記事

パンデミック後の『ニュー・ノーマル』の姿を考える

1/2

りんごが木から落ちるのを見て、ニュートンは万有引力の法則を思いついた、という有名な逸話がある。17世紀中盤のことだ。ところで、ケンブリッジ大学の多忙な研究者だったはずのアイザック・ニュートンは、なぜ、のんびりと林檎の木の下なんかで、寝転がっていたのか? (寝転がっていたというのは、もしかしたらわたしの誤解なのかもしれないが、でもなぜ彼は、田園地帯でブラブラしていたのか?)

答えは、「疫病のため、都市のロックダウンが行われ、ケンブリッジ大学も封鎖されていたから」である。当時、恐ろしい疫病ペストがロンドンを始め英国の各都市をおそい、ニュートンも1年半にわたって故郷の田舎に帰っていたのだ。

ペスト(黒死病)は、中世末期から何度かにわたって欧州に蔓延し、ヨーロッパの人口の1/4以上が亡くなるほどの恐ろしい病気だった。農民反乱が頻発して、封建領主は農奴への負担を軽減し、また貨幣地代への移行も進んで、ヨーロッパ荘園経済は衰微する。他方、宗教と学問の権威は失墜する。ペストの大流行は、中世社会の秩序を崩すきっかけとなるほど、インパクトある出来事であった。

西洋社会は、これまでの歴史上、パンデミックを何度も経験してきた。彼らにとって都市封鎖は、決して今回が初めての体験ではない。そしてパンデミック現象は、すでに限度に近づいている社会制度の歪みを、あぶり出し、突き崩すものだということを、彼らは経験的に知っている。世界規模での疫病の流行は、社会に不可逆的な変化をもたらす可能性が高い。それが、西洋人の基本的な認識なのだ。

“New normal”という言葉は、3月頃から欧州のメディアに登場するようになった。今回のCovid-19によるパンデミック禍の後に来る、新しい社会秩序である。今の疫病が去った後も、社会は、決して元と同じ状態には戻らない。それを、『ニュー・ノーマル』と呼ぶ。ニュー・ノーマルの語は、2008年の世界金融危機(リーマンショック)後にも使われたが、今回はより真剣な形で、多くの人が論じている。

たとえば、10年前から感染症の危険について警告を発してきた、ビル・ゲイツ。ちなみに彼の財団は、米国についで2番目に多くWHOに資金を拠出している。中国寄りと批判されたWHOだが、誰の影響が強いか、話はそう単純ではない。

https://www.linkedin.com/pulse/new-normal-according-bill-gates-when-arrives-daniel-roth/

あるいは、自分自身もCovid-19に感染して入院し、ICUまで行った英国のボリス・ジョンソン首相。彼はSocial distancingが今後の常態になり、学校再開も以前の形では行えないとする。

https://www.theguardian.com/world/2020/apr/26/boris-johnson-returns-to-no-10-and-a-government-under-pressure

(余談だが、英語で"social distance”という時のソーシャルとは、「社交上の」「人と人の間の」という意味だ。これを「社会的な」距離、と訳してしまうと誤解する。西洋人や中東人は、握手し合ったり、体を接して頬を寄せ合ったりする、接触的な挨拶が習慣だ。だから、他人と1.5m以上の距離を取れ、などと言われると、ひどく面食らった気分になるだろう。知り合いのフランス人は、「わたし達はお互いに、まるで日本人みたいに挨拶するようになった」とジョークを言っていた)

そしてもう一人、イアン・ブレマー氏の「ニュー・ノーマル」論も紹介しておこう。彼はビル・ゲイツやジョンソン首相ほど有名ではないが、地政学リスク専門のコンサルティング会社「ユーラシア・グループ」の社長で、毎年「世界の10大リスク」を発表してきた人だ。彼は3つの潮流を予想している(日本経済新聞4月16日朝刊)。

1. 脱グローバル化:グローバル企業は「ジャストインタイム」方式のサプライチェーンを世界中に構築してきたが、生産拠点を国内に戻すなど再構築を迫られている。

(彼は最近、これを"Great decoupling"とよんでいる。ちなみにDecouplingとは、在庫によってサプライチェーンを機能分割することであるが、日本の経済メディアはSCM用語をよく知らないらしく、「分断」と訳している)

2. ナショナリズム:今回の危機に各国はバラバラに対応しており、協調性の欠如は世界の新秩序の特徴になる。また貧困層が打撃を受け、社会には極端な意見が飛び交うようになる。

3. 中国の台頭:経済大国や技術大国としてだけでなく、今回のコロナ危機を機会に政治超大国として「ソフトパワー」を高めている。

まあ、こうした御託宣を信じるかどうかは、読者次第である。ただ、ロックダウン解除後も、「社会は元の状態に決して戻らない」と予測する西洋人が多いことは、頭に入れておいたほうが良い。

とくに、いつ封鎖が解除されるかに加えて、どのように解禁するのか、の方が重要である。というのも、ワクチンや有効な治療方法が現れるまで、我々の社会は、見えないウィルスとの危険な共存を強いられるからだ。おそらく、1〜2年程度は、「だまし運転」のように社会をソロソロと動かしていかなければならない。うっかりアクセルを吹かすと、また感染流行の再燃になる。これが不可逆的な社会変化になる理由である。

たとえば日本でもこの3ヶ月間、少なからぬ職場で、在宅勤務・テレワークを導入すべく、四苦八苦してきた。そして今回の事態が、我々に対しすでに明らかにした事が一つある。それは、「直接業務」と「間接業務」の区別である。

直接業務とは、対人・対物的な付加価値を生む仕事である。それは、製造・物流・建設・医療介護・農業など、現場のある業務だ。こうした仕事は原則的に、テレワーク不可能である。

これに対して、テレワーク可能なのは間接業務である。それは、情報のやり取り(文字・データ・視聴覚)だけで済む種類の業務であり、たとえば、販売・購買、設計、マネジメント、教育、などだ。ちなみに、わたしの職場も4〜5月は全面的に在宅勤務に入ったが、それはエンジニアリング会社のホームオフィス業務が、ほぼ情報処理的な間接業務であることを示している。

緊急事態宣言が開けて、今後、また出社勤務が増えるが、多くの職場ではテレワークも当分、併用され続けるだろう。その結果、仕事の中から情報処理機能だけを、切り出す動きが加速するに違いない。会議も、テーマと人数を絞った、短いものが望まれるようになる。Web会議は1時間を超えるとけっこう疲れるし、参加者が30人以上になると、司会進行や発言権の譲り合いが難しくなるからだ。

もちろん対面コミュニケーションと感情のやり取りは、仕事の上でも重要だ。だが、その一部(週1回の顔合わせ等)は切り捨てられるだろう。ハンコ文化は衰退し、ワークフロー承認に変わる。

テレワークでは、集中して行う知的仕事や処理作業は、むしろ能率が上がると言われている。ただ、それは在宅勤務に適した環境を持てる、恵まれた場合の話だ。小さな子供がいたり、家に自分のPCがなかったりすると、いや、そもそも机がないとか、逆に家族の間でPCが取り合いになったりするケースでは、落ち着いて在宅勤務などできたものではあるまい。

実際、Unipos社の調査では、「チームの生産性はテレワーク開始前と比較してどのように変化したか」と質問したところ、「とても低くなった」「やや低くなった」と回答した人の割合は合計44.6%となり、「とても高くなった」「やや高くなった」と回答した合計の7.6%を大きく上回っている、との結果が出ているという。

しかし、先日参加した欧州主催の石油ガス業界におけるWebカンファレンスでは、大手企業の元CDOが、「今回のパンデミック禍によって、業界は図らずも大規模なテレワークにシフトせざるを得なかったが、その結果かなり生産性が上がった」と、キーノート・スピーチで発表していて、彼我の違いにあらためて驚いた。

結局、多くの人が指摘するように、わたし達の社会では、そもそもテレワーク向きな形に、業務が設計されていない。職場のアドホックな対話で、すり合わせ的に仕事が進められる。職務範囲を示すJob description(職務記述書)もないし、仕事の公式な手順を示すStandard Procedure(業務要領書)もない。何がインプットで、どういうツールやリソースを使い、何をアウトプットすべきか、すべて「臨機応変」と「暗黙知」と「俺の背中を読め」の中で、できあがっている。業務評定は「結果が全てだ」といいながら、労働時間(拘束時間)と態度(やる気)が最低条件になっている。

しかしこれからのニュー・ノーマルの時代では、間接業務は、勤務時間ではなく、細かな作業指示(Ticket)ごとに、スキル(能力)とパフォーマンス(成果)で管理・評価していくように、変わらざるを得ないだろう。そのためには、業務知識・手順の文書化やビデオ化が、必須になるはずである。結果として、ホワイトカラー業務のJob description化が行われる。そして、ネットを通じた短期契約、いわゆるギグ・エコノミーも広がって、人材流動化も進むだろう。それはある意味、アメリカ・中国型の社会に近づく、といってもいい。

ただし、直接業務が回らなければ、製造業も建設業も物流業も、お金を稼げない。ニュー・ノーマルの状況下では、従来よりも直接業務の側(現場側)の発言力が、間接部門(本社側)に比べて増すであろう。なぜなら、危険をかけて現場仕事をする人々の希少性が、高まるからだ。直近は失業の影響で労務費が下がるだろうが、中期的にはむしろ上がると思われる。

テレワーク普及とともに、通勤の移動量も激減する(東京圏では一時、7割台に減った)。また地方間の移動も抑制されるので、鉄道需要・航空機需要の減少が起きる。

あわせて読みたい

「新型コロナウイルス」の記事一覧へ

トピックス

ランキング

  1. 1

    れいわの非常識 路上で記者会見

    田中龍作

  2. 2

    米で無印破綻 失敗続く日本企業

    後藤文俊

  3. 3

    ユッキーナ引退 裏に事務所の闇?

    渡邉裕二

  4. 4

    アビガン試験者の少なさ医師指摘

    中村ゆきつぐ

  5. 5

    石破氏 中国に外交儀礼を果たせ

    石破茂

  6. 6

    好調のテスラにトヨタがEVで反撃

    安倍宏行

  7. 7

    警官が自殺 朝鮮総連の警備に闇

    文春オンライン

  8. 8

    朝鮮学校への実質支援を中止せよ

    赤池 まさあき

  9. 9

    東京のドヤ街に若者潜入「衝撃」

    幻冬舎plus

  10. 10

    10万円給付に13兆円かかった理由

    千正康裕

ランキング一覧

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。