菅内閣に対する支持率が軒並み60パーセント台に跳ね上がった。副総理が総理に横滑りしただけなのに、革命が起きたかのような変化である。
この10日間に何が起きたのか、を振り返っておこう。6月1日の段階では、鳩山総理に続投の意思があったのは明らかだ。その頃鳩山内閣に対する支持率は釣瓶落としのように急落しており、やがて10パーセント台を割る勢いだった。小沢氏が鳩山氏に見切りをつけていたことは、その頃の小沢氏のテレビ画面に映る表情や小沢氏周辺の人の言動から伝わってきていた。鳩山総理の辞任の引き金を引いたのは、やはり小沢氏だったろう。
鳩山総理の一番の相談相手である奥さんの幸さんが最後まで辞任に反対していたことは、総理の記者会見の模様から窺われるところだ。だから、鳩山総理は、民主党の両院議員総会で逆襲に転じた。
あの一言がなければ、ここまで風景が一変することは無かっただろう。考えに考え抜いた一言であった。どこかに卓越したシナリオライターがいたのではないか、と思わせるような一言であった。
「クリーンな本来の民主党に戻りたい。
恐縮ですが、小沢幹事長には幹事長をお辞めいただきたい。小沢幹事長とは何度もお話をし、すでにご同意を頂いておりますが、幹事長を退いていただきます。」
概ね、こんな挨拶だった。窮鼠猫を噛む、といったところか。
小沢氏はさぞかし腸が煮えくり返るような思いだったろうが、ぐっと我慢し、次の一手を考えていた。間髪を入れず次の代表を選ぶ、ということだ。二日後に代表選挙を行う、という誰が見ても慌しいスケジュール設定が小沢氏の意向を踏まえたものであることは、皆知っていた。
このときどう対処するか、に民主党の命運が懸かっていたと思う。私は、民主党の代表選挙を無投票にしてはならない、と訴えた。ここで無投票で次の代表が選出されれば、誰が新代表に選出されても、新しい民主党の執行部は小沢氏の影響力を排除できない、小沢氏の傀儡執行部になる。私は、それを強く危惧したからだ。
小沢氏は、自分の策に溺れてしまった。田中真紀子氏や原口一博氏を担ぎ出そうと画策し、反って墓穴を掘ってしまった。菅氏が小沢氏と折り合いをつけないまま、代表選挙に出馬することを表明したからである。
おそらく菅氏の周辺に小沢氏の水面下での工作の動きが伝わったからだと思う。機先を制す。機を見て敏なることは、政治家の要諦である。菅氏に対する高い支持率は、こうした一連の対応の結果得られたものである。
次のターニングポイントは、何と言っても枝野幹事長の登用である。私は、どんな抵抗、圧力があっても、枝野幹事長の実現をやり抜くことを訴えた。菅氏は、やはり勘がいい。小沢グループが騒げば騒ぐほど、小沢氏への対抗勢力に自分が名乗りを上げることが一番いい方策だということを肌で感じたようだ。
この段階で、菅氏は一つの殻を打ち破ったのかも知れない。菅、仙谷、枝野の新体制は、強力である。山岡氏を弾き飛ばしたのも、いい。
昨日、枝野氏と小沢氏との間で新旧幹事長の引継ぎがあったと報道されているが、あんなものは引継ぎでなんでもない。僅か2分とか3分の会談で大事なことの引継ぎなど出来るはずがない。最初の1分間は、新任の挨拶と前任者への御礼の言葉。次の1分は、後をよろしく、という言葉だけの挨拶。それじゃあ、と形だけ握手をし、さっさと席を立ってしまえば、これは喧嘩別れも同然。勝手にやってよ、ということだ。
菅総理が万一小沢氏を擁護するような発言をすれば、現在の支持率は、擁護発言1回ごとに10パーセントずつ下がっていく。私は、そう見ている。
現在の支持率は、菅新総理に対する期待値でしかない。鳩山内閣で副総理として大きな成果を挙げてきた、という仕事に対する評価などでは決してない。むしろ、菅氏は、まだ何も仕事をしていない、というのが本当のところである。鳩山前総理に対して国民が抱いた強い不信感は、鳩山内閣の要である副総理の菅氏にも向けられていたものでもある。
現在の高い支持率は、小沢氏と対抗するからこそ得られているもの。そのことを、よく自覚した方がいい。
菅氏が次に打つ最善の手は、小沢氏に対して証人喚問を受けるよう求めることである。そして、野党が打てる最善の手は、菅氏が小沢氏を擁護するような発言を繰り返さざるを得ないような状況に追い込み、総理が変わっても日本や日本の国民が置かれている状態は何も変わっていない事実を国民に知らせることである。さて、これからどんな攻防が展開されるだろうか。
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- 2010年06月10日 10:40