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公衆衛生と安全保障――グローバルな脅威としての感染症にいかに備えるか? - 詫摩佳代 / 国際政治学、国際機構論

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はじめに

安全保障がテーマのこの連載において、「感染症」を扱うことに違和感を感じる人が多いかもしれない。いや、新型コロナの世界的流行とそれがもたらした甚大な影響を目の当たりにして、安全保障と感染症の深い繋がりを意識したという人が実は多いのかもしれない。いずれにせよ、感染症は伝統的な意味での安全保障の一部をなすものではないが、近年の広義の安全保障概念においては、主要な構成要素である。本稿では感染症の位置付けの変容とその背景を振り返り、感染症対応のための具体的な制度枠組みにどのような問題点があるのか、今後どのように改善していけば良いのかを考えていきたい。

安全保障上の課題としての感染症

日本をはじめとする多くの先進国は新型コロナより前は、大規模な感染症の流行を経験する機会はあまりなかった。他方、世界を見渡せば、1970年代から今日に至るまで30以上の新興ウイルス感染症が新たに発見されており、常に新興あるいは再興ウイルス感染症が流行しているという状況である。その流行がたとえ世界の一地点で始まったものであっても、大量の航空機が世界を飛び回る現在では、瞬く間に世界に感染が広がりうるし、たとえ感染を免れたとしても、経済や日常生活等において様々な支障を余儀なくされる。このような状況の中で、感染症は公衆衛生という閉じられた領域の一課題から、安全保障をも含む広義の文脈の中で位置づけ直されてきたのである。

この現象は、具体的には以下二つの要因によって促進されてきた。第一は「人間の安全保障」概念の登場である。冷戦後、他国の侵略から国家主権、領土、国民を守るという狭義の安全保障概念にとどまらず、国家を構成する一人ひとりの人間を様々な恐怖や欠乏から守ろうというアイデアが登場した。これが「人間の安全保障」である。その後、このアイデアを具体化する様々な外交政策や国際目標が設定されてきた。2000年に設定されたミレニアム開発目標(MDGs)には、その目標の一つに「HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病の蔓延の防止」が含められた。ミレニアム開発目標を引き継ぐ形で2015年に設定された持続可能な開発目標(SDGs)でも保険関連の目標が組み込まれ、エイズや非感染症疾患、顧みられない熱帯病、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジの達成等に関する具体的な到達目標が設定された。

第二の要因はエイズの流行である。1981年に初めての症例が報告されて以降、すでに7700万人以上がHIVに感染してきた。毎年新たにウイルスに感染する人の数は、1996年にピークを迎えた後、減少傾向にあるが、2017年時点で3600万人以上がHIVに感染している。エイズの流行は感染症の位置づけを考え直させる契機となった。若者を中心に各地で感染が拡大することは国家の安全保障機能のみならず、国連平和維持活動(PKO)など国際平和の維持においても打撃を与えうるからである。2000年1月の国連安保理では、議長を務めたアメリカのアル・ゴア副大統領がエイズの流行を「国際平和と安全にとって脅威」であると述べ、同年7月の安保理決議では、すべてのPKO活動においてエイズ予防プログラムを実施することが決まった。

その後も、先進国首脳会議(サミット)などハイレベルで感染症対策が議題となってきた。2000年の沖縄サミットには初めて世界保健機関(WHO)が参加、首脳らと共にエイズ、マラリア、結核に関する特別基金の設立に合意した。2006年のサンクトペテルブルク・サミットでは初のG8保健相会合が開催され、その後のサミットでも度々保健相会合が開催された。新型コロナを巡っても、G7外相会合やG7首脳会合、日中韓外相会合等ハイレベルで議題となってきたことは言うまでもない。

グローバルな連帯の欠如

以上、「人間の安全保障」の登場、エイズの脅威という二つの出来事を通じて、感染症対策が安全保障の文脈で位置づけ直されてきた様子を見てきた。他方、感染症対応のための具体的な制度枠組みは、グローバルな脅威としての感染症に必ずしも見合うものではない。新型コロナを巡っては、既存の体制の様々な問題点が露呈されることとなった。重症急性呼吸器症候群(SARS)が流行した際には、WHOの下で各国の専門家チームが発足、ウイルスの分離同定、遺伝子の配置決定に大きな役割をはたした。発生国中国とアメリカの連携も見られた。2009年H1N1新型インフルエンザについては、結果的にWHOの「過剰反応」が批判される一幕もあったが、発生国アメリカとW H Oの緊密な連携のもと、迅速に対処がなされた事例であった。

2014年の西アフリカでのエボラ出血熱の流行に際しては、WHOの対応は遅れたが、当時のオバマ米大統領のイニシアティブのもと、国連でサミットが開催され、世界規模の危機に対応するための話し合いが行われた。その後、国連の下にエボラ対応の緊急ミッションが設立され、リベリアで展開されていた国連平和維持活動と協力しながら対応にあたった。未曾有の危機といわれ、多くの人命が失われ、経済的損失を伴った危機であったが、アメリカのリーダーシップ、WHOと国連、PKO、世界銀行など多様なアクターの連携が終息に大きく貢献した。

以上の前例とは対照的に、新型コロナを巡ってはアメリカのリーダーシップはおろか、米中の対立が対応をめぐる協力そのものを困難にしている現状である。トランプ米大統領は、世界保健機関(WHO)が「あまりにも政治的で、中国寄りである」と批判、5月末には「WHOとの関係を終わらせる」と発言した。対する中国も新型コロナへの対応は適切なものだったと真っ向から反論、新型コロナをめぐるWHOの対応を巡って米中対立が激化しており、グローバルな連帯強化とは、まったく逆の方向へと事態は推移している。グローバルな脅威としての感染症には、エイズやエボラのように安保理決議を通して連帯の基盤を形成することが必要となるが、その安保理も現在では米中、米露の対立により、機能不全に陥っている。

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