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これはコロナ騒動ではなく、「マスク騒動」〜自由と責任

※※※

今回の新型コロナ騒動に伴う「マスク問題」を、僕はコロナ問題の派生系として位置づけていたため、ここ数ヶ月自分でも混乱してしまった。

この問題は、指定感染症という政府による「指定」問題やそれに伴う医療問題などが5月までは当然大きかったのだが、強制自粛が終了後の6月以降は、「マスクをつけるかつけないか」に象徴される、「生活から自由が剥奪される」問題に切り替わっていることにようやく僕は気づいた。

感染症の専門家やそれより軽いテレビニュースなどに頼っていては肝心な点を見失ってしまう。

「欧米の1/100程度の被害」という点は重要だが、そこにとどまるとすぐに「専門家沼」議論(感染ルート・「マスクかフェイスガードか」という防止スキル・「第2波」とは何か議論等)にはまりこむ。

そして多くの人々はこの専門家沼での佇まいに集中し、そもそもの、「その沼にはまりこむことで我々は何を失っているか」という点を見失う。

我々は、そうした専門家沼に入り無条件にマスクをし続けること(感染防止にいろいろ理由をつけて暑さと熱中症の危険のなかそれを着け続ける)で、「自由」を失っている。

 ※※※

ここでは「ウィルスとは何か」という点には立ち入らない。それは下に添付した大西つねきさんが言及しているので参考にしてほしい。

この動画でも大西さんが言及するように、大切なのはウィルス専門家的専門家沼の議論ではなく、我々にとって「自由」とは何か、そしてその自由を選び取る責任とは何か、ということだ。

この選択の「決定」は、大西さんも言うように、まずは政治家の仕事になる。ほかには、哲学者のデリダが『法の力』で述べたように、法律家と哲学者の仕事にもなる。

ウィルス専門家にはこの「決定」はできない。決定することを託された、政治家と法律家と哲学者だけが、大きなシステム変更の際に人々が選ぶ生活スタイルについて決定することができる(別に職業的にそれら3者になる必要はなく、その3者を自認するものすべてにその決定の権利がある。僕であれば哲学者を自認している)。

ただしこれは、人生の最大の価値として「自由」を置く人々に課せられた問題系だ。自由に関心のない人はそれぞれマスクすればいいと思う。

大西さんや僕のように、人生の最大の価値として「自由」を置く者は、それぞれのギリギリの判断で決定し、それを表明していく責任がある。

僕は、ウィルスの危険性が微弱であると概ね判断された現在、マスクで人生の自由を縛られたくない。それは僕自身が否定される重大事である。

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