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めんどうな自由、お仕着せの幸福――サンスティーン先生、熟議のお時間です! - 那須耕介 / 法哲学

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国家による幸福のお膳立て

こうして、19世紀的な夜警国家があくまでも人びとの「自由な幸福追求」の条件整備に徹してきたのに対し、20世紀に確立された福祉国家は、一人ひとりの幸福をじかに保障することを任務とするようになりました。自分の幸福像をめいめいで思い描き、その実現方法もみずから選びとる(政府はその過程が邪魔されないことだけを保障する)社会から、政府が人びとの幸福が何であるかを見定めてこれを保護し、実現していく社会へと踏み出したのです。

もちろん、幸福それ自体と幸福の条件との区別は一筋縄ではいきません。恐怖と欠乏を免れて平穏な毎日を送ることは、誰にとっても幸福な生活の一部分ですが、それなしには自分の幸福像を思い描き、追求することのできない不可欠の前提でもあります。また仮に政府の役割をあくまでも「幸福の条件=選択の自由」の保障だけに限定したところで、十分な選択肢が、あるいは必要な知識や能力が欠けている場合には、結局のところ政府が手厚い援助をさしのべてこの「自由」を下支えしなければならないでしょう。

いずれにせよ、20世紀における福祉国家の発展は、個々人による「自由な幸福追求」の前提条件の整備から、それが空手形になってしまわないための支援、そして「誰もが求める幸福」の保護促進へと、政府の任務を広くきめ細かなものにしていきました。それ以降、私たちの「幸福」は、多かれ少なかれ政府の手助けなしには考えられないものになったのです。

福祉国家の苦境とその救世主?

しかしながら今日、福祉国家は慢性的な財源不足と深刻な社会の分裂、そして増殖する「社会問題」への対応に苦しめられています。20世紀後半以降、政府はしばしば、何が国民の幸福であり、そのためにどんな手を打つべきなのか、それらの間にどんな優先順位を設けてどれだけの財源を割り振るべきなのか、そしてこれらの選択すべてについてどうすれば国民からの支持を得られるのか、途方に暮れているようにみえます(そのあげくに逆ギレすることもしばしばです)。

サンスティーン教授は、まさにこの窮状に大胆でユニークな処方を与える人として登場しました。2000年代以降、彼は行動経済学の知見を応用しながら、強制にも社会的合意にも頼ることのない、また膨大な予算をつぎ込む必要もない政策手法を編み出し、これを学者業界のみならず広く一般に提唱しはじめたのです。実際この手法は、またたく間に米国のみならず各国政府の採用するところとなりました。

彼の着想はある意味とてもシンプルです。私たちの日常の認識や判断には広く共通のくせ、傾向がそなわっている。これをタイミングよく正してやるか、うまく利用してやりさえすれば、人は自分から進んでより賢明で合理的な行動を選ぶようになるだろう。そのための刺激となるのが「ナッジ(さりげない示唆と誘導)」だ、というのです。

彼はさらにこう考えます。――従来マーケティングの分野で活用されてきたこの種の手法を政府がもっと自覚的、体系的に活用するならば、高圧的な強制に訴えなくても、補助金をばらまかなくても、あるいは反対派の説得に東西奔走しなくても、おのずと多くの人びとが「社会問題」の解決に向けて協力しはじめるはずだ。社会制度や公共政策は、人びとの選択の自由を過不足なく保障しながらも、つねにその自発的な選択が総体としては各人の幸福、社会全体の福利をもたらすように設計されなければならない。

サンスティーン教授が描き出すのは、お金も権力も浪費することなく政策上の諸課題に効果的かつきめ細やかに対応できる、スマートでフットワークのいい政府像です。これが現代福祉国家の行き詰まりに呼応するものであることは、誰の目にも明らかでしょう。

というわけで、熟議の時間です!

とはいえ、彼の提案がすべての人に諸手を挙げて歓迎されてきたわけではありません。それは結局のところ、政府お手盛りの「幸福」像の押しつけにならないか。ナッジ的な誘導は、かえって政府の活動を見えにくく、批判しづらくしてしまうのではないか。それが許容する「自由」は、すでに愚かな(政府の都合に合わない?)選択肢を排除した、まやかしの自由なのではないか? ナッジはサンスティーン教授のふれこみ通り、人びとの幸福のためだけに用いられる道具なのか?

私自身もこれらの疑いや不安の多くを共有しています。しかし他方で、もう後戻りはできない、パンドラの箱は開けられてしまった、とも感じています。少なくともこれからしばらくは、ナッジのない世界はありえないでしょう。あるのはおそらく、ひどいナッジが野放しにされた世界か、比較的ましなナッジが生き延びるようにしつらえられた世界かのどちらかです。現実を少しでも後者の世界に近づけるためにも、ナッジとリバタリアン・パターナリズムの功罪に対する眼力を身につけ、これからの「自由」と「幸福」についての洞察力に磨きをかけながら、すぐれたナッジを考案していく必要があるのではないでしょうか。

というわけで、大屋雄裕先生、若松良樹先生、瀬戸山晃一先生、成原慧先生、田村哲樹先生、ちょっとお話聞かせていただいてもいいでしょうか?

対話ホスト那須耕介さんによるご案内、いかがでしたでしょうか。次回は、慶應義塾大学教授の大屋雄裕さんをゲストに、法哲学者二人の対話です。この話題に欠かせない大屋さんのご登場、どうぞお楽しみに。


那須耕介(なす・こうすけ)
法哲学


1967年生まれ。京都大学教授。法哲学。著書に『多様性に立つ憲法へ』(2014年、編集グループSURE)、『現代法の変容』(共著、2013年、有斐閣)、共訳書に『メタフィジカル・クラブ』(ルイ・メナンド著、2011年、みすず書房)、『熟議が壊れるとき』(キャス・サンスティーン著、2012年、勁草書房)ほか。

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