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孤立死と少子化は私たちが望んだもの?「しがらみ」失い孤立する社会の生きづらさ

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「しがらみ」失い子育て避ける社会に

少子化社会もまた、私たちが望んだ結果ではないかと私にはうつる。

面倒な人物や気難しい人物を敬遠できる社会では、子どももまた敬遠される。というのも、子どもは大人のルールがまだ身に付いておらず、周りに迷惑をかけがちで、へたに関わると責任を問われかねない存在だからだ。

そうした感覚の延長線上として、東京では港区子ども家庭総合支援センターに対し、大阪では北部こども相談センターの開発計画に対し、それぞれ反対の声があがった(後者は計画中止に追いやられている)。

子どもの泣き声や騒ぎ声が我慢ならない人にとって、子どもの泣き声や騒ぎ声を強制されるのは単なる不快な出来事以上のものだ──それは個人の自由選択とプライバシーを良いものとするいまどきの常識に反したものである。だからこそ、反対の声がある程度通ることにもなる。

育児に関するトラブルは子どもが敬遠されていることのあらわれかもしれない 写真AC

"付き合う相手や時間を自由に選ぶ"が常識になった社会の人々にとって、その常識を守ってくれず、泣き声や騒ぎ声をまき散らす子どもという存在は、面倒な人物や気難しい人物と同じく、敬遠できるものでなければならない。それに伴い、子育てはできるだけ他人に迷惑をかけることなく、世帯で完結しなければならないものになった。

かつて子育ては地域共同体のなかで、地縁や血縁のなかで、つまり「しがらみ」のなかで行われるものだった。「しがらみ」のなかで行われる子育てはもちろん不自由で、アウトローな側面を持ち合わせてもいたから手放しで肯定できるものではない。それでも地域共同体に子どもが存在するのは当たり前で、大人たちは子どものいる日常に慣れていて、大人と子どもの居場所やスケジュールは今日ほど厳密には切り分けられていなかった。

現代の子育てはそうではない。親は子どもが迷惑をかけないかいつも注意を払わなければならない。子育てを地域共同体には任せられなくなったから、教育費はもちろん、あらゆるコストやリスクを親自身が負担しなければならない。子どもの居場所やスケジュールにしてもそうで、児童センター・塾・公園といった子どもがいても構わない場所で、大人から切り離されたスケジュールを過ごさなければならなくなった。

結果、地域共同体をとおして世間知やソーシャルスキルを子どもが教わってくることも、外遊びをとおして体力や運動能力を勝手に身に付けてくることも期待できなくなった。昔は、貧乏な家庭の子どもも地域共同体からさまざまなことを習得してくると期待できたが、いまどきは、子どもを放置しているだけでは子どもは何も身に付けてこないし、身に付けられない。そのうえ、ネグレクトとみなされてしまいかねない。

そうしたなか、教育費は高騰し続けているのだから、挙児や子育てに積極的になるためのハードルは高く険しい。子どもをもうけたいという強い意志と、さまざまなコストやリスクを負担できるという計算がない限り、常識的な青少年は挙児を選ばない。

それらを持ち合わせていない青少年が挙児や子育てを避けるのは、きわめて合理的な選択である──たとえそれで国が少子化になるとしても。

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