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新しい生命の哲学/社会 檜垣立哉×粥川準二(後半)

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■何が善で何が悪か、境目の曖昧さについて


檜垣 僕は結構若い頃から、躁鬱が激しくて、20代の半ばから30代の頭にかけてひどい鬱状態になったときが数回ありました。

粥川 そうだったんですか!

檜垣 40代になるとそれこそ、フーコーの『自己のテクノロジー』ではないですけれども、気分が落ちてくるとどうすれば良いのかが大体分かるようになりました(笑)。

若い時はダメになるとがんばるだけがんばるんですよね。そしてがんばるとどんどんダメになる。ところが、もうすぐ50という年齢までくると、落ちてくればとりあえず寝てればいいんだということがだんだん分かってきて、そうするとそんなに悪くならないんですよ。だから、今までありとあらゆる抗うつ剤を飲んできましたが、これが最新の薬ですと言われて飲んでも、大体効いた試しがない。飲んだ中で最も効いたのは睡眠薬で、これは抗うつ剤にもなるってよく言われています。眠らせるものは効果が実感できる。あと、僕はパニック障害にもなったことがあって、その時の安定剤はすごく効きますね。

いろんなものを飲んできましたが、効いたのはそれくらいです。抗うつ剤というのは安心剤としての効果があるだけで、安心しているうちに治ってくるようなもの。ですから躁鬱に関しては根本的な人間の生物学的リズムによるんじゃないかなと思っています。

薬というのは非常に難しいものです。さらに言えば、人類学で問題としてよくあげられるのが、例えばアメリカの製薬会社が、南米で原住民が昔から治療薬として使っている薬草を採ってきて、それを使った薬品は全部うちが特許を取りましたからもう使用できません、みたいなことを言うわけです。

粥川 生物学的な海賊行為、いわゆるバイオ・パイラシーですよね。

檜垣 そうです、そうです。すると現地の人がそれを使うことができなくなるとかいう変な話になります。薬の話というのはそういう意味でも興味がありますね。あとは、麻薬でも、大麻が本当に危険かという話はよくされます。大学生が押し入れに大麻を持っていて捕まるという話も関西ではよくありますけれども。大麻はナチュラルドラッグじゃないですか。植物ですから、言ってみればタバコの……。

粥川 延長じゃないかと。

檜垣 ですよね。だけど今本当に問題なのは、抗うつ剤と同じで、本当に化学的に純粋合成された麻薬ですよね。あれだと、要するに脳のどこに効くかをコントロールできちゃうわけでしょう。それはまた大麻とは違うわけです。そうすると、何が危険なのか、何が薬で何が薬でないのか、植物であるのか植物でないのか、本当をいえばただの食べ物なんじゃないかというところが、差はありながらも曖昧ですよね。

科学が出す資料もある程度誠実な資料ではあるんでしょうが、やっぱり社会との関わりの中でその問題をどう扱うかによって、倫理的な考え方や善悪の基準や判断というのはかなり決まってきます。「グレーゾーン」というのは、バイオの話ではまさに曖昧な領域になっていると感じます。

■内なる優生学が抱えるパラドックス

檜垣 『バイオ化する社会』の中に出てきました、森岡正博さんの「内なる優生学」に関連する実例は、バイオ医療化がなされてきてからどんどん出てきています。例えばダウン症児は増えているが減っていると。要するに、産む前に調べることができるから、増えているけれども、現実的にダウン症だと分かると中絶してしまうから、この世に生まれてくる数は減っていると。

粥川 そういうことですね。

檜垣 森岡さんはフェミニズムの文脈で論じていますが、水俣病やスモン訴訟の時代に、「産む、産まないは女の自由だから、女に堕胎の自由を認めるべきだ」と主張していたわけですよね。ただ、そこで「青い芝の会」という過激な左翼の身体障害者団体が、「フェミニストはこんな子が産まれたら面倒くさいと言って堕胎を女の権利だと主張するけれども、それは弱い者がさらに弱い者をいじめているにすぎないじゃないか」って言うわけですよ。そうすると、フェミニストの物書きとして結構有名だった田中美津という人が「それは本当にそうだ」と言って困ってしまったわけです。

要するに、そういったことがバイオ化され、今はもっと先鋭化されて出てきているんですよね。例えばチェルノブイリ事故を、ジャーナリストが写真を撮って報道するのは本当に善意に満ちていて、まさに必要なことです。「こういう悲惨な奇形児がたくさん生まれています」と知らせることは、ジャーナリストとしては間違っていないわけです。

一方で、これが喚起する一つの現象として「こんな奇形児が生まれてはならないね」ということに結びついてしまうと、福島で穫れた野菜は危ないなどとなってしまって、その写真が逆に私たちの内なる優生学を喚起してしまう。

粥川 おっしゃる通りです。

檜垣 これはもうパラドックスですよ。この問題を解決せよというのはどんな人間にもできない。だからこそ、どうしたらいいのかというのが非常に大きい問題だと思うんです。

もう一つ、本の中で非常に面白いと感じたのは、手とか足が大きくなる「ベックウィズ-ウィーデマン症候群」について。これは果たして障害なのか個性なのかという話です。つまり、バイオテクノロジーが進んでいくと、価値基準そのものも変わってしまうことがあるわけですよね。

これは哲学者の楽天主義と言われてしまうかもしれないですが、バイオサイエンスやバイオテクノロジーによって、例えば障害を個性と捉えられるようになる、私たちが今まで見えていなかったものを「これも自然だ」と見えるように変わっていく。でもそれはどうだろうと考えたりするわけです。

■そのリスクは「リスク」たり得るか

粥川 僕は、この『バイオ化する社会』を構想している最中に、3.11を経験したと言いましたが、そこでもう一つ浮かび上がってきた論点というのが「リスク」なんです。

技術にはもちろんメリットがあるわけですが、当然リスク(危険の可能性)があります。第1章では、体外受精を中心とした生殖医療について論じました。体外受精では直接精子と卵子を器具で扱うことになるので、何らかのリスクがあるのではないかということは、実は黎明期からずっと言われていました。そのリスクとは3つあります。

1つは「卵子を提供する女性へのリスク」。排卵誘発剤には相当の副作用があります。2つ目は「実際に子どもを産む人へのリスク」。提供卵子による体外受精も少しずつ行われるようになってきています。不思議なことですが、体外受精をすると普通の出産よりも、例えば妊娠高血圧になる確率が高くなるといった知見が少しずつ出てきています。

そして3つ目のリスク、これが特に重要ですが「生まれてくる子ども達へのリスク」です。簡単に言うと、先天的な障害、俗にいう奇形ですね。体外受精で生まれた子供たちが通常の出産で生まれてくる子供たちよりも、先天障害を持つ可能性が高いのか低いのかということはその黎明期からずっと言われてきました。最近では多いという知見がだんだんと増えてきています。

つい先日出たメタアナリシス論文(複数の論文から得られたデータを統合して分析する論文)には、「体外受精が先天的な異常の発生率を高めるか」というクエスチョンに対して「増える」という答えが出ていました。よって、現時点では子供たちへのリスクもあるだろうというのが答えになりますが、それには僕は留保したいと考えています。

子どもが大きく生まれる「過大子症候群」や身体の一部が変形して生まれてくる「ベックウィズ-ウィーデマン症候群」など「奇形」を、社会が「あってはならないもの」と考えるならば、その発生率が増加する可能性をリスクとして捉えることができます。しかし、そうではない社会、つまり「あってもよいもの」と考えることも、少なくとも概念的には考えられるわけです。

つまり、身体が大きかったり、一部が変形したりすることは単なる「個性」に過ぎないと考えることができます。したがって、体外受精に対する批判として「先天障害が生まれるから」と主張する人もいますが、僕はそれについては少し説得力が弱いなと思っています。



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■何がリスク要因なのか

粥川 そのこととパラレルなのが原発事故による放射線をめぐる議論です。放射線によって先天障害を持つ子供が増えるのではないかということは、チェルノブイリやスリーマイル島の事故の時から言われていました。3.11以降、インターネットを中心に話題になりました。

分かりやすい例として本の中で挙げたのが、映画『チェルノブイリ・ハート』です。この映画では、ベラルーシの福祉施設にいる、重度の先天障害を持つ子供たちが映されています。それを見るとどうしても、「やっぱりこれは放射線の影響だろう」と考えてしまうわけです。実際にネットでは、「だから原発は危ないし怖いんだ」というような紹介がなされていたんだけれども、僕自身は、ちょっと待てよと思ったわけです。

複数の論点があって、科学的論点と社会学的論点に分けると、一つは「本当にそれって放射線の影響なの?」ということです。重度の先天障害児を集中的にケアする施設は日本にも当然あって、福島にもあるでしょう。そこに行ったら同じような光景があると思いますが、それは別に原発事故がなければ普通に起きた障害だと考えられるわけです。

しかし原発事故の直後に同じ光景を見ると、どうしても原発事故と結びつけたくなる。もし結びつけるのであれは、統計学的なデータに基づく必要があるわけですが、そうしたデータはこの映画ではいっさい語られていない。これが科学的に言える論点の一つです。

もう一つがさっき述べたことで、先天障害の子供が生まれてくることを、「恐怖の対象」あるいは「あってはならないこと」としている前提の下に描いてしまっていないか、ということですね。優生学を定義づけることは非常に難しいですが、これは優生学とはイコールではないものの、極めて優生学に近い発想だといえます。優生学者だけではなくて、ほぼ100%の人間が内に抱えているものですよ。僕自身も含めて。

檜垣 それはそうですよね。

粥川 写真家の広河隆一さんはこういうことを言っています。「放射能の恐ろしさを訴えるために、このような強調をしてよいのだろうか。人はみな健康でありたいと思う。親は子どもの健康を望む。けれども『身体異常の子供ができるから原発に反対だ』という言葉は、障害者に『自分のような人間が生まれないために原発に反対するのか、自分は生まれてはいけなかったのか』と考えさせるだろう」と。

広河さんは反原発の立場のジャーナリストでチェルノブイリの取材もしています。気持ちとしては僕も賛成なんですけれども、敢えて追記しておきます。広河さんは「原発は、あらゆる形の差別を引き起こす要因にもなる」、つまり原発が差別を引き起こすと言っています。しかし、僕自身は「原発事故は、事故以前から既にある差別を顕在化させるだけではないか、と思っています。その辺りの説得力に関してはどうでしょうか。

■私たちに何ができるのか

檜垣 なかなか難しいと思いますが、結局どうすればいいのか、ということなんです。哲学者も社会学者もそんなに偉いことはできないので。

粥川 せいぜい論点整理ですよね。政府も東京電力も、世間からものすごいバッシングを受けました。確かに、政府も東京電力もマスコミも、科学者だって間違えることはあります。しかし、同じように市民社会も間違える可能性はあるわけです。

檜垣 それは本当にそうだと思います。市民感覚が正しいかと言うと、必ずしもそうではない。それをどういうふうに言っていけば良いのかな、ということはよく考えます。例えば、粥川さんは臓器移植のコンセンサス会議などには参加されていますか。

粥川 はい、そうした類いのイベントに参加したことはあります。

檜垣 このような会議では、リスクの議論に対して、当事者も含めて文句も言いますが、全体として言えば会議が開かれるだけで感情をコントロールする側面があります。確かに合意は重要だし民主主義なんだからそれに基づくべきだというのはその通りだけども、もう少し別の形での科学と社会と哲学、広く言えば哲学倫理学のあり方を作っていくべきなのかということを原理的に考えていく必要はあるんじゃないかなと思っています。

今後、原発はどうなるの? という問題に関して、哲学者は黙っていればいいかというと賛否両論あります。怒る人もいれば、その通りだという人もいます。例えば、奇形があっても本当に放射能の影響かどうかということは哲学者は判断できないわけです。

■吉本隆明とドゥルーズの類似性

檜垣 吉本隆明さんが亡くなって、それに関してもいくつか文章を書きました。例えば吉本さんの『<反核>異論』の論旨は、大江健三郎さんなどが核兵器を持つことに反対しているのに対して、なぜソ連に対しては批判しないんだ、と簡単に言えばそういうことです。

吉本さんはそうした反核異論の延長で反原発に異論を差し挟んでいる部分がある。もちろん原発は核爆弾とは違いますから問題は錯綜しています。でも吉本さんは原発に反対するだけでは何も問題は解決されないと思っている部分がある。

といっても吉本が原発肯定であるわけでなく、要するにいかなる処理をしたところで原発が安全になるまでは何も言えない。

廃炉に20、30年かかるわけですよね。吉本は多分ドゥルーズと似ているところがあるんですね。

粥川 それは具体的にどういうことですか。

檜垣 例えば、吉本は『<反核>異論』で核兵器の撤退は不可能だと言っています。つまり核兵器が人類の知として一旦蓄積されてしまった以上、政治が核兵器を作ってはいけないと禁止すること自体が問題になる。

吉本が生きていたら、おそらくは、原発をやめさせる手段は一つしかないという考え方に至っただろうと思います。それは、自然エネルギーの可能性です。科学者が総力を結集して、原発より安くて遥かに流通性の高いエネルギーをどんどん開発していけば、原発を使おうなんていう人間は誰もいなくなる、そう言ったと思います。原発反対ではなく、新しいエネルギーの推進にいち早く着手すべきだと。

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