかなる経済システムを誘発し利便を最優先してきたのかまで、飛行機事故に翻弄された人々と社会に冷静な筆致で迫っていく。気丈に振る舞うスチュワーデス、動転するエリートサラリーマン、著者はこのジャンボジェットを「日本社会の現在を眺望している」かのようだと書く。高度成長への警鐘、人間が均質化されることへの疑義をぶつけていく。最後まで生きようとした人々、腐臭の中で我が子を探す遺族、事件をビジネスに利用しようとする愚か者、飛行機事故がもたらした人間の悲哀を捉えた傑作。

(『石井光太責任編集 ノンフィクション新世紀』ノンフィクション年表1980ー2011より抜粋)

活字でなく、体験で知りたくてノンフィクション作家になった

——事故ノンフィクションの金字塔である、1985年8月12日に起きた日航機事故について記した『墜落の夏——日航123便事故全記録』。1988〜89年に幼女4人を誘拐惨殺した宮崎勤について書いた『M/世界の、憂鬱な先端』といった素晴らしいノンフィクション作品で知られる吉岡忍さん。まず、ノンフィクション作家になった経緯についてお教えいただけませんでしょうか。

吉岡 私は教員だった父親の影響もあって、高校卒業時までに2000冊くらい、とにかく本を読んできました。小遣いは多くはもらえませんでしたが、本だけは”つけ”で買ってよかった(笑)。そして、早稲田大学に入学した1967年当時はベトナム戦争の真っ最中だったので、入学直後から「ベ平連」という市民運動の反戦運動に参加したのですが、そこで小田実さん、開高健さん、大江健三郎さん、真継伸彦さん、少し上では堀田善衛さん、野間宏さんといった作家たちにお会いすることになります。私は、その作家たちに連れられて、ときどきお茶を飲んだり、食事に行きました。作家同士は一方でライバル意識があるのか、なかなか一緒に行かないんですが、行く場合は、真ん中にゴミ箱みたいに(笑)、私のような誰かクッションを置く。彼らと一緒に食事に行くと、「最近はこの本を読んだ」という読書話が始まる。その場にいるわけだから、どんどん耳年増になっていきます。

 サルトルやドストエフスキー、金子光晴といった、すでに翻訳があったり、過去の作品であれば私も多少は読んできたから分かるのですが、彼らはいま現在の作品の話をするんです。例えば、当時はアメリカのSF作家カート・ヴォネガット、言語学者のノーム・チョムスキーなどが話題になっていました。一方が鞄から取り出して、「この本面白かったよ」と言うと、もう一方も「読んだ」「面白いね」なんて言う。だから、私もつい知っているよ、と言いたくなる。でも、本当は、知らない(笑)。別れ際、その作家から「これ読んだからあげるよ」と言われて、いま話題になっていた本をもらったりする。原書で、まったく歯が立たないんだけど、次に会う時までに少しは読まないと、と思い、辞書片手に10行ずつくらい読むわけね。そうやっていくと、どんどん物知りになっていく。

 ただ、そこで気づいたのは、私が知っているのは「活字」を通してだけだ、ということです。開高さんは、ベトナム戦争に従軍してレポートし、戦場を知っている(『ベトナム戦記』など)。小田さんは、世界を回り、やたらと現場を知っている(『何でも見てやろう』など)。最初は、そうした作家たちとの関係は大学なんかよりずっと心地よいし、充実していたんですが、徐々に「物を知るとはどういうことなんだろう」ということを考えるようになる。そうすると、ただ知ったかぶりをしてきた自分が見えてきて、自己嫌悪に陥るんですね。当時、同世代に比べるとはるかにものを知っていたと思うけど、ただ活字でしか、つまり間接的にしか知らなかった。自分で見たり、聞いたり、体験して知るということをしていない、ということに私はコンプレックスを持つようになったんです。

 私は学生時代から週刊誌、雑誌などに原稿を書いていたんですが、それが情報加工業に過ぎないということはわかっていました。だから、自分で体を動かし、自分で歩いて知らなくてはと考えて、20代半ばから30歳くらいまでアメリカ、メキシコや東南アジアを旅行し、1年のうち半分は日本にいないような生活だった。単に旅するだけでなく、タイやマレーシア、インドネシア、ビルマ(現在のミャンマー)など東南アジアにいた時は、行く先々で本を買い、その作者に会いに行ったりしました。現地で詩の翻訳もした。そして日本に帰っきてから、本格的に物書きになっていきました。自分の体を通して知っていくことと、物を書くのが並行して始まったという感じです。

誰も目が届いていない太陽のなかの黒点を見る

——吉岡さんの初期の代表作である『墜落の夏 —日航123便事故全記録』は、1985年に起きた日航機墜落事故を取材し、いち早く1年後に刊行しましたが、どのような経緯があったのでしょう。

吉岡 日航機事故の1年ほど前から『新潮45』で、死んだ人のことばかり書く連載をしていたんです。例えば、三島由紀夫の小説『金閣寺』に出てくる金閣寺の住職です。小説の中ではとんでもない俗物として描かれ、主人公が金閣寺に火を放つ原因になる人物ですが、当時、その方が亡くなった。京都まで行き、本当はどういう人だったのかを周辺にいた人たちに聞いて書く。小説の中の人物像とはまったくちがう人でしたね。あるいは、新宿4丁目のビルから飛び降り自殺した岡田有希子という若いタレントの話。その後、何十人というファンたちが後追い自殺した。その少年少女の家や学校などを訪ね歩いて書くというような連載です。全部「死」の話ですね。のちにこれは、『死よりも遠くへ』というタイトルで新潮社から出版されています。

 東日本大震災で遺体安置所のことを書いた石井さんとは隔世の感があるんですが、当時は「死」という言葉、死を感じさせる言葉が題名や書名に入っていると、絶対に売れない、と言われていました。右肩上がりでバブルに向かっている時代ですから、暗い話題、人を不安にさせる本は受け入れられなかった。たしかその本も単行本では3刷くらいでストップしたはずです。

 その連載中に、いっぺんに520人が犠牲となった日航機事故が起きました。『新潮45』の連載では一人ひとりの死を取材して書いてきましたから、もし書くとしたら、520回も連載をしなくてはならない。これはできないし、やりたくないとも考えました。その一方で、「死」をめぐるノンフィクションも1年くらい続いてきて、一区切りついた段階でしたから、編集部から「これ、やりませんか」と連絡があったとき、この事故に向き合う方法はないものか、と迷いました。「私にはできないですよ」と答えましたが、翌日には群馬県に行っていた。

——一瞬じゃないですか! どのようなルートで現地に行かれたのですか。

吉岡 まず群馬県藤岡市に行きました。そこの体育館が墜落現場の御巣鷹山からおろしてきた遺体の収容場所になっていました。520人も死者がいるということは、その遺族や親族・友人知人などその10倍以上の人がいるわけですね。また1機としては世界最大の事故ですから、世界中からメディアがやってくる。現地は5000人、6000人の人々でごった返していた。そこに私1人で飛び込んでいっても、足がすくむわけですよ。私は車の免許を持っていないから、運転ができなかった。遺体安置所となった体育館から墜落現場までは、車で行けるところまで行ってから、山登りで4〜5時間かかる山中でしたから、現場に行くのは無理だと思い、ひとまず1泊か2泊で東京に帰ってきた。

 新潮社の編集部に報告に行った帰り、地下鉄に乗りながら「現地は無理だけど、日本航空に行ってみようか」と、ふと思いついたんですね。そして、行ってみたら、緊迫はしているけれど、メディアも遺族もいなくてガランとしていた。テレビも新聞も、東日本大震災の時と同じようにずっと現地に張りついている。喩えるなら、太陽の黒点みたいなもので、事故全体がぎらぎら輝く太陽だとしたら、そんな太陽にも燃えていない黒点があり、誰もいない本社は正にその黒点だなと思いました。そこにいた社員たちに話を聞くと、みんないろいろ話してくれる。むしろ誰かと話したがっている様子だった。そこから取材が始まったんですね。

——『墜落の夏』はものすごい作品で、事故が起きてから翌年に出版しているにも関わらず、なぜあの事件が起きたかが克明に描かれているんです。どうやって調べたのかと思ったのですが、そういうことだったんですね。

吉岡 そのころ私は、なぜ飛行機が空を飛ぶのかという原理さえ知りませんでした。山ほどの専門書も読みましたが、それもさっき言った頭だけの理解ですから、自信がない。だから、ジャンボ機の構造や操縦の仕方、データの読み方について、日本航空だけでなく全日本空輸のパイロットの人や整備の人に「操縦はこうするんですよ」とか、「このデータはこうやって読むんですよ」という手ほどきを受けました。

 そして、仕事部屋の壁じゅうにフライトレコーダーのデータを貼って、日々、目に焼き付けていました。羽田空港の整備場に行ったときは、お土産屋さんで売っていた子供向けのジャンボ機のおもちゃを買ってきて、「ダッチロールとはどういう状況か」「ここにある第一エンジンを動かすとどういうことが起きるか」ということを、実際におもちゃを動かしてもらいながら教えてもらった。

詰問でなく「何を知りたいか」を相手に伝えることが取材??

——今で言うと、東日本大震災後、東電の本社で原発の原理を教えてもらったようなものですよね。このノンフィクション講座第2回で『戦争広告代理店』の著者・高木徹さん(TVディレクター)の話を聞いた時も、いきなりアポなしで取材に行って全部資料をもらったことがあったと言っていましたけど、ノンフィクションって常にそういう”運”がありますね。行ってみたら何かが起きちゃったという「運」。皆、行かないだけの話で、行ってしまったら全てがうまく回転していく、って瞬間がありますよね。

吉岡 本当にそうですね。ただ、そういうときの取材は、日本航空に向かって「なんでこんな事故を起こしたんだ」と詰問するわけではありません。そこで、テレビなんかでよく見るようなのと同じような詰問をしてしまっては、私たちの取材はそこで終わってしまうんですよ。

 そうではなくて、私は何を知りたいのかということを伝えさえすえば、相手はしゃべってくれる。人間はしゃべる動物、話す動物です。取材相手に「この人は何を知りたいのだろうか」をどう伝えるかが、取材のポイントなんですね。世間話をする、と言うと一番わかりやすいかもしれないけど、口調でも、表情でも、世間話をするような感じでする。そのなかでも「何を知りたいのか」が相手に伝わるように熱心に話さなければならないんですよ。それに、大きな事故とか、東日本大震災のような大きな自然災害が起きた当初、なぜこんな事故が起きたか、なぜこんな自然災害が起きたのかという「なぜ」は誰もわからないわけですよ。誰もわかっていない、だから一緒に考えてほしいということが取材相手に伝われば、相手は話し始めるんです。

 私は自分の取材内容を録音したテープやICレコーダーを聞くのがすごく嫌なんですよ。なぜなら、いつもだいたい3時間くらい取材するんですけど、3分の2は私がしゃべっている(笑)。つまり、何を知りたいのかを説明する前に、私が何者であるかから始まる。フリーであるということは、「朝日新聞です」とか「NHKです」というように簡単にはいかない。私は何者であるのかから説明しなければならない。まず、そこまでで20〜30分かかる。事故を起こした会社であろうと、人を殺した人であろう、「あっ、こいつに話してもいいかな」という安心感や信頼感をどう作るかが、第1ステップですから。だから詰問はしないし、「飛行機はなぜ飛ぶんですか」とか、「この線はどういう意味なんですか」とか1つ1つ丁寧に聞いていく。もう1つ大事なのは、自分で体験することです。実際に飛行機に乗って、コクピットに乗って同じコースを飛んでみることまではやりますね。

誰よりも早く、事故の様子を生存者から7時間かけて聞いた

——『墜落の夏』で一番すごいのは、第2章「三十二分間の真実」です。実際に飛行機に乗っていた4人の生存者のなかの、日本航空のスチュワーデスだった落合由美さんの証言を掲載しました。当時、メディアは変装などありとあらゆる手段を使って、インタビューしようと試みましたが、できませんでした。なぜ、吉岡さんだけが、落合さんに取材できたのでしょう。

吉岡 国内外含めてメディア全社、事故調査委員会も4人の生存者から話を聞きたがりました。私は、生存者に話を、というよりも、一定程度、専門知識がある人から話を聞きたかったんです。そうでないと墜落の意味がわからない。となると、このときは一般乗客としてですが、乗り合わせていたスチュワーデスの落合さんに聞くしかないなと思っていたんです。だから、落合さんにしかアプローチしていません。

 なぜ彼女にインタビューできたか——。そんなに難しいことはしていません。それこそ私が何者であるかから始まる手紙を書きましたし、日航機事故について書いた雑誌の連載も病室に送っていました。落合さんは本当に凄まじい怪我をされていましたから、入院した直後の取材は絶対に無理ですよね。リハビリが始まった時に、「あ、一段落したんだな」と思って、取材申し込みを始めました。

——何カ月後くらいのことですか。

吉岡 3〜4カ月後くらいですかね。取材申し込みは、落合さんには悪いけど、男が女をどうやってくどくのかと同じようなもので、花束は贈るし、手紙は書くしと何でもしました。これはみんな間違えるんですが、病院では、世話をしている看護婦さんを大事にしなくてはいけない(笑)。だから、まず看護婦さんから仲良くなってと段階を踏んでいく。

 ただ、落合さんも一回はしっかり話さないといけないと思っていたんですね。これは後で、日本航空の人に言われましたけど、当時落合さんは、まだ日本航空の社員でしたから、従業員規則に従わなければならない。従業員がメディアの取材を受けるとき、会社の許可を取らなければならないんです。彼女が立派だったのは、取材の許可を会社に求めたら嫌な顔をするに決まっているからと、会社に黙ってインタビューに応じてくれたんです。

 事故直後に事故調査委員会が聴き取りをした時は、重傷で入院していた最中ですから、15分程度しか話していない。そんな話では、何もわからない。私は病院を訪ね、インタビューで4時間、確認で3時間の合計7時間話を聞きました。取材時には録音し、取材後に私自身でテープを起こし、話が飛ぶので前後関係を直しながら、最初から最後まで一度書きました。その後、彼女に見てもらいました。今度は病院内の喫茶店でお茶を飲みながら、1行1行読んでもらった。事故調査委員会の調査でも絶対に引用されると思っていましたから、間違っていたら、私自身のミスにもなるし、事故調査委員会のミスにもなるので、時間をかけて確認してもらった。もう2人とも、くたくたになりました。

——事故当時のものすごい恐怖について聞く訳ですから、一般的に考えて落合さんも普通に受け答えはできないですよね。取材の時はどういった感じだったんですか。

吉岡 墜落していく航空機のなかにいるなんて、こんな体験をした人はめったにいない。聞く方だって、初めての体験です。離陸12分後、パーンと音がした最初の段階などはいいのですが、富士山の上を旋回して、御巣鷹山に向かいながら落ちていくところまでの32分間、その時の重力や時間の感覚、周りの人はどうだっかとか事細かく聞いていく。意地が悪いのではなく、正確性を期すためには詳細に聞く必要がありました。

——当然、落合さんは細かいところを飛ばそうとしますよね。

吉岡 はい。でも、こちらは飛ばしてもらったら1分、1秒のあいだが埋まらないですから、話をもどしては、事細かに聞いていく。そのうち、彼女が震えだすのがわかる。恐怖の一瞬一瞬を思い出すわけですからね。記憶の奥に抑えていたことを、掘り出すわけですから、フラッシュバックも起きる。震えだすし、青ざめたし、言葉に詰まったし、涙ぐむし、すさまじい状況でした。でも耐えてくれました。

 しかもその後、再びテープ起こしをした原稿を本人に読んでもらいます。その時も、同じような状況でした。もう1回、当時の状況を思い出してもらい、その現場に引き戻す。取材者ではなく、一人の人間としては、相当に残酷な仕打ちですね、これは。

——ノンフィクション作家をやっていると、なんでこんな残酷なことを聞くんだと言われますけど、取材している方もきついですよね。

吉岡 だけれども、話を聞いていると、「緊張感を切らしてはいけない」瞬間というのがありますよね。この緊張感をずらしたら、もう1回事故当時まで記憶を戻して、もう1回当時の状況に連れ出すことになりますから。それは私もわかっているから、申し訳ないと思いながら、事細かく聞いていく。取材者、取材対象者の両方ともが、こういう辛さを潜り抜けなければいけない。 (つづく)

【聞き手】 石井 光太(いしい・こうた)
ノンフィクション作家 1977年東京都生まれ。2001年に日本大学芸術学部卒業後、海外ルポをはじめ、貧困、医療、戦争、文化などをテーマに取材、執筆活動を行っている。05年『物乞う仏陀』でデビューし、『神の棄てた裸体』、『レンタルチャイルド』、『地を這う祈り』、『飢餓浄土』『遺体――震災、津波の果てに』など著作多数。最新作は『石井光太責任編集 ノンフィクション新世紀』。 公式サイト

総合ナビゲーター・石井光太 ノンフィクション連続講座
「ノンフィクション連続講座」とは、東日本大震災後の遺体安置所のルポルタージュ、『遺体――震災、津波の果てに』が話題のノンフィクション作家・石井光太氏が聞き手となり、ノンフィクションの世界で活躍する方々にこれまでの作品に関する発想法から、取材、執筆にいたるまでの制作過程についてお話しいただく講座。それぞれの世界の見方、切り取り方を詳しくお聞きし、「ノンフィクションとはなにか」「現実を見つめるとはどういうことなのか」を考えるきっかけとなることを目的に定期的に開催しています。イベントプロジェクト・Youlaboと河出書房新社、シナリオセンターによって運営しています。これまでに開催した、松本仁一(ジャーナリスト)、森達也(映画監督/作家)、高木徹(TVディレクター)、藤原新也(作家/写真家)の講義は、8月下旬に刊行された『石井光太責任編集 ノンフィクション新世紀』(河出書房新社、税込1680円)に収録されています。

次回の「総合ナビゲーター・石井光太 ノンフィクション連続講座」は、10/7(日)に開催します!ゲストは、石川文洋氏(報道カメラマン)、国分拓氏(TVディレクター)。 国分拓監督『ヤノマミ(劇場版)』上映も同時に行いますので、ぜひご参加いただければ幸いです。申し込み

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