香川県のゲーム規制条例ですが、家族に立ち入るのは憲法違反?
違憲訴訟が提起されました。
「「香川県ゲーム規制条例は違憲」 地元高校生が提訴へ パブコメの問題も指摘」(弁護士ドットコム)
規制と言っても罰則はありません。それでも人権侵害だそうです。
その論拠とするところが、科学的根拠がないということだそうです。
「今年2月、国会で、音喜多駿議員が当時、検討段階だったこの条例について、「科学的根拠に基づかないのみならず、制定手続の適正の観点からも問題を抱えている」と指摘して、政府の見解を求めた。これに対し、政府は「政府として、ゲーム依存症の発症を防ぐためのゲーム時間の制限に係る有効性及び科学的根拠は承知していない」と答弁している。」
科学的に解明されていないということです。それは当たり前でしょう。
しかし、この理屈で言ってしまえば、科学的根拠が解明されるまで規制すること自体がまかりならんということになります。
他方で、ゲーム依存は、WHOでは既に病気として認定されています。こうした状況は特定の子がなるわけではなく、どの子もなり得るということです(←ここが大事)。ギャンブル依存症と全く同じです。大人であれば自己責任で片付けることができたとしても、何故、子のゲーム依存に対して放任になれるのか本当に不思議です。
ゲーム依存は問題であり、その脳の仕組みまで科学的な解明まで待っていたら手遅れになるのははっきりしています。
科学的に解明できていないということと、ゲーム依存が何を引き起こすのかということは別であり、意図的にすり替えている悪質性があります。
地球温暖化の議論と全く同じなのです。
「家庭での子のスマホ利用制限の違憲論は短絡的 子の観点が全く欠落してしまっている 子のゲーム漬けはネグレクトそのもの」
しかも、基本的人権の侵害だという主張に至ってはげんなりさせられます。
ゲームで遊ぶことが基本的人権ですか。これもあれも人権というのと同じで、それでは人権がインフレ現象を引き起こします。基本的人権の価値が低下していくということです。
自分はちゃんとコントロールできている、という主張も滑稽というか、傲慢そのものです。自己責任論者に多い主張ですが、それができない子(子のゲーム依存は絶対に自己責任ではない!)に対する冷たい、冷たい切り捨て論でしかなく、人格を表していると言ってもよいと思います。
家庭の問題に解消できるものではなく、子どもたちをどうしたら依存症に陥らせないで健全に育ていけるのかということこそ一番、大切なことです。
家族で話し合うことが大事?
大事ですよ。
その一般論とそれができていない家庭をどうするのかということ、要は、その犠牲になるのは子だということが全く理解できない言い方には寒々とさせられます。
できない家庭が決して少なくないんですよ。だからどの子でもなり得るからこそ、WHOは警笛を鳴らしたわけです。
「家族で話し合うことが大事」なんていう脳天気なことを言っていることには「幸せなんですね」とでも言っておきます。
ところで、香川県条例では、パブコメのあり方までもがやり玉に挙げられています。
「県議会がこの条例について可決される直前に県民から募ったパブリックコメントにも、問題があるという。条例に賛成多数とされたパブリックコメントをめぐっては、当初県議にも全文が公開されなかったほか、「賛成」の意見の多くが同じ文言であり、意図的に水増しされた可能性が指摘されている。」(前掲弁護士ドットコム)
パブコメ自体は参考意見に過ぎないんですよ。そもそもの位置付けを誤解しているというのか、何もわかっていないというか、賛成が多い、少ないの問題ではなく、その中でどのような意見が述べられているのかという内容の問題です。
大量に同じ文言で投稿されるなんていうのは、この香川県条例に限った話ではなく、業界を動員するとか、数だけでいえば以前からそういった問題はありました。
要は、パブコメというのは広く一般から意見を聞いたという体裁を整えるためのもの過ぎず、それ以上のものではありません。
それこそパブコメは住民投票じゃないんですよ。それくらいわかりましょうね。