記事
- 2012年09月04日 09:00
選挙制度はどう改革されようとしていたか 大屋雄裕
1/2
画像を見る
私に言えるのはただ、仮にそのような決定が必要な状況があったとき、《誰が死ぬか》をむき出しの暴力が決めるよりは、民主政プロセスに委ねられた方が「まだまし」だろうという程度のことである。民主政において何が正しいかを決めるのは、最終的には《全体としての人民の意思》である。そしてそれは多数派支配であり、少数派に対する無視(あるいは抑圧)を少なくとも潜在的には内包している。それでもなお他の政治制度より「まだまし」なものとして、我々は民主政を選択したのではなかったかと、その程度のことだ。だがそのような相対主義的観点に立ってもなお、単純な多数決ないし多数派支配に委ねるわけにはいかない問題がある。それが民主政プロセス自体の問題、どのような制度を経て・どのように「我ら人民の意思」が形成されるかという手続的な側面だ。民主政への信頼は、そこで得られた結論を「我ら人民の意思」として理解することができるという信念に支えられている。
仮に、イタリア・ファシスト政権が実際にそうしたように《選挙で25%以上の得票を得た第一党が総議席の2/3を得る》ような選挙制度を政権与党が多数決で導入してしまったとしよう。その結果選出された議会による決定を、我々は自分たち自身の決定と信じることができるだろうか。むき出しの暴力より「まだまし」なものと納得することができるだろうか。
もちろん選挙制度は、それによって各政治勢力の獲得議席数や政治的影響力が変動してしまう以上、それぞれの思惑や利害が対立する高度に政治的な課題である。すべての政治勢力が合意できる制度など、確かに存在しないかもしれない。しかしそれでも、議論を通じて可能な限り広範囲の政治勢力から合意を得る、少なくとも消極的な黙認を得ることが憲政の常識とされてきた背景には、このような問題意識が存在した。
別の言い方をすればそれは、民主政の自己防衛である。不公正な選挙制度・議会制度により民主政プロセスから疎外された(と信じる)勢力は、民主政の外側からそれを打倒しようとする勢力に同調し、支持を提供するだろう。大正デモクラシーで実現した日本の政党政治がファシズムの勃興に抵抗できなかった背景には、民主政プロセスがまるごと不公正であり正統性を持たないという労働者・大衆からの批判があった。選挙制度が公正であること、少なくとも多くの人々から「まだまし」なものとして消極的に支持される程度の公正さを装えることは、民主政自身にとっての生命線なのだ。
一方では消費税増税問題をめぐって野田総理大臣が「近いうちに」衆議院を解散して総選挙を実施することを約束していたが、現在の選挙区割りによって実施された2009年総選挙については最高裁判所で「違憲状態」にあると判示されており(最高裁大法廷判決平成23年3月23日)、このままの状態で選挙を行なえば違憲無効判決を受ける危険性があった。改革案について与野党協議が進められていたが合意に至らず、野党が欠席するなか衆議院で与党案を単独可決・参議院に送付(8月28日)、野党側が反発して野田総理大臣問責決議案の可決に至った(29日)という経緯は報道されている通りである。
だが与野党はどこで対立していたのだろうか。野党側の改革案も衆議院に提出されていたし、両者は共通の内容を一定程度含んでいた。前述の最高裁判決が投票価値の平等を実現するよう求め、そのための障害として「一人別枠方式」(小選挙区部分の定数について、まず1議席ずつを各都道府県に割り振り、残りを人口比例で配分する制度。人口の少ない県への配慮とされる)を明示していた以上、その部分の改革は当然に必要となるだろう。後述するが、与野党双方の改革案は確かにその部分で一致している。
では何が違うのか。とりあえず手近にあった二紙の8月28日夕刊・29日朝刊を確認した限りでは、与党による衆議院選挙改革案の内容についてほとんど紹介されていなかった。与党関係者の発言では、野党案が定数を5議席減らす内容なのに対して、民主党案では45議席減としていることから、野党が「身を切る改革」に消極的であると主張するものがいくつか見られた。菅直人前首相のように、国会で行なわれているのは「相変わらず解散はいつかといった政局議論ばかり」(オフィシャルブログよりhttp://ameblo.jp/n-kan-blog/entry-11338974879.html)として、すべてを政局の問題に還元しようとしている人もいるようである。
提出された法案は、衆議院ウェブサイトの「議案」コーナー(http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_gian.htm)から確認することができる。衆議院議員提出法案(衆法)の22号が8月28日に本会議で可決され参議院に送付された民主党案(樽床伸二議員他提案)、27号が野党側の対抗案(細田博之議員他提案)である。民主党案の内容を要約すると、以下の内容が含まれている。
1 小選挙区部分の定数を5削減する(300人→295人)。2 小選挙区について、都道府県ごとの定数を「0増5減」する。都道府県内の区割りについては、選挙区間の人口格差を2倍未満にするなどの基準を定める。3 都道府県ごとの議席配分については「一人別枠方式」を廃止する。4 比例代表部分の定数を40削減する(180人→140人)。5 新定数のうち105人は従来同様の制度、35人は「連用制的」比例枠とする。6 比例代表部分については、従来のブロック単位から全国単位に変更する。7 比例代表部分に候補者を擁立するための条件を引き上げる。8 比例代表制度に阻止条項を導入し、得票率1%未満の政党は議席割り当ての対象としない。
このうち下線を引いた1~3が与党案・野党案に共通の内容、そうでない4~8が与党案独自の内容である。野党案には独自の要素は見当たらない。なお念のために言えば、5の「連用制的」というのは国会に提出された法律案要項に書いてある通りである。先取りして言えば、「「連用制的」比例枠の導入」というカッコ付きの表記を提案者自身がしているということがすでに、それが通常の連用制でもないヌエ的なものだという本質を明らかにしているということもできるだろう。
また7について補足すると、比例代表部分に候補者を立てる=候補者名簿を提出するためには、その政党が以下の3条件のいずれかを満たす必要がある。(1) 国会議員が5名以上所属している、(2) 直近の国政選挙における得票率が有効投票の2%以上である、(3) その選挙区の定数の20%を超える候補者を立てている(公職選挙法86条の2)。与党案はこのうち(3)を「28人以上」に改めるもので、確かに比例代表部分の定数140人の20%にはなっているのだが、第一にそのうち35人が性格の異なる選挙制度で・別の計算で選ばれることは無視されているし、第二に一部のブロックだけで候補者を立てることができなくなった結果として最低限必要な候補者数が大きく嵩上げされることになる。
具体的に言うと、条件(1)(2)を満たせない新政党であっても、現行制度では最少で2人(定数6の四国ブロック・定数8の北海道ブロック)の候補者を集めれば、そのブロックでは比例代表部分に参加することができる。もっとも大きい近畿ブロック(定数29)であっても、最低限6人の候補者がいれば名簿を提出することができる。これが一気に28人となり、さらに言えば出馬に必要となる供託金もそれだけ多額の用意がいることになるだろう。
8もユニークなところである。比例代表制における議席配分について、一定の得票率に達しない政党を排除すること(阻止条項)自体は比較的広く見られる。ドイツ連邦議会・イタリア代議院が典型的で、小党分立による政治の混迷と民主政の弱体化を防ぐ、小政党がキャスティングボートを握って過大な影響力を持つことを防ぐ、急進派・過激派を議会から排除する、などがその狙いとして挙げられる。得票率に応じた議席数が獲得できるために、各政治勢力がとめどなく分裂していく傾向を持つ比例代表制に一定の枠をはめ、いくつかの大政党(あるいは政党連合)へと整理する役割が阻止条項には期待されているということになろう。
だがその観点から見たときに特徴的なのは、1%という阻止条件の低さである。このラインは、例として挙げたドイツ連邦議会では5%・イタリア代議院では4%であり、導入例もその前後の数字が多い。小党分裂が激しくて政権が安定しない・ごく少数の保守派宗教政党がキャスティングボートを握っているとしばしば批判されているイスラエル議会(クネセト)でも2%であり、逆に言うと1%という数字では阻止条項本来の狙いはほぼ実現できないことが予想される。
2009年総選挙の数字で見ると、1%ラインを下回ったのは新党日本と新党大地であり(議席獲得できなかった諸派を除く)、これに2%ラインなら国民新党、5%ラインだと社会民主党とみんなの党が加わることになる。私自身は地域政党などの新興政治勢力をほとんどまったく支持していないのだが、それにしてもあまりにも露骨な政治的狙いが透けて見えるということにはならないだろうか。当面の違憲状態を回避するための制度改革と称してこんなものが出されれば、合意が得られなくなるのも当然かと思われる。
多数派支配の限界
Synodos Journalにおいて、いわゆる尊厳死法案の問題が数人の論者によって取り上げられていた。私にはその問題について知見も特定の意見もない。ただ、本人の望まない死が強制されるようなことは望ましくないと考える一方、「生命への権利」をどれだけ擁護しても「冷たい方程式」のような極限事例において生への可能性を規定するのは《どれだけの資源があるか》であり、相対的な多数を生き延びさせるために少数派に死が迫られることもあり得るだろうと思うだけである(もちろん現代日本社会がそのような極限的状態にあるとはまったく考えていない)。私に言えるのはただ、仮にそのような決定が必要な状況があったとき、《誰が死ぬか》をむき出しの暴力が決めるよりは、民主政プロセスに委ねられた方が「まだまし」だろうという程度のことである。民主政において何が正しいかを決めるのは、最終的には《全体としての人民の意思》である。そしてそれは多数派支配であり、少数派に対する無視(あるいは抑圧)を少なくとも潜在的には内包している。それでもなお他の政治制度より「まだまし」なものとして、我々は民主政を選択したのではなかったかと、その程度のことだ。だがそのような相対主義的観点に立ってもなお、単純な多数決ないし多数派支配に委ねるわけにはいかない問題がある。それが民主政プロセス自体の問題、どのような制度を経て・どのように「我ら人民の意思」が形成されるかという手続的な側面だ。民主政への信頼は、そこで得られた結論を「我ら人民の意思」として理解することができるという信念に支えられている。
仮に、イタリア・ファシスト政権が実際にそうしたように《選挙で25%以上の得票を得た第一党が総議席の2/3を得る》ような選挙制度を政権与党が多数決で導入してしまったとしよう。その結果選出された議会による決定を、我々は自分たち自身の決定と信じることができるだろうか。むき出しの暴力より「まだまし」なものと納得することができるだろうか。
もちろん選挙制度は、それによって各政治勢力の獲得議席数や政治的影響力が変動してしまう以上、それぞれの思惑や利害が対立する高度に政治的な課題である。すべての政治勢力が合意できる制度など、確かに存在しないかもしれない。しかしそれでも、議論を通じて可能な限り広範囲の政治勢力から合意を得る、少なくとも消極的な黙認を得ることが憲政の常識とされてきた背景には、このような問題意識が存在した。
別の言い方をすればそれは、民主政の自己防衛である。不公正な選挙制度・議会制度により民主政プロセスから疎外された(と信じる)勢力は、民主政の外側からそれを打倒しようとする勢力に同調し、支持を提供するだろう。大正デモクラシーで実現した日本の政党政治がファシズムの勃興に抵抗できなかった背景には、民主政プロセスがまるごと不公正であり正統性を持たないという労働者・大衆からの批判があった。選挙制度が公正であること、少なくとも多くの人々から「まだまし」なものとして消極的に支持される程度の公正さを装えることは、民主政自身にとっての生命線なのだ。
衆議院での対立から参議院での問責決議へ
さてこのようなことを長々と述べた背景には、当然ながら現国会において審議されている衆議院総選挙改革案の問題がある。一方では消費税増税問題をめぐって野田総理大臣が「近いうちに」衆議院を解散して総選挙を実施することを約束していたが、現在の選挙区割りによって実施された2009年総選挙については最高裁判所で「違憲状態」にあると判示されており(最高裁大法廷判決平成23年3月23日)、このままの状態で選挙を行なえば違憲無効判決を受ける危険性があった。改革案について与野党協議が進められていたが合意に至らず、野党が欠席するなか衆議院で与党案を単独可決・参議院に送付(8月28日)、野党側が反発して野田総理大臣問責決議案の可決に至った(29日)という経緯は報道されている通りである。
だが与野党はどこで対立していたのだろうか。野党側の改革案も衆議院に提出されていたし、両者は共通の内容を一定程度含んでいた。前述の最高裁判決が投票価値の平等を実現するよう求め、そのための障害として「一人別枠方式」(小選挙区部分の定数について、まず1議席ずつを各都道府県に割り振り、残りを人口比例で配分する制度。人口の少ない県への配慮とされる)を明示していた以上、その部分の改革は当然に必要となるだろう。後述するが、与野党双方の改革案は確かにその部分で一致している。
では何が違うのか。とりあえず手近にあった二紙の8月28日夕刊・29日朝刊を確認した限りでは、与党による衆議院選挙改革案の内容についてほとんど紹介されていなかった。与党関係者の発言では、野党案が定数を5議席減らす内容なのに対して、民主党案では45議席減としていることから、野党が「身を切る改革」に消極的であると主張するものがいくつか見られた。菅直人前首相のように、国会で行なわれているのは「相変わらず解散はいつかといった政局議論ばかり」(オフィシャルブログよりhttp://ameblo.jp/n-kan-blog/entry-11338974879.html)として、すべてを政局の問題に還元しようとしている人もいるようである。
提出された法案の内容
ではどこが本当に違うのか、両法案を比べて実際に見てみよう。提出された法案は、衆議院ウェブサイトの「議案」コーナー(http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_gian.htm)から確認することができる。衆議院議員提出法案(衆法)の22号が8月28日に本会議で可決され参議院に送付された民主党案(樽床伸二議員他提案)、27号が野党側の対抗案(細田博之議員他提案)である。民主党案の内容を要約すると、以下の内容が含まれている。
1 小選挙区部分の定数を5削減する(300人→295人)。2 小選挙区について、都道府県ごとの定数を「0増5減」する。都道府県内の区割りについては、選挙区間の人口格差を2倍未満にするなどの基準を定める。3 都道府県ごとの議席配分については「一人別枠方式」を廃止する。4 比例代表部分の定数を40削減する(180人→140人)。5 新定数のうち105人は従来同様の制度、35人は「連用制的」比例枠とする。6 比例代表部分については、従来のブロック単位から全国単位に変更する。7 比例代表部分に候補者を擁立するための条件を引き上げる。8 比例代表制度に阻止条項を導入し、得票率1%未満の政党は議席割り当ての対象としない。
このうち下線を引いた1~3が与党案・野党案に共通の内容、そうでない4~8が与党案独自の内容である。野党案には独自の要素は見当たらない。なお念のために言えば、5の「連用制的」というのは国会に提出された法律案要項に書いてある通りである。先取りして言えば、「「連用制的」比例枠の導入」というカッコ付きの表記を提案者自身がしているということがすでに、それが通常の連用制でもないヌエ的なものだという本質を明らかにしているということもできるだろう。
比例代表制度の全国化
まず注目されるのは、現在全国を11のブロックに分けて行なわれている比例代表部分について、全国単位に統一するという内容6である。あまり報道されていないように見えるが、これにより全国規模での選挙活動が行なえない小政党や、支持に地理的な偏りのある地域政党は大幅に排除されることになるだろう。「大阪維新の会」「減税日本」といった地域政党が国政進出を目指しているとされる状況を考えれば、それを阻止するというむき出しの政治的目論見によるものだと評価すべきではないだろうか。もちろんこれは《小選挙区部分における》定数配分が問題になった前掲最高裁判決においてまったく要求も言及もされていない内容であり、当面の選挙を合憲的に実現することとは何の関係もない。また7について補足すると、比例代表部分に候補者を立てる=候補者名簿を提出するためには、その政党が以下の3条件のいずれかを満たす必要がある。(1) 国会議員が5名以上所属している、(2) 直近の国政選挙における得票率が有効投票の2%以上である、(3) その選挙区の定数の20%を超える候補者を立てている(公職選挙法86条の2)。与党案はこのうち(3)を「28人以上」に改めるもので、確かに比例代表部分の定数140人の20%にはなっているのだが、第一にそのうち35人が性格の異なる選挙制度で・別の計算で選ばれることは無視されているし、第二に一部のブロックだけで候補者を立てることができなくなった結果として最低限必要な候補者数が大きく嵩上げされることになる。
具体的に言うと、条件(1)(2)を満たせない新政党であっても、現行制度では最少で2人(定数6の四国ブロック・定数8の北海道ブロック)の候補者を集めれば、そのブロックでは比例代表部分に参加することができる。もっとも大きい近畿ブロック(定数29)であっても、最低限6人の候補者がいれば名簿を提出することができる。これが一気に28人となり、さらに言えば出馬に必要となる供託金もそれだけ多額の用意がいることになるだろう。
8もユニークなところである。比例代表制における議席配分について、一定の得票率に達しない政党を排除すること(阻止条項)自体は比較的広く見られる。ドイツ連邦議会・イタリア代議院が典型的で、小党分立による政治の混迷と民主政の弱体化を防ぐ、小政党がキャスティングボートを握って過大な影響力を持つことを防ぐ、急進派・過激派を議会から排除する、などがその狙いとして挙げられる。得票率に応じた議席数が獲得できるために、各政治勢力がとめどなく分裂していく傾向を持つ比例代表制に一定の枠をはめ、いくつかの大政党(あるいは政党連合)へと整理する役割が阻止条項には期待されているということになろう。
だがその観点から見たときに特徴的なのは、1%という阻止条件の低さである。このラインは、例として挙げたドイツ連邦議会では5%・イタリア代議院では4%であり、導入例もその前後の数字が多い。小党分裂が激しくて政権が安定しない・ごく少数の保守派宗教政党がキャスティングボートを握っているとしばしば批判されているイスラエル議会(クネセト)でも2%であり、逆に言うと1%という数字では阻止条項本来の狙いはほぼ実現できないことが予想される。
2009年総選挙の数字で見ると、1%ラインを下回ったのは新党日本と新党大地であり(議席獲得できなかった諸派を除く)、これに2%ラインなら国民新党、5%ラインだと社会民主党とみんなの党が加わることになる。私自身は地域政党などの新興政治勢力をほとんどまったく支持していないのだが、それにしてもあまりにも露骨な政治的狙いが透けて見えるということにはならないだろうか。当面の違憲状態を回避するための制度改革と称してこんなものが出されれば、合意が得られなくなるのも当然かと思われる。



