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スポーツを苦しくさせる「根性論」のルーツをさぐる - 「スポーツぎらい」第3回

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この連載は、6人に1人(※スポーツ庁調べ)いると言われている「スポーツぎらい」な同胞の思いを背負い、専門家の方々の力をかりながら、われわれをスポーツぎらいにした「犯人」を捜していく反体育会系ノンフィクションである。部活動? 体育教師? 体育会系のおじさん? ナショナリズム? ジェンダー? 「犯人」はいったいどこにいるんだろうか。

第一回と第二回では、「部活動」について話を聞いた。そこで見えてきたのは、疲弊する現場と、しかし楽しいからこそ暴走してしまう、先生と生徒と保護者の共犯関係だ。そして、全国大会という巨大ピラミッドに勝手に組み込まれて抜けられなくなってしまう、部活動の姿が見えてきた。

第三回は根性論について話を聞く。「根性論」というのはすごくイヤな感じがする言葉だ。特にスポーツと結びついた根性論は、うさんくさい。「スポーツぎらい」犯人の重要な容疑者であり、大げさなことをいうなら、根性論がこの国を駄目にしているとすら思う。根性論! 絶対にお前が犯人だ!

というわけで、スポーツにおける根性論について調べてみたら、このような論文を見つけた。

1960年代における「根性」の変容に関する一考察 東京オリンピックが果たした役割に着目して」

この論文によれば、いま我々が知っている「根性」の用法は、東京オリンピックを契機に生まれてきたものだという。しかも論文執筆者の岡部祐介さんは、大学時代に箱根駅伝を走ったこともあるアスリートだ。東京オリンピックで活躍した、マラソンランナー円谷幸吉や、東洋の魔女の指導者である大松博文の研究も行っているという。

これはぜひ話を聞きに行きたいと思い、岡部さんが所属する関東学院大学金沢八景キャンパスへ向かった。

お会いした岡部さんは、眼鏡が似合う。穏やかで知的な印象を受けつつ、お話をするときの姿勢の良さと、一人称が「自分」であることから体育会系の組織に長くいた方だなぁと感じた。

話を聞いた関東学院大学 経営学部准教授の岡部祐介さん

◇「根性論」ってなんですか?

—— もともと「根性」という言葉は、今のような意味ではなかったんですよね。

「根性」という言葉自体は昔からある言葉で、明治時代の辞書にも載っています。当初は、「心根」「性根」のような、先天的に備わった性質をあらわす言葉でした。どちらかといえばネガティブなニュアンスで「島国根性」「奴隷根性」「泥棒根性」のような使われ方をしていました。

—— どれも嫌な感じの言葉ですね。

しかし東京オリンピックを契機として、その意味が変わります。「困難にくじけない強い精神」のような意味で、特にスポーツの文脈で使われるようになりました。

1961年に組織された東京オリンピック選手強化対策本部では、メダルを獲得するための方法のひとつとして「根性つくり」を考えました。対策本部長を勤めた、元陸上選手でオリンピアンの大島鎌吉さんが「根性」という言葉を使おうと提案した。

その意向を受けて、資料を作成したのはスポーツ科学研究委員会の「心理部会」です。根性論は心理学の領域から生まれたものであり、いわゆる「精神主義」であることは、どの研究者も異論はないと思います。

では運動選手に必要な「根性」とはなにか。スポーツ科学研究委員会は、「根性のある選手」に共通する特徴として、勝利のために練習に打ち込み、苦しさに耐え、努力を怠らないことを挙げました。つまり、勝利のためにハードトレーニングに耐えうることが根性なのです。そして、精神を鍛えることが、そのまま身体を鍛えることに繋がるのだと考えられました。

—— なぜそのような精神主義の言葉が出てきたのでしょうか?

大島さんの書いたものやインタビューなどを読んでも、科学的なトレーニングの重要性は十分に認知されていたと思います。ただ、選手にやる気を出してもらうためには、感情に訴えかけるような言葉が必要だと考えたのでしょう。

—— 選手用に分かりやすくしたスローガンのようなものが「根性」だったと。

そう言えますね。実際、この分かりやすさゆえに、根性論は、トップ選手だけではなく、一般向けのスポーツや部活動にも浸透していきました。「サインはV」「アタックNO.1」「巨人の星」「柔道一直線」などといった、いわゆる「スポ根」作品も流行します。その背景には、この時代が高度経済成長期であり、経済界でも国際競争に勝利するような人間が求められていたことが重なると考えています。

「根性論」の背景にもやはり前回の東京五輪の存在があった Getty Images

—— オリンピックが生んだ根性論と、世の中に広がっていった根性論との違いはあると思いますか。

根性論が一般に流行していく中で、ミスリーディングがあったのではないかと思っています。当初、根性論は強くなるための方法ではなく、あくまでも心構えや理念としてありました。「モチベーション」のような意味ですね。どちらかといえば、主体的に取り組むための言葉でした。

「根性論」の代名詞ともいわれている東洋の魔女・日紡貝塚女子バレー部を率いた、大松博文監督の書いたものを読んでも、主体性が重視されており、一般的な根性論とは微妙にずれています。彼は自分なりの指導哲学があり、根性論を割と冷静に捉えていたのではないか。彼の座右の銘は「根性」ではなく、「為せばなる」ですし。

また「根性論」でよく名前があがるレスリングの八田一朗も根性論には批判的だという研究が最近はありました。どちらかといえば、大松さんのトレーニングや指導法が「根性」だと周囲がラベリングしたのだと思います。

しかし、「根性論」が学校の部活動に降りてきた時には、指導者が求めるパフォーマンスを出すために、ひたすら練習をさせられるような論理として使われたのではないでしょうか。もっと言えば、指導者が「根性を身につけさせよう」としてしまう。ハードトレーニングが、単なるハードトレーニングになり、なんのためにそのトレーニングをするのか自分で主体的に考えることが薄まってしまったのだと思います。

部活動では、根性論に基づくハードトレーニングが問題になることも 写真AC

—— スポーツぎらいの犯人がいるとしたらなんだと思いますか? 私は根性論が犯人である可能性は濃厚だと思うのですが。

犯人はスポーツそのものだと思っています。もっと言うと、近代スポーツの持っている論理です。近代のスポーツが追求してきたのは、卓越性です。オリンピックのスローガンは、「より速く、より高く、より強く」。それは結局、卓越できない人を多く輩出し、スポーツから離れてしまう人や、嫌いになる人を生みます。教育の場である部活動でも、やっているのは競技スポーツであり、勝つことが求められますし、そうできずに挫折する生徒がたくさんいる。

では、このスポーツの論理に、根性論はどう関わるのか。スポーツの論理から逸脱していくような人たちを、戻そうとする論理なのではないかと考えています。

—— 戻そうとする?

例えば、勝てない人に「根性がないからだ」と言いますよね。挫折したり、離れようとした人に対して、根性論を使うと、再び競争に駆り立てることができる。

例えば自分は、中学から陸上をやっていて、高校でサッカーをしようとしたら、「陸上を続けるのが当然でしょう」と却下された。ひとつのことを続けないと大成できないとする社会規範があって、辞めた人が「根性がない」ことになってしまうんです。

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