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- 2010年08月17日 22:54
8月15日は、私にとって終戦の祈念日
先の大戦を太平洋戦争、と簡単に言われてしまうと、それはアメリカ側から見た位置づけだ、と一言注文をつけたくなる。
と、言って第二次世界大戦、と言うのも、ヨーロッパ戦線で戦っていない日本にとっては違和感が残る。
大東亜戦争、というのが日本側から見た先の大戦の呼び習わし方だが、これも古い軍国主義の臭いが纏わりついていて、私としては使いづらい。
そこで、先の大戦、という呼び名にするのだが、戦争の呼び名ひとつなかなか難しいものである。
8月15日は、何の日か。
終戦記念日だというのが一般的だが、いや敗戦記念日だと斜に構える人もいる。
8月15日は停戦の日ではあっても、敗戦の記念日などではない。
まあ、終戦記念日、というのがほどほどのところか。
しかし私は、8月15日を単なる終戦記念日にはしたくないと思っている。
不戦の誓いを新たにする、「終戦の祈念日」。
未来永劫新たな戦争をしない、と言う意味での終戦を祈念する一年の大事な節目の日。
これが私自身にとっての8月15日の位置づけである。
おそらく、靖国神社に祀られている祭神も、靖国に参拝されている多くの方々もそうではなかろうか。
ところが、靖国神社に参拝する私たちに向かって、あたかも太平洋戦争を賛美しているかのように歪曲してモノを言う人がいたのには愕然とした。
誰が、太平洋戦争を賛美するものか。
忌まわしい戦争であった。
確たる展望も無いまま戦端を開いた愚かな戦争であった。
どこにも大義も美しさもない戦争であった。
私は、そう思っている。
それにも関わらず、私たちが如何にも太平洋戦争を賛美しているかの如く言うのは、何という暴言か。
ご先祖の中にも戦地に赴かれた方がおられるだろうに。
と、言って第二次世界大戦、と言うのも、ヨーロッパ戦線で戦っていない日本にとっては違和感が残る。
大東亜戦争、というのが日本側から見た先の大戦の呼び習わし方だが、これも古い軍国主義の臭いが纏わりついていて、私としては使いづらい。
そこで、先の大戦、という呼び名にするのだが、戦争の呼び名ひとつなかなか難しいものである。
8月15日は、何の日か。
終戦記念日だというのが一般的だが、いや敗戦記念日だと斜に構える人もいる。
8月15日は停戦の日ではあっても、敗戦の記念日などではない。
まあ、終戦記念日、というのがほどほどのところか。
しかし私は、8月15日を単なる終戦記念日にはしたくないと思っている。
不戦の誓いを新たにする、「終戦の祈念日」。
未来永劫新たな戦争をしない、と言う意味での終戦を祈念する一年の大事な節目の日。
これが私自身にとっての8月15日の位置づけである。
おそらく、靖国神社に祀られている祭神も、靖国に参拝されている多くの方々もそうではなかろうか。
ところが、靖国神社に参拝する私たちに向かって、あたかも太平洋戦争を賛美しているかのように歪曲してモノを言う人がいたのには愕然とした。
誰が、太平洋戦争を賛美するものか。
忌まわしい戦争であった。
確たる展望も無いまま戦端を開いた愚かな戦争であった。
どこにも大義も美しさもない戦争であった。
私は、そう思っている。
それにも関わらず、私たちが如何にも太平洋戦争を賛美しているかの如く言うのは、何という暴言か。
ご先祖の中にも戦地に赴かれた方がおられるだろうに。



