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緊急事態宣言解除でも、“忙しさのV字回復”は目指さなくていい - 香山リカ

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この連載のテーマは「50代後半になってもいろいろ新しいことに挑戦できますよ!」なのだが、たまには新しくない話も書かせてもらおうと思う。私にとって新しくないこと、それは精神科医としての仕事である。1985年からやっているので、もう35年も続けている。考えられない。まだせいぜい10年くらい、という感覚だ。学生に「85年から……」と話して、「私が生まれるずっと前からですね」と言われて驚愕したことがあったが、計算してみればそうなる。

 

なぜ「せいぜい10年くらい」などと思うかといえば、ひとつには私が計画性のない人生を歩んでいるからであろうが、もうひとつの理由は精神医療の場では何年やっても「へえ、そうなのか」と新しく気づくことが多いからだ。今回の新型コロナウイルス感染症をめぐっても、精神科の診察室ではいろいろ発見があった。

誰もが思うのが、「感染の心配や自粛のストレスから、うつ病などがさらに悪化する人が多いでしょう」ということだろう。知人などのメールには必ず「精神科医もますます忙しいですね」などと記されていた。私も最初はそう思っていたし、実際に「感染が不安で仕方ありません」と涙ぐむ患者さんもいるにはいた。

ところが、そういう人ばかりではないのだ。

これは書き方によっては、実際にコロナ感染症やその影響で苦しむ人を傷つけかねないのでややためらわれるのだが、けっこうな割合の患者さんはそれまでの症状が緩和されているのである。

私たちの仕事には守秘義務が課せられているので、ここで実際の例を事細かに記すわけにはいかない。ただ、何人かの要素を組み合わせた架空の話ならよいだろう。ということで、以下は想像上のケースである。

Aさんは会社での激務に加えてのパワハラがきっかけでうつ病になり、結局、退職してしまった。治療によって症状は改善し、気持ちの整理もついて次の仕事に向けて動き出す時期に来ていたが、なかなか就職活動ができない。「またあんな会社だったら」と以前の記憶がよみがえり、二の足を踏んでしまうのだ。

私もAさんが診察室に来るたび、「どうですか。ハローワークには行きました?」などと就職活動について尋ねるようになっていた。Aさんは「すみません。それがまだ……」と言葉少なに答えて顔を伏せがちだった。

ところが、コロナの問題が始まってから、Aさんの口調が変わってきた。

「ハローワークはいま対面の相談が中止なんですよ。電話やメールというのもなんだし、落ち着いてからしようと思って。それに私の近所の病院でクラスターが発生したんです。まずは感染を防がないと就職どころの話じゃないですからね」

いつになく積極的に語るAさんに、私もうなずいて言った。

「その通りですね。先月までのAさん、ちょっと元気なくて体力も落ちているように見えました。そういう状況だと感染しやすいでしょうし、まずはよく食べて寝て、ちょっと運動して、感染しないからだを作るのが最優先ですね」

Aさんは、「わかりました。家でできる筋トレやヨガをがんばります。あと栄養バランスに気をつけた食事もしなくちゃ。最近は日付が変わるまえにベッドに入って、しっかり寝るようにはしてるんです」と、それまでにない自然な表情を見せたのだ。

私は、自分がいつの間にか「Aさんにとってとにかく早く仕事を見つけて働くのが治療のゴール」と思い込み、就職活動を始めるようにとプレッシャーをかけてきたことに気づいた。私だけではなく、家族や友人などもそうだっただろう。しかし、Aさんの心身はまだ仕事に戻れるほど回復していなかったのだ。それに、また働くとしても前のような激務を強いる企業などではなく、自分のペースでゆったり働けるところを時間をかけて探したい、と思っていたのだろう。

「仕事はまだ?」と迫る私やまわりの人たちに「もう少し待って」と言い返せないままのAさんは、今回のコロナの問題でいったん就職活動から解放されることになった。そして、「自分のからだを大切にする基本的な生活」を取り戻し、本来の元気を回復しつつある。コロナによって生じた状況が、「いまはまだ忙しく働きたくない」というAさんが言いたくても言えなかったことを、私をはじめまわりの人たちに伝えたかのようだった。またAさんも、自分の本当の気持ちに気づけたのではないか。

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