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親が教師のかわりに教えることと、親子のソーシャルディスタンス

今が人生でいちばんハッピーなんじゃ。|こゆるぎさん|note

リンク先のnoteには、在宅勤務になって子どもと過ごす時間が増え、コミュニケーションがたくさんできるようになった喜びが記されている。こうした在宅勤務がなくなって元の勤務体制が戻ってくるのか、それとも在宅勤務が一般化していくのかは、わからない。

でも、学校はもうじき再開されるだろうから、こんな風に親子が一緒に過ごす時間は稀になっていくのかもしれない。

私は在宅勤務ではないので、子どもと一緒に過ごす時間が圧倒的に増えたわけではなかった。それでも、学校や習い事が休みになり、外出や出張も減ったおかげで子どもと過ごす時間はだいぶ増えたと思う。

学校や習い事や出張が減って再認識したのだけど、現代の(核)家族は、普段、一緒に住んでいても時間や空間をあまり共有していないんだなと気づいた。寝泊りするのは同じ家でも、別々の時間割、別々のスケジュールに沿って暮らしている私たち。

なるほど現代人は、こうやって子ども時代から生活もプライバシーも個人化した individual として規律訓練されていくわけか。

親は親の時間、子は子の時間をセパレートして過ごすことが絶対必要不可欠な家庭にとって、今回のような、親子のソーシャルディスタンスが急変した状況は苦しいだろうなと思った。

それと授業の難しさ。

学校が授業をやってくれない間、私が子どもに授業をしようと頑張っているが、想像していた以上に難しい。

今まで、子どもに勉強を教えることはあっても、それは先生が教えてくれることの復習が中心だった。「先生があらかじめ教えてくれている」前提で「先生が出した課題に沿って」勉強を教えていた。

予習をしなければならない場合も、いずれ先生が教えてくれるから・学校できっちりやってくれるからという期待があった。

ところが今年の3月からこのかた、学校がいつ再開するのかもわからないまま教えなえればならなくなった。途中からは動画やzoomを活用することにもなったけれども、特に3月~4月はじめにかけてはほとんど独力でやるしかなかった。

前年度の三学期の終盤のカリキュラムと今年度の一学期の序盤のカリキュラムには、なかなか重要そうな内容も含まれていて、おろそかにしてはいけない雰囲気が漂っていた。せめて、重要そうな内容だけでも使いこなせるようになってもらいたかった。

子どもにとって何がわかりやすく、何がわかりにくいのか。

どこで躓きやすいのか、どこが応用をきかせやすいのか。

親と子どもは別の人間だから、わかりやすいところも、躓きやすいところもまちまちだ。もちろん、子どもそれぞれによって学習の手癖も違っている。そういう違いを意識しながら各教科を順番に教え、理解の程度もはかりながら進むのは骨のおれることだった。

教えている間、脳が酸素と糖分をすごい勢いで消費していると感じた。

どうやったら肌に吸い付くように理解してもらえるか?

どうやったら子どもの負担を最小化し、理解を最大化できるのか?

そういうノウハウの乏しさを、よくよく思い知ることになった。

教えていて、もうひとつ気づいたことがある。

自分が教師の代わりとして教えているつもりでも、子どもは親をまず親として認識する。

「うまく解けたね」「ここで見落としがあったみたいだ」「来週もう一度復習してみよう」といった言葉のひとつひとつを、子どもは教師からの言葉ではなく、親からの言葉として受け取る

少しニュアンスが欠落してしまうおそれを冒して言い換えると、親の一言一言から子どもは承認欲求や所属欲求を充たされたとか充たされないと感じ、そうした充足(や不充足)を親子関係の一部に組み込んでしまう、ということだ。

子どもが教師に褒められたり注意されたりしても、それは子どもと教師の関係のなかで起こることで、親子関係には直接的には影響を及ぼさない。

たとえば教師が子どもに「ここで見落としがあったみたいだ」「ここはまだわかってないみたいだな」と言ったとしても、それで直接的に親子関係に影響が及ぶわけではない。

でも、親が教師のかわりに教える場合、そうした一言一言が親子関係になんらかの影響を与えてしまう。親は、子どもにとってあくまで親だから、一言一言が与える影響は教師からのソレとは異なっていて、もちろん親子関係への影響も大きい。

だから授業をやっている最中に間違いを指摘したり注意をしたりするときには、いつも以上に注意深くならなければならないと感じた。

教師の存在意義は、教育のプロフェッショナルであるだけでなく、教えるプロセスについてまわる心理学的な困難を肩代わりしてくれる点にもあるわけか。

精神医療の世界では身内が身内を診るのは非常に難しいといわれ、身内の治療は第三者に委ねるのが一般的だけれど、教育の世界も、身内を身内が教えるのはあんまり楽ではないのかもしれない。

教えるという行為をとおして、親子関係や親子のソーシャルディスタンスも変わり得るとするなら、教育のプロフェッショナルとて、自分の子どもを教えるのは苦手というのは十分にあり得るだろうし、教師とよその子どもというソーシャルディスタンスのおかげで教師としての腕前を維持できている教師だっているんじゃないかと推察したりもした。

それでも実りの多い時間だった

それでも、冒頭リンク先でこゆるぎ岬さんがおっしゃっているように、親子で時間や空間を共有できたこの一時期は、滅多に経験できないものだった。子育てをやっている、いや、子どもと同じ時間を過ごしているという手ごたえを実感できて、いろいろなことを考えさせられた。

平日は仕事、休日は授業という状況で疲れた部分もあったとはいえ、お金ではなかなか買えない経験だったと思う。

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