
BLOGOS読者の皆様こんにちは、倉持由香です。
5月23日、『テラスハウス』に出演されていた女子プロレスラーの木村花さんが22歳の若さで亡くなられてしまいました。毎日のようにSNSに届くアンチからの誹謗中傷に心を痛めていたと報道されています。
私もいままでタレントという立場から、SNSの使い方について色々と発信してきましたが、今回の事件は率直に「怖い」の一言です……。
人間ってこんなにも、よってたかって人を追い詰めることができるのかと思うと、ひたすら怖くて。集団の狂気を感じてしまいます。
花さんのSNSを見に行くと、誹謗中傷してた人たちがリプライやアカウントを慌てて削除していました。画面の向こうにいる相手の気持ちを微塵も考えず、好き勝手に書き込んで、いざとなったら削除して逃げてしまう。
たとえアカウントを削除しても、傷付けた事実は決して消えません。
誹謗中傷を咎められた人達はみんな決まって「そんなつもりじゃなかった」、「軽い気持ちだった」と言います。
ですが、「指殺人」と呼ばれているように、言葉は時にナイフと同じ殺傷力を持つのです。ナイフで刺しておいて「そんなつもりじゃなかった」では済まされません。
今回の痛ましい事件を受けて、弁護士事務所に「誹謗中傷してしまったのですが、訴えられますか!?どうしたら回避できますか?」という相談が多数寄せられるようになったそうです。
誹謗中傷してしまった相手への反省や謝罪より先に、自分の保身を考える姿勢はとても悲しく思います……。
「訴えられるから」誹謗中傷をやめるのではなくて、「相手を傷付けてはいけないから」誹謗中傷をやめないといけないのです。
このような悲劇を二度と繰り返さないためにも、私たちユーザー1人1人がSNSとの付き合い方・向き合い方を改めて考えるべきだと感じています。
また、誹謗中傷に悩むのはタレントや著名人だけではありません。SNSユーザーなら誰でも被害者・加害者になる可能性が十分あります。
「画面の向こうには生身の人間がいる。その人はこの発言に傷付かないだろうか?」
とても当たり前のことですが、書き込む前にどうか一度指を止めて考えてみて欲しいのです。
花さん、そして遺族の皆様に心よりお悔やみ申し上げます。
「社長の愛人だろ?」悪質デマでパニックを起こした日々
私も2、3年前に酷い誹謗中傷とデマの被害を受けたことがありました。
当時、AbemaTV によく出演させていただいていたのですが、「こいつはAbemaTVにやたら出ているから、サイバーエージェント藤田社長の愛人だ」ってデマを書かれてしまったのです。
もちろん事実無根で、プライベートでお会いしたことも無ければ連絡先さえ知りません……。
なぜかそういう説を言う人が何人かいて、「このブスはプロデューサーと寝ているから出てるんだ」とか、「俺業界の人間だけど、こいつはグラドル仲間に売春斡旋してるよ。それで稼いでるんだよ」とか、したり顔で書き込む謎の自称業界人まで現れて。何の根拠があって、自信満々に書けるのでしょうか。
AbemaTVに出るたびに「枕営業ブス消えろ」「さっさと死ねよ」などとコメントに書かれるのですが、私はMCアシスタントの立場が多く、コメントを紹介する役割なのでどうしても読まなくてはいけないのです。それがとてもキツくて。なるべく優しいコメントを探そう探そうとしても、目に入る誹謗中傷の数々に、毎回涙目になってしまいました。
スタッフさんは生放送中、カメラを切り替えたりテロップを出したり、音声を調整したりと色々な作業をしてるので、私に対するコメントだけ消してください!とは言えず……。
私が何か悪いことをしたのだったらともかく、何もしてないのにデマで叩かれる原因が分からず「一体なんで…?なんで…?」と混乱してしまって。
こんなに「消えろ、消えろ」と言われるということは、誰も私を求めてなくて、私は死んだ方がいいのではないかと、どんどん悪い方向に追い詰められていったのです。
仕事現場に行こうとするとパニック発作を起こしたり、手足が震えて立ち上がれなくなったりしてしまい、メンタルクリニックに通う事態にまでなってしまいました。
そんな時に救われたのは、コメントを見たファンの方が心配して送ってくれたリプライやお手紙です。
「まじめに頑張ってるのは知っているから負けないで」、「もっちーの味方だよ」という言葉にすごく励まされて、誹謗中傷の言葉じゃなくて私のことを応援してくださる方々の温かい言葉で脳と心をいっぱいにしよう……と思えたのです。
当時、私のデマを流した人たちはもしかしたら書き込んだことすら忘れて毎日楽しく暮らしているのかもしれません。ですが、受けた側はふとした瞬間に鮮明に思い出したりしてずっと苦しい思いをしています。
今回、タレントや著名人が多く誹謗中傷についてコメントを出したのは、きっと同じように追い詰められた経験があって、他人事ではなかったからなのだと思います。