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ザ・チェッカーズとザ・タイガースの解散ライブアルバムから考えるアイドル性と音楽性

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ザ・タイガースは1969年のローリングストーンUS版3月1日号の表紙を飾ったことがある

日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2020年6月の特集は、ライブ盤。第4週目となる今回はザ・タイガースとザ・チェッカーズの解散ライブのアルバムを語っていく。



こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人、田家秀樹です。今流れているのは、ザ・チェッカーズの「Long Road」。オリジナルは1986年に発売になった4枚目のアルバム『FLOWER』に入っておりました。作詞が藤井郁弥さんで、作曲が藤井尚之さん。兄弟ソングですね。

お聴きいただいているのは1993年に発売になった『FINAL』、1992年12月28日の解散公演、武道館のライブを収めております。今日の前テーマはこの曲です。今月2020年6月の特集はライブ盤ですね。

2月以降行われる予定だったツアーやライブがことごとく中止、延期になっております。音楽史上初のライブが行われない日本列島、日本のコンサート文化は大丈夫なのだろうか? 早くライブが再開される日が来てほしい、そんな心からの願いを込めてライブ盤特集をお送りしております。

レジェンドたちが残したライブ盤を聴いていこうという1ヶ月、今週はPart4です。武道館で行われた解散ライブを収めたライブ盤を2枚ご紹介しようと思います。

1枚がこのチェエカーズの『FINAL』。もう1枚はさらに20年以上遡って行われたザ・タイガースの『ザ・タイガース・フィナーレ』。解散コンサート、この2枚のライブには客席が圧倒的に女子だったという共通点があります。そして涙涙だったことも共通していますね。

1960年代後半のグループサウンドの中で最も女の子に人気があったのが、ザ・タイガースですね。そして1980年代にそういう存在だったのがザ・チェッカーズ。ビートルズの例を待つまでもなく、黄色い歓声が音楽の歴史を作ってきました。

日本のそういうコンサートを、解散コンサートを舞台に聴き比べてみようというのが今日の趣旨ですね。ザ・タイガースの解散公演は1971年1月24日でした。ビートルズの武道館公演からわずか5年です。日本のバンドで初めて武道館のステージに立った。

そして日本のロック史上で最初の武道館ライブアルバムがこれです。ザ・タイガー解散公演フィナーレから「僕のマリー」。

僕のマリー / ザ・タイガース

1967年2月のデビュー曲「僕のマリー」。1967年2月というのは、ビートルズ来日から1年も経ってないわけで、メンバーは、あのビートルズの武道館公演の客席にいたわけですね。喋っているのはリーダーの岸部修三さんですね。

このタイガースのフィナーレのライブアルバムは、ライブのオープニングから入っているんですけど、英語のアナウンスから始まってるんです。「Ladies and Gentlemen, Boys and Girls」そして客席に向かって「Say after me, TIGERS」と言っているんですけど、客席がキョトンとしている。

これがとっても初々しかったですね。MCに英語で呼びかけられたことのないお客さんがたくさんいたんだなと思ったりしました。そして1曲目がローリング・ストーンズの「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」なんですね。この辺が彼らの意地だったんだなと思いますね。

解散公演の1曲目は彼らがずっと好きだったストーンズで始めるというライブだったんですが、このライブアルバムは代表曲のオンパレード。その皮切りがこれでした。1971年7月に発売になった『ザ・タイガース・フィナーレ』から、「僕のマリー」でした。

モナリザの微笑 / ザ・タイガース
花の首飾り / ザ・タイガース

1971年7月発売になったザ・タイガースの武道館解散ライブアルバム『ザ・タイガース・フィナーレ』から、「モナリザの微笑 」、「花の首飾り」をお聴きいただきました。歴史のおさらいをしましょう。ザ・タイガースの原型が結成されたのが1965年で、他のバンドにいた沢田研二さんが加わったのが1966年1月。

この時はファニーズという名前でした。1966年ですから、ビートルズ来日の年です。そして彼らがエ レキバンドになったのは、大阪で観たベンチャーズのコンサートがきっかけだった。そしてエレキバンドになってビートルズの公演を観に行った。

さっきお揃いのユニフォームで見に来たっていう話がライブのMCでありましたが、そのユニフォームを作った資金というのが京都会館で行われた、全関西エレキバンド・コンテストで優勝した賞金でユニフォームを作って観に来たんですね。

その時に演奏したのがローリング・ストーンズの「サティスファクション」だった。大阪のライブハウス、ナンバ一番に出ているところを内田裕也さんが観に来て、お前ら東京に来ないか? というところから始まった。ザ・タイガースというネーミングは、作曲家のすぎやまこういちさんです。

フジテレビの番組『ザ・ヒットパレード』のディレクターだったんですね。大阪から来たんなら、名前はタイガースだということで決まった。そして一連のヒット曲の作曲がすぎやまこういちさんで、作詞が橋本淳さんですね。「花の首飾り」以外は、そのコンビです。

「花の首飾り」は雑誌『明星』の公募曲だったんですね。そして、この少女趣味、メルヘン的な要素は良くも悪くもグループサウンドの一つの形になりましたね。そういう一連のヒット曲をお聴きいただきます。「青い鳥」、「銀河のロマンス」、「君だけに愛を」。

青い鳥  / ザ・タイガース
銀河のロマンス  / ザ・タイガース
君だけに愛を  / ザ・タイガース

ザ・タイガースの「青い鳥」、「銀河のロマンス」、「君だけに愛を」。1971年の武道館解散コンサートのライブアルバム『ザ・タイガース・フィナーレ』からお聴きいただいております。感極まってますね。初めての武道館ですからね。ビートルズの来日から5年しか経ってないんですよ。

これはグループサウンドのどのバンドもそうだったんですけど、元々は洋楽に憧れてバンドを組んでいるんですね。タイガースもストーンズがやりたかった、ビートルズが好きだったロック少年だったんですが、あっという間にアイドルになってしまった。

そして、1967年から1970年のわずか3年あまりで燃え尽きてしまった。そういうコンサートですね。メンバーは沢田研二さん、ベースの岸部修三さん、ギターの加橋かつみさん、森本太郎さん、ドラムの瞳みのるさん。

そして、加橋かつみさんが自分のやりたい音楽はこうじゃないんだということで抜けてしまって、岸部シローさんが加わったのが1969年。わずか4年の間に第一期と第二期があるという、本当に短い時間にいろいろなことが起こった。そんなバンド、そんな現象でした。

その最後のコンサート、「アイ・アンダスタンド」という曲をお聴きいただきます。

アイ・アンダスタンド / ザ・タイガース

「蛍の光」が入ってますね。このオリジナルはハーマンズ・ハーミッツで、ザ・タイガースは当時の自分たちのコンサートの中での重要レパートリーにしていた。これを解散コンサートで、こんな風に前説を入れながらやっております。グループサウンドは日本のポップスにとって革命だったと思うんですね。

それまでカントリーバンドはあったわけですが、ビートルズやストーンズのようなロックバンドっていうのはなかったわけです。洋楽と同じバンドが日本のポップスの中に登場した。

でも当時はロックファン自体がいなかったに等しいわけですから、彼らがやりたかった音楽というのがちゃんと理解されたといえないまま終わってしまった。

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