記事

SNSで有名人を追い詰めるバカを野放しにしてはいけない

2/2

すべての発言には責任が伴う、という原理原則

私の尊敬する批評家のひとりに、故・勝谷誠彦さんがいる。勝谷さんは、コラムニストやテレビのコメンテーターとして、非常にエッジの効いた、忖度(そんたく)のない批判を口にして、毀誉褒貶(きよほうへん)が絶えなかった人だ。

実は私の母が、勝谷さんのファンだった。「毒舌なのがいい」と。それを勝谷さんに伝えたことがある。そのとき、勝谷さんは「『毒舌コメンテーター』って変な言葉だなぁ~。ただ、コメンテーターは毒舌でなければ意味がないよ。本音で表現するからこそ、存在意義がある」と言っていた。人々が口にしづらいこと、違和感や不信感が拭えないことをちゃんと表現するのがコメンテーターの矜持であり、それに伴うリスクや反論にもちゃんと対峙する。それが批評する人間の責任である。そういう考え方を持っている人だった。

すべての発言には責任がともなう。これは立場や環境に関係なく自覚すべき、原理原則である。批評、批判は自由だ。ただし、開かれた場で発言をする以上は責任を持たなければならない。そして、批判する相手がどう受け取るかを注視しながら、冷静なコミュニケーションを意識しなければならない。相手を死に追いやるような、一方的な罵詈雑言などもってのほかなのだ。

無責任発言、揚げ足取りに付き合う必要はない

私にも何人か、「こいつだけは許さない」「本当に嫌いだ」と見限り、ネット上で関わらないようにしている人間が存在する。そのほとんどは“論客”的な立ち位置にしがみつき、なんでもわかっているような口ぶりで相手を見下してくるアラ還のオッサンたちだ。彼らはいちいち、こちらの揚げ足を取ってくるので邪魔で仕方がない。要するに構ってほしいのだろうが、私は「無視」ないしは「ブロック」で対処することにしている。

とかく「ツイ廃」のようになった過去の論客は、支持者から寄せられる感嘆や礼賛など心地よい言葉にばかり浸り、視点や主義主張の異なる意見に耳を傾けられなくなっている。一時期は尊敬していた人物もいるが、もはや「終わった人」「ロートル」「老害」なんだな、と思う。そんな相手とは金輪際、接点を持たなくてもなんら問題ない。

百歩譲って、家族や友人などごく限られた人々しかいない、クローズドな環境での雑談程度であれば、自分本位で狭量な批評、無責任で乱暴な批判も許容されるかもしれない。しかし、SNSのように開かれた環境で批評や批判を口にするのであれば、くれぐれも慎重になるべきである。

人間の「欲深さ」を前にして、性善説は通用しない

今回の一件を受けて、改めて人間の醜さを痛感してしまった。そして「善意」に基づいたSNSの利用には限界があると再認識した。

最近、「納豆ご飯セット一生涯無料パスポート」を1万円で提供するという納豆定食屋のクラウドファンディングが炎上し、ネットで話題になった。当該の納豆定食は通常600円なので、「17回食べれば元が取れる」とアピールし、多くの出資者が集まった。ところが、店に来ても無料の定食だけを(1日1回という制限はあるが)16回連続で食べ続ける人など、他のメニューを注文しない客ばかりが来訪。店側は「信頼性が損なわれた」として、パスポートを無効にしようとしたのだ。

おそらく店側は「いくらなんでも、毎回無料のものばかり食べるワケないよね~♪ 1回無料で食べたら、5回くらいは有料のものも食べて応援してくれるよね~♪」などと想定したのだろう。だが、これは店の認識が甘すぎだ。あまりにも性善説に立脚しすぎている。

私のように、これまでの経験からネットの性善説をほとんど信じていない人間からすると、この状況は「そりゃ、そうなるだろうな」としか思えない。寄付した人は、善意を持つ人ばかりではない。「とにかく、少しでも安くメシが食いたい」「タダでOKといったのはそっちだろ。無料メニューだけ注文してなにが悪い」「自分さえ得することできれば、他は知ったことではない。店が損しようがどうでもいい」などと考える人間は、想像以上に多いのだ。どんなにクラウドファンディングの目的としてキレイごとを並べようとも、そこに信頼関係は存在せず、ただ人間の欲だけが渦巻いていたのである。

人の善意はそう簡単に期待できない

どうしても性善説を信じたいのであれば、前提条件を考える必要があるだろう。

相手から善意や好感を引き出したいのであれば、そこに至るまでに良好なコミュニケーションを積み重ねて、お互いに「この相手のことは裏切れない」「この人、本当に頑張っているな。応援したいな」「この人と対話するのは心地よいな」「この人の好意に自分も応えたい」などと思えるような信頼関係を構築しておく必要がある。要するに、人の善意はそう簡単に期待できないということだ。見ず知らずの人間どうしが唐突にネット上でやり取りする程度では、善意と信頼感に基づく関係性など築けるはずもない。

私はSNSが普及してから、ネット上で相手との距離感がつかめない人間が増えているように思えてならない。対話にしても、信頼関係の構築にしても、自分の発言に対する責任感にしても、キモになるのはとどのつまり、相手との距離感である。それがわからないから、いきなり距離を詰めてなれなれしくしたり、勝手に憤って攻撃してきたりするのではなかろうか。

「本当に大切な人」とのつながりを大切に

郵便にしろ、電話にしろ、インターネットにしろ、遠距離通信とは相手との距離を埋めるために発達したツールである。それらは本来、人を傷つけるためのツールではない。互いに信頼感を持てる者どうしがつながるためのツールなのである。

たしかに、インターネットは人間のコミュニケーションの幅を広げてくれた。以前であれば知り合う可能性がなかった人間どうしがつながれるようにもなった。とはいえ、見ず知らずの人間と無理してまでつながる必要はないのも事実だ。SNSの出現により、本来聞く必要がないようなノイズをイヤでも意識せざるを得なくなり、付き合う必要がないようなバカの相手をしなければならなくなった。

ここで改めて問いたいのは、あなたにとって、本当に大切な人は誰か、ということだ。

冷静に考えてみれば、それほど多くは存在しないだろう。信頼できる家族や心から尊敬できる友人、自分を本当に評価してくれる仕事仲間や取引先の担当者……せいぜい10~20人くらいではないだろうか。別に少なくても構わない。数人もいれば十分だし、1人、2人でもいてくれれば救われるはずだ。

そうした人々とのつながりを大切にしながら生きていけば、それだけで十分、幸せを感じることができる。本当の充実感が得られるかどうかは、日常のなかにある、ささやかな幸せを感じることができるかどうかで決まる。逆にいえば、現実的で、身の丈に合った日常を大切にできない者は、絶対に幸せにはなれないのである。

ネット上で誰かを攻撃しているだけでは幸せになれない

人と人とのつながりには、実際に会って、直接言葉を交わした者どうしでなければ共有できない感覚がある。その肌感覚を大事にすることが、互いの信頼感を深めてくれる。どんなにSNSで頻繁にやり取りしようが、ネットを介したコミュニケーションには限界があるだろう。

私が以前から「どんなにネットが発達しようとも、SNSが隆盛を極めようとも、人生の軸足は現実の日常生活に置くべきである」と主張しているのは、いま述べたような理由からだ。ネット上で、まともに対話したこともない相手のことを一方的に攻撃しているだけでは、あなたは絶対に幸せになれない。ましてや今回の一件では、ひとりの人間が自ら命を絶ってしまったのだ。その重大さを本気で認識しなければならない。

ここからは少し余談になるが、先日、リアルなつながりのありがたさをしみじみと実感するような出来事があった。

私は1987年から1992年まで、父の仕事の都合でアメリカに住んでいた。父にはミスター・グリーンという素晴らしい上司がいた。父はグリーンさんのことを尊敬し、グリーンさんも父のことを非常に信頼してくれていた。

そのグリーンさんには娘さんがいるのだが、在米時、私はその娘さんと数回会ったことがある。当時、私は10代半ばの小僧で、彼女は20代半ばの“すてきなお姉さん”という印象だった。彼女も“父親が信頼する部下の息子”ということで私をかわいく思ってくれたのか、会ったときはとても親切にしてくれた。

30年ぶりの会話で再認識する、信頼関係の本質

この連載でも以前書いたように、私は今年8月いっぱいでセミリタイアすることを決めている。その後はビザが取れて入国できれば、しばらくアメリカで暮らす予定だ。この渡米に関連して、30年ぶりに、グリーンさんの娘さんに連絡を取った。

彼女は、私が暮らしたいと考えているシカゴの近郊に住んでいる。それがわかっていたので、「近々、そちらの“ご近所さん”になるかもしれません」「いろいろと相談に乗ってもらえたら嬉しいです」とメールで伝えた。その後、「WhatsApp」という無料通話アプリで会話もしたのだが、彼女は私の渡米をとても歓迎し、「不動産屋巡りとか、私で手伝えることがあれば、何でも遠慮なく頼ってね」と申し出てくれた。本当にありがたいと思うと同時に、「やはり、直接会ったことがある相手とのつながり、相手に抱いた信頼感は、たとえどんなに時間を置いても、距離が離れていても、失われることがないのだな」と痛感した。

信頼関係とは、そういうものなのだと思う。

----------
【まとめ】今回の「俺がもっとも言いたいこと」
・ネットを介して一方的に罵詈雑言を投げつけ、自殺にまで追い込むような所業は絶対に許されるものではない。
・開かれた場での発言には、責任が伴う。言いっぱなしで逃げるような態度は、極めて醜悪で、卑怯である。
・SNSで性善説を信じるのは、あまりに楽観的すぎる。
・人生の軸足は、ネットではなくリアルな日常生活に置くべきだ。

----------

----------
中川 淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
ネットニュース編集者/PRプランナー
1973年東京都生まれ。ネットニュース編集者/PRプランナー。1997年一橋大学商学部卒業後、博報堂入社。博報堂ではCC局(現PR戦略局)に配属され、企業のPR業務に携わる。2001年に退社後、雑誌ライター、「TVブロス」編集者などを経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』『バカざんまい』など多数。
----------

あわせて読みたい

「木村花」の記事一覧へ

トピックス

  1. 一覧を見る

ランキング

  1. 1

    逮捕されても臆することなく、取材を続けよう〜田原総一朗インタビュー

    田原総一朗

    07月28日 08:07

  2. 2

    東京3000人は五輪強行開催によるモラル崩壊の証。もう誰も自粛しない

    かさこ

    07月28日 08:46

  3. 3

    コロナ対策は菅内閣にも直結 東京の新規感染者数が5000人超えなら菅内閣はもたない

    田原総一朗

    07月28日 14:43

  4. 4

    ロッキンは中止する必要があったのか?〜7 /8の議院運営委員会で西村大臣に質疑を行いました〜

    山田太郎

    07月28日 09:58

  5. 5

    「きれいごとだけでは稼げない」週刊文春が不倫報道をやめない本当の理由

    PRESIDENT Online

    07月28日 12:30

  6. 6

    酷暑下の札幌五輪マラソン 市民の冷ややかな声も少なくない

    NEWSポストセブン

    07月27日 09:36

  7. 7

    中国、ロシア製ワクチンと立憲民主と共産党 まあ少し可哀想ではあるけど、ブレインが悪いのとセンスがないというだけ

    中村ゆきつぐ

    07月27日 08:26

  8. 8

    上司も部下も知っておきたい 「1on1」を機能させるためのコツ

    ミナベトモミ

    07月28日 12:00

  9. 9

    立憲民主党・本多平直議員は「詰腹」を切らされたのか?近代政党のガバナンスにおける危機感

    音喜多 駿(参議院議員 / 東京都選挙区)

    07月28日 09:53

  10. 10

    西村大臣の酒類販売事業者への要請撤回 首相官邸の独断に官僚からも疑問の声

    舛添要一

    07月28日 08:34

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。