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- 2012年08月30日 09:00
被災者中心型の支援のかたちとは(1/2) 荻上チキ×永松伸吾×駒崎弘樹
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荻上 復興アリーナ・ローンチシンポジウム、第一部では、「被災者中心型の支援のかたちとは」と題して、関西大学社会安全学部准教授・永松伸吾さんと、NPO法人フローレンスの代表理事・駒崎弘樹さんと一緒に、「これからの支援のあり方」について考えていきたいと思います。
僕は物書きをしておりますが、震災以降、「こう復興すべき」といった大きな論評だけはすまいと思い、鳥の目というよりは虫の目、つまり被災地取材で見聞きしたものをベースに、人と人との話をつなげようと思いながら仕事を続けてきました。特に今は、成功した支援の事例と、失敗した支援の事例をケーススタディとして集めています。それが、「次の災害」に役立つのではないかと思っているからです。
僕らは、もっと有効な支援の方法をシェアしていけるのではないかと考えています。多くのNPOや団体が、今でもあちこちで有意義な活動を行なっています。その活動内容について、もっと情報発信もして欲しいと思う。ただ一点、その発信にはどうしてもバイアスがかかりがちであるとも感じています。というのも、当事者や支援者は、成功した事例を語りたがります。成果を誇り、寄付を募ることは重要ですから。しかし、失敗した事例が後世に伝えられないと、今後、同じ失敗が繰り返されてしまう可能性があります。だからこそ、支援の「失敗学」をシェアすることもまた、これからの減災研究の課題になるのではないかと思います。
今日は、研究者の永松さんと、NPO代表の駒崎さん、お二人が東日本大震災以降、どのような活動をされてきたのか、そして今後の減災のあり方についてどのようにお考えなのか、じっくり伺っていきたく思います。
防災研究を始めたきっかけ
荻上 永松さんはそもそも、どういった経緯で防災の研究を始められたのでしょうか。 永松 私の本来の専門分野は経済学や公共政策です。実は防災という学問体系はなく、いろいろな分野の方々が集まって、防災や復興について研究しているコミュニティがあるんです。私もそのコミュニティに属しています。私の年代はポスト阪神・淡路大震災世代と呼ばれています。もともと防災とは違った分野の研究を志して大阪大学大学院に進学しました。大学が被災地に近く、またちょうどその頃、神戸が震災からの経済復興で大変困難な時期に重なっていたこともあり、経済復興の研究を続けていくうちに、いつの間にか防災が研究対象になっていたんです。
荻上 防災の研究は、工学や建築学、社会学、経済学など様々な分野の知恵を横断的に活用する面があります。実際に、これまでの震災で得た教訓や防災研究の蓄積は活用されてきたのでしょうか。
永松 おそらく皆さんが思っている以上に、この国はそういった経験を活かすのが得意です。
例えば、今の都市計画の仕組みには、関東大震災での大火災の経験が活かされています。現在でも防災は、都市計画や建築の方々が一番熱心です。また阪神淡路大震災のときには、阪神高速道路が倒壊したことや多数の住宅が倒壊したこともあって、土木工学や建築といった分野で、防災の研究が盛んになりました。東日本大震災以降は社会科学分野での研究がより盛んになるのではないかと予想しています。
これまでの教訓は活かせたか
荻上 阪神淡路大震災は「ボランティア元年」と言われています。今回の東日本大震災では、「阪神淡路の教訓」というフレーズも多く聞かれました。そのなかで、「初期段階は、ボランティアに行かないほうがいい」という言説がよく聞かれました。実際僕も、「これは本当に正しいのだろうか」と思いつつ、同じような発言をラジオでしたことがあります。これは果たして良かったのだろうか。あるいは、「阪神淡路の教訓」は、どれほど機能していたのだろうか。永松さんはどのように評価していらっしゃいますか。
永松 阪神淡路大震災での教訓は、ちゃんと活かせていたと思います。
阪神淡路大震災では、数百万人規模のボランティアが被災地に入りました。しかし、みんながばらばらに集まったために、全体の力として活かしきれなかったところがあります。やはり素人が気持ちだけでボランティアに行ってもなかなかうまくいかないんですね。この経験から、「ボランティアコーディネート」という概念が生まれ、各市町村の社会福祉教育会を窓口として、ボランティアセンターが設立されるようにもなりました。
ただし「行ってはいけない」という言葉が、一人歩きしすぎてしまったところもあると思います。それは大いに反省すべきでしょう。
NPO法人フローレンスの活動紹介
荻上 続きまして、NPO法人フローレンス代表理事の駒崎さんの紹介をかねまして、何点かご質問させていただきます。NPO法人フローレンスは、震災前まではどのような活動をされてきたのでしょうか。駒崎 フローレンスは平時、例えば、発熱した子供が保育園に預かってもらえなかったときに代わりお預かりする病児保育、また保育園不足による待機児童問題を解消すべく、マイクロ保育園という新しいかたちの保育園を至るところに作ってきました。そして子育てと仕事をどのように両立させていくか、ソリューションを提供するといったこともしています。
荻上 主に保育に関する活動を行っていらっしゃるフローレンスですが、現在は震災復興に関する活動もされています。どういった経緯で活動を始められたのでしょうか。
駒崎 妻が福島県出身なのですが、彼女の実家も被災しました。ですから震災後は、我がこととして、「この先どうなるんだろう」という不安を感じていました。そうした気持ちを抱えていたので、なにかできないかと考え、事業として震災復興にトライしました。
荻上 具体的にどういった活動をされてきたのでしょうか。
駒崎 妻の友人が子育て世代でして、「怖くて子供が外で遊べない。外に出かけていいのかもわからない」といった話を耳にしていました。子どもにとって遊ぶことは生きることや学ぶこととほぼ一緒です。友達と遊ぶことでコミュニケーションの基礎を築いたり、「ごっこ遊び」で創造性が培われたり、遊ぶことでこころを育んでいくんです。
ですから、被災地で子供たちが安心して遊べない状況を聞いたときに本当に胸が痛みました。そこで、安心して子供たちが遊べるように、たまたま東京で運営していた屋内公園のノウハウを活かして、福島の郡山市にインドアパークを作りました。
他にも、福島から東京に避難してきた親御さんたち、特に母子が、右も左もわからない状況で仕事を探すのは大変です。どうしてもお子さんがいると動きにくくなってしまいます。そこで、一時保育を提供するといったサポートもしてきました。
また「希望のゼミ」といって、被災した中高生、特に貧困世帯の子供たちに対する学習支援も行っています。もともと貧困世帯の子供たちが、どうしても教育投資が少ないために、いい教育を受けることができず貧困になってしまう貧困の再生産に注目していました。そこでベネッセコーポレーションの力を借りて、850世帯の子供たちに進研ゼミを無償で提供しています。
義捐金と支援金の違いとは?
荻上 駒崎さんは今までのNPO活動を活かして、震災復興をされていらっしゃるんですね。東日本大震災では、様々なボランティア団体やNPO団体が活動していました。そのなかには、「あれはすごい」と話題になるような成功例もあれば、失敗例もあると思います。そうした事例を残すことが重要ですが、そもそも「良い支援」を支えるための方法である、義捐金と支援金の違いがなかなか浸透しきれていなかったという話も、寄付文化をまだまだ育てる余地があるという話もあります。そういった点についてどうお考えでしょうか。
駒崎 いま荻上さんがおっしゃった義捐金と支援金というテーマに関しては、NPO業界は敗北したと認識しています。 義捐金とは、被災者の方々に配るお金のこと、つまりお見舞金です。一方、支援金は、NPO団体や支援団体が活動するためのお金です。この違いが、日本ではまったく浸透していませんでした。NHKも、義捐金の募集はしていましたが支援金の募集はしていなかった。それもあって、義捐金はとにかくたくさん集まりましたが、支援金は思ったより集まりませんでした。もし義捐金と支援金の違いが浸透していたら、初動はもう少しよくなったはずだと、忸怩たる思いがあります。
荻上 NPOが震災直後に現地に駆け付けるとき、最初の活動費はどうしても持ち出しになります。その後も「良い支援」を続けていくためには、お金をかき集めるしかない。しかし、支援すればするほど貧乏になってしまうという状況では、ベストなソリューションを出し続けられなかったりもします。有限な支援金の奪い合い状況を少しでもマシにするため、支援活動をエンパワーメントしていく仕組みや、社会的な理解を深めていく方法が、今後必要になると思います。
流出する復興需要
荻上 研究者である永松さんとNPO代表の駒崎さんでは、活動のスタンスが違っていると思います。永松さんは、鳥瞰図的に、様々なケースをみて概念化や論文化することで、政策提言に結び付けていく。一方、駒崎さんは政策提言も行いながらではありますが、虫瞰図的、現場目線を重視しながら、なにがソリューションになるのか一生懸命探し、自ら実現していらっしゃいます。永松さんは震災以降、キャッシュ・フォー・ワークという概念を積極的に提唱していらっしゃいました。この概念についてご説明いただくとともに、その後の展開について、どのように評価しているのかをお聞かせください。
永松 私は今キャッシュ・フォー・ワーク・ジャパンという一般社団法人の代表理事をしています。
先ほども少しお話させていただきましたが、阪神淡路大震災の復興過程では、日本が平成金融危機に陥っていたことも相まって、神戸の経済復興は困難を極めていました。 みんなが意外に思ったことは、復興需要によって地域は潤うとだろうという期待が、ほとんど実現されなかったことです。それは建設業など復興需要による仕事が、東京や大阪などの他地域に持って行かれたためでした。被災地の失業率は、他地域にくらべて高く、仕事がない人が多かった。
荻上 復興需要も、大部分が他の地域に出て行ってしまったわけですよね。 永松 そうですね。9割くらいが、外に流れてしまいました。付加価値ベースでは7.7兆円くらいの復興需要がありましたが、地元に落ちたのは0.9兆円ほどです。
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永松伸吾氏
経済復興と早期復興の関係
荻上 ただ、他地域から腕まくりして来た企業も、単に金を奪いに来たのではなく、善意でやっているところもあるわけですよね。永松 そうなんです。そこが難しいところです。地元にお金おとすために、地元ですべてやるというのは必ずしも良くないんです。地元だけでは十分な供給能力がなく、道路や建物といったインフラがなかなか整備されないといったことにもなりかねない。そうした環境下での経済復興は不可能でしょう。地元主体でやることと、急いでやることは、ある程度がトレードオフの関係にあるんですね。
ただ私は、すべてがトレードオフなのだろうかという疑いを持っていました。なぜかというと、地元で人が余っている、仕事がなくて困っている人がいるならば、その人たちを使うことは決してマイナスにならないはずだと思ったんです。結局、他の地域に仕事をお願いするほうが、地元で人を探して仕事を提供するよりも手間が省ける。その調整がうまくいってないのではないかと感じていました。
2004年の中越地震のさいに、小千谷市で、弁当プロジェクトというしくみがありました。地震によって仕事がなくなってしまった飲食店の店主らが、小千谷市から受託を受けて、被災者に向けてお弁当を提供する活動がありました。店主らは従業員を解雇せずに済み、また被災者には出来立てのお弁当が提供できるという、win-winの仕組みです。この活動を知ったときに、これだ!と思いました。
ちょうどその頃、海外ではキャッシュ・フォー・ワークが流行っていました。キャッシュ・フォー・ワークとは、復興活動のさいに、被災者を雇用して働いてもらうことで、お金を払うということです。
荻上 読んで字のごとく、仕事にお金を、ということですよね。
永松 そうです。もともとは、フード・フォー・ワークと言って難民支援の手法でした。これはお金ではなく、仕事をした人に食糧を与えていました。これがキャッシュに変わって、途上国で行われるようになった。こういうやり方もありだなあと思いました。ただし日本と途上国では、仕事の種類が違います。途上国のように肉体労働で働ける人は日本にあまりいないでしょう。ですから多少のひねりが必要だとも思っていました。
今回、被災地に行ってみると、生産基盤がほぼ壊滅していました。最初は、小千谷市の弁当プロジェクトのようなものができればいいと想定していましたが、この状況では、元の仕事が戻るまでに相当長い時間がかかると思いました。ならば、それまでのあいだ、キャッシュ・フォー・ワークを日本に持ってこなくてはいけないと考え、自分のブログで情報を発信したところ、大きな反響があり、そうした活動の推進を政府などに訴えてきました。



