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特集
新家族論
新型コロナウイルスの影響で自宅での時間が増えるなか、もっとも長く時間を共にしたのは家族だったという人も多いのではないでしょうか。一方、この期間は離れて暮らす家族に会いに行くこともままならず、安否が気になる時期でもありました。一斉休校、外出自粛によって、家族との関係性を否応なく意識させられたあと、私たちの家族観はどのように変わっていくのか。様々な側面から今後の「家族」を考える特集が始まります。

“家族と仕事”はどうあるべきか 新型コロナで明らかになった「ゆとり」の重要さ - 筒井淳也

  • 2020年06月24日 14:24
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在宅勤務やテレワークが進み、自宅で過ごす時間は大きく増えた。それに比例するように家族と触れ合う密度は高まり、“家族と仕事とのバランス”は大きなテーマとなりつつある。

心も体も健康に生きていくには、どう働き、どう暮らしていくべきなのか。『仕事と家族 日本はなぜ働きづらく、産みにくいのか』 (中公新書)などの著書で知られる筒井淳也氏に考えを寄せてもらった。

「ワーク・ライフ・バランス」の誤解

「ワーク・ライフ・バランス」という言葉がある。日本語ではしばしば「仕事と家庭生活の調和」とも言われる。この言葉を一度も聞いたことがないという人は少ないだろう。

今回の新型コロナウイルス感染(COVID-19)拡大に伴う「外出自粛」「ステイ・ホーム推奨」で、自宅で過ごす時間が増え、生活の重心が「ワーク」から「ライフ」に移ったと考えている人もいるのではないだろうか。

しかし、この見方は、事態を単純化しすぎている。最初に確認しておかなくてはならないのは、「ワーク」と「ライフ」の定義である。「ワーク・ライフ・バランス」の重要な目的のひとつは、「自由でゆとりのある生活時間」を増やすことにある。したがって、ワークを会社での仕事、ライフを家事や育児だと考えてしまうと、自由な時間が入る余地がない。しばしば誤解されているが、ワーク・ライフ・バランスは「仕事と家事・育児の両立」ではない。

朝6時に起床して家族のお弁当・朝ごはんを作り、午前7時半に家を出て仕事をして(運良く)午後5時に退社、そのあと買い物、帰宅後に食事準備、後片付け、その他の家事を終えてあとはお風呂に入って寝るだけ。これでも「両立」はできているだろうが、「ワーク・ライフ・バランス」は全く実現できていない。自分の自由な時間もなければ、おそらく心の余裕もないからだ。

ワーク・ライフ・バランスを実現するためには、ワークには、家庭の外での仕事(有償労働)以外に、家庭の維持に関する仕事(家事・育児などの無償労働)を含めなければならない。さらに細かく分けるとすれば、家事や育児以外で家族と過ごす時間(会話やお出かけ)と、自分だけの自由な時間も分けたほうがよい(図)。もちろん家事や育児と「家族との時間」は重なることもあるだろう。しかし、対立することもある。総じていえば、これら4つの時間は、お互いに邪魔し合うことがある。

「仕事が忙しくて家事が思うようにできない」こともあれば、「家事や育児が忙しくて自分だけのゆっくりとした時間が取れない」こともある。「家族と過ごす時間が多くて自分だけの時間がない」ことで悩んでいる人もたくさんいるはずだ。

最後のパターンは、家族サービスのために自分の趣味(ゲームやゴルフ)ができない夫(父)の悩みというイメージがあるかもしれないが、むしろ家事・育児に忙殺され、子どもとの会話頻度も高い妻(母)の問題かもしれない。概して女性は悩みの聞き役、ケアする役割を引き受けがちであり、家庭での自由な時間を失いやすい。

「ステイホーム」で何が変わったか

このように前置きした上で、今回の新型コロナウイルス感染拡大に伴う「ステイホーム」が、わたしたちの生活にどう影響したのかを考えてみよう。

最初に指摘しなければならないのは、間違いなく無償労働の負担が増えていることである。リモートワーク、子どもの休校、保育・介護サービスの停止などのせいである。外食という解決法も封じられ、家族人数分毎食の準備と後片付けを誰かがしなければならない。統計が明らかにするように、日本の男性はあまり(というかほとんど)家事をしないので、その負担は女性にのしかかる。自由な時間が減り、ストレスがたまりやすい。

家族と一緒に過ごす時間は確かに増えているはずだ。しかし、これがプラスになるのかマイナスになるのかは、「コロナ以前」の家族関係に左右される。余裕のある関係が構築できていない場合、最悪のケースではDV・虐待の増加につながる。そうでなくとも同じ人と一緒に長時間過ごすというのは、ストレスが溜まるものだ。

アメリカでの1970年代のワーク・ライフ・バランス研究では、既婚女性が外で有償労働をするとストレスが減るのではないか、という仮説が検証されていたくらいである。家族社会学者の落合恵美子氏が指摘するように、「家にいるのはそんなに簡単なことではない」(朝日新聞2020/5/14)。

リモートワークの影響も、ケースバイケースであろう。ストレスの大きな原因である通勤が減ることについては、プラスの影響が大きいはずだ。しかし、日本の家は欧米などと違い空間的な余裕や仕切りが少なく、落ちついた仕事場として使えるようにはできていない。緊急事態宣言に伴って急遽リモートワークを導入したような会社の社員の場合、家庭に突如として有償労働が持ち込まれるのだから、スムーズに行かないことのほうが多いはずだ。

これまでは、会社での仕事と家庭の仕事は「時間のやりくり」の問題であった。リモートワークだと、これは「段取り」の問題になる。ダイニングテーブルで有償労働に集中したくても、「家族(子ども)とのやりとり」が直接に邪魔してくる(逆からいえば家族生活を仕事が直接に邪魔をする)こともあるだろう。これはつまり、会社の仕事と家の仕事をあわせてどう組み立てるのか、どう切り分けるのかという慣れない課題である。

「家族」に押し付けられる負担

働き方にせよ家庭生活にせよ、あるいは行政・政治にせよ、今回の新型コロナウイルス感染拡大への対応においては、「新たな問題」が生じているという側面以上に、これまで日本社会が積み残してきた課題が鋭く露呈している、とみたほうがよい。マスクや特別定額給付金の配布のゴタゴタなど、政治と行政のずさんさ、非効率性の問題については今回は置いておこう。

仕事についていえば、ワーク・ライフ・バランス、その有力手段としてのリモートワークは、これまで10年以上にわたって課題とされてきた。徐々にでも対応してきた企業と、課題を先送りにしてきた企業で今回の自粛要請への対応に差が出ている。

家族についても同じだ。無償労働に家族で協力して取り組んできた家庭と、一人(妻・母)にまかせっきりであった家庭では、ステイホームで増える家庭の負担への対応のスムーズさに差が出る。家事や育児は、ふだんから取り組んでいないとそのスキルは身につかない。

大阪市長が「男性の方が買い物時間が短い」と発言して話題になっていた。たしかに女性の中には、買い物に時間をかける人が多い。ただ、男性に対して、女性が普段行っている水準の買い物がすぐにできるのかというと、難しいはずだ。日用品の買い物は、普段それをしない男性が思っているよりずっと複雑な判断を要する。食材については、在庫(冷蔵庫やパントリーの中身)、消費計画(消費期限や家族の都合)、価格(日々変わる)を考慮して購入するし、食材以外にもゴミ袋、ティッシュペーパー、防虫剤、歯磨き粉などなど、会社で言えば「庶務」が管理しているような消耗品への継続的な目配せが必要だ。

こういった諸条件を、妻にリストを作ってもらうことなく自主的に判断して買い物できる男性は、決して多くないだろう。買い物の難しさを理解できない男性は、これを機にぜひ体験してみてほしい。要は「仕事」である。会社の仕事のスムーズな運営に庶務課が必要なように、家庭にもそれにあたる部署は必要なのだ。

先に引用した落合氏が問題にしているように、「外出自粛」「ステイホーム」ばかりを喧伝する政府に、家庭の負担への目配せは、DVといった目立った問題を除き、あまりなかったのではないか。「外出自粛」は、特に小さな子どものいる家庭には非常に厳しい課題だ。公園で遊ぶ子どもへの世間の目が厳しいこともあり、マンションのロビーといった風通しの悪い空間で子どもが数人で濃厚接触している光景もあった。それならいっそのこと、接触に十分配慮した上で、風通しの良い屋外で遊ばせたほうがよい。

ここでは、本来は「接触」を避けることが目的であったはずなのに、なぜかこれが「外出」を避けることにすり替わっていたことが問題だ。マスメディアの報道で流れてくる映像はほとんどが「人出」のものであり、リスクの高い近接接触の場面はちっとも流れてこない。

もちろん人出と接触には一定の関係はあるだろうが、「外出自粛」という言葉ばかりが流れ、「接触自粛」がほとんど聞かれないといういびつな状況であった。近接接触がマスメディアの映像に流れるとすれば、政治家を取材する記者や、助成金の手続きのために役所の窓口に来た市民であった。これらは「不要不急ではない」と判断されたのか、問題視されることはなかった。

実際の感染のケースは、医療・介護施設や「夜の店」などの接触を伴うケースが非常に多かったのにもかかわらず、政府とマスメディアは「外出=接触」という前提を取り続けた。接触を避けつつ外出する具体的な方針が長い間ほとんど知らされなかったため、先に述べたような「外出を避けて濃厚接触」するようなケースが出てくるリスクが放置された。子どもを持つ家庭への想像力が、社会全般に欠けていた。

家族主義の限界:ゆとりのある社会へ

「家族が負担を押し付けられる」ということは、それでもその負担に耐えうる家族がいれば「なんとかなる」ということだ。そもそも家族を作ることができている時点で、今回のような異例の事態への対応も「なんとかなる」「むしろ家族関係を見直す良い機会」といった受け止めをする余裕がある家族も多いだろう。

ところが、頼れる家族がいなければどうだろうか。

新型コロナウイルス感染拡大は、社会の隅々にまで厳しい変化を要求する。ネットカフェ難民は、かろうじて保っていた生活の場を失うことになった。上で述べてきたような「ワーク・ライフ・バランス」の問題などは、言ってしまえばまだ余裕のある層の問題だ。家族もいない、ギリギリで生活をしている困窮者にとってみれば、贅沢な悩みなのかもしれない。

ただ、これらはある意味で同じ問題の別の側面である。「家族の外」のサポート体制がしっかりしていれば、家族の負担も減るし、家族を持たない人の負担も減る。経営に余裕のある会社が多ければ、休業やリモートワークが家族にかける負担も小さくなる。行政や医療体制に余裕があれば、家族を持たない人でもある程度安心して「自粛生活」を送ることができる。

日本は、他の東アジア社会と同様、家族主義の強い国である。家族主義の社会とは、家族を大事にする社会ではない。家族の役割が大きい社会、家族の負担が重い社会、すなわち家族がいてもいなくてもたいへんな社会である。家族主義の社会では、全般的に生活の余裕が小さくなる。家族を持っていればそれを維持するのがたいへんだし、家族を持っていなければ、なにか問題が起きたときに、必要最低限の生活資源を得ることが難しい。

新型コロナウイルスの件で明らかになったが、これからの社会の一つのキーワードは「ゆとり」あるいは「ふだんからの余裕」である。「バッファ」といってもいいだろう。さまざまなことにゆとりをもたせることは、有事の際に決定的に重要になる。「無駄を削る」ことは、一見すれば効率化のように感じられるが、その実非効率的なこともある。

なぜなら、バッファに頼らざるを得ない事件や災害は(予測は難しいとはいえ)必ず起こり、余裕の無さは甚大な損害をもたらすからだ。緊縮財政で公的医療支出を削減したイタリアで起こった医療崩壊は、バッファの重要性を如実に知らしめた(ただ、これはイタリア政府というよりEU、あるいは緊縮を主導するドイツ政府の問題だが)。

「ゆとり」をどこに置くのかも重要な問題である。

仕事については、今回のリモートワーク推進で、「無駄な会議がなくなった」という肯定的評価もあるだろう。日本の職場の会議は、意見の調整という役割もあるが、多くの人の時間を奪ってリーダーの責任をあいまいにする、ということでもある。このような無駄な会議を「バッファ」だととらえるよりは、それを削減してできた時間を働き方の余裕に再割当てしたほうがよい。

家庭については、ゆとりを持っていざというときに備えることを、家庭に求めすぎないほうがよいだろう。度重なる金融危機は、プライベートセクターである銀行に対して厳しいバッファ(自己資本)の準備を義務付けた。しかし、政府が同じことを(同じプライベートセクターである)家庭にするべきではない。バッファは、まずは社会全体での支援の網として構築すべきものであり、家庭にそれを求めすぎると、家族形成(結婚や出産)のハードルを上げてしまい、未婚化が進むだろう。

ただ、個々人の課題として「ゆとり」を考えることは是非してみてほしい。個人でも家庭でも社会全体でも、緊急時に必要なのはふだんからの余裕である。この不確実性の時代において、「何か問題が生じたらすぐに行き詰まる」ような生活や制度設計をすることは、効率化ではなく非効率化であることを強調したい。

筒井淳也(つつい・じゅんや) :1970年生まれ。一橋大学社会学部卒業、同大大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。博士(社会学)。現在、立命館大学産業社会学部現代社会学科教授。専門は家族社会学・計量社会学。『結婚と家族のこれから~共働き社会の限界~』(光文社新書)、『仕事と家族 日本はなぜ働きづらく、産みにくいのか』 (中公新書)、『制度と再帰性の社会学 (リベラ・シリーズ (8))』(ハーベスト社)など著書は多数。

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