- 2020年05月14日 16:17
独「ロックダウン緩和」に「慎重」メルケル首相vs.「推進」各州首相 - 熊谷徹
1/2「我々ドイツ人は、新型コロナウイルスとの戦いの最初の段階を乗り切ることに成功した。感染者数の伸びを以前に比べて抑え、重症者数が医療機関の限界を超える事態を避けることができた。このため、我々は少し勇気を出して、前に進むことができる」
アンゲラ・メルケル独首相は5月6日午後、16の州政府の首相たちとのビデオ会議の後、こう言って主要先進国の中で最初のロックダウンの大幅な緩和策を打ち出した。
ブンデスリーガも再開
現在は面積が800平方メートル以下の店と自動車・自転車・書籍販売店だけが営業を許されているが、今後は客、店員のマスク着用義務や最低1.5メートルの距離を保つという条件の下で、全ての商店の営業が許される。ニーダーザクセン州やバイエルン州など4つの州では、今月末までにレストランやホテルの営業が再開される。ただし、これらもマスク着用や最低限の距離に関する義務の順守が条件だ。
一部の州が他州よりも早くロックダウンを緩和できる理由は、ドイツが連邦制を取っているからだ。連邦政府は国全体の防疫政策の方向性を決めるが、感染症防止法の執行権限は州政府の首相が握っている。彼らの権限は、日本の県知事よりもはるかに大きい。ドイツ人たちは、ナチスの時代に権力を中央政府に集中させて失敗した経験を持っているので、地方分権を非常に重視している。
3月23日以来続いている接触・外出制限令は6月5日まで継続されるが、中身は大幅に緩和される。これまでは家族を除き2人以上が集ったり、一緒に外出したりすることは禁じられていた。だが今後は、2世帯の市民が一緒に食事をしたり、出かけたりすることが許される。つまり2組の夫婦が一緒に散歩することが、7週間ぶりに可能になった。
現在ドイツでは全ての学校や託児所が閉鎖されているが、夏休みまでに子どもたちが、少なくとも1度は学校などに戻れるようになる。さらに高齢者介護施設に住んでいる親類を訪問することも、許される。
児童公園、博物館、動物園、理髪店、教会のミサなどは、首相の発表に先立つ5月4日から再開された。屋外での集会も、参加者が50人までならば開催できる。
参加者が身体を接触させないスポーツも許される他、プロ・サッカー(ブンデスリーガ)も5月後半から観客なしで試合を再開できる。
全体として見ると、わずか1カ月前には考えられなかったほど、踏み込んだ緩和策である。
人間の不安に「4週間ルール」
連邦政府と州政府が、大幅緩和に踏み切る最大の理由は、ドイツが今のところ感染者の増加速度を遅くすることに成功しているからだ。
1人の感染者が何人に感染させるかを示す実効再生産数(R)は、3月の最初の週には3を超えていたが、5月6日には0.65まで下がった。ドイツは毎日約5万人に対しPCR検査を実施している。3月、4月には感染者数が毎日2000~3000人ずつ増えていた。だが5月に入ってからは、1日あたりの感染者増加数が1000人を割る日も目立ってきた。
メルケル首相は先述したビデオ会議後に、
「感染拡大のスピードが下がったのは、大半の国民が規則を守ったためだ。そして保健所職員たちがウイルス検査や感染経路の割り出しに尽力したためだ」
とも述べ、市民と保健当局に対して感謝の意を表わした。
実際、大半のドイツ市民は理性的に行動した。大半の市民は、3月23日に政府が厳しい罰則付きの接触・外出制限令を施行する1週間前から、自発的に外出を控えるようになった。あるウイルス学者は、
「3月15日頃には、ベルリンの繁華街でもすでに人通りが激減していた」
と証言する。
その理由は、3月中旬に、
〈イタリア北部やフランス東部の病院に重症者が殺到し、医療体制を崩壊させた。医師たちはどの患者を集中治療室に受け入れるかについて、選別を余儀なくされている〉
というニュースが流れたからだ。
麻酔で眠らされ、気管に人工呼吸器のパイプを差し込まれた患者がベッドにずらりと並んでいたり、空きベッドがないので、床に敷いたマットレスに重症患者が寝かされていたりする映像は、ドイツ人たちに強いショックを与えた。多くの人々が、「イタリアのような状態がドイツで起きないように、外出や接触を控えなくては」と感じた。
このためメルケル政権の接触・外出制限令は、3月後半には国民に強く支持された。4月2日に公共放送局『ARD』が発表した世論調査によると、回答者の93%が、「接触・外出制限令に賛成だ」と答えた。また63%が「政府の仕事ぶりに満足している」と答えている。
これは『ARD』がこの世論調査を始めてから、最高の数字だ。「強い不安感」がドイツ人たちをメルケル首相の下に結束させたのだ。
だが、不安は永遠には続かない。ゲッティンゲン大学の精神科医ボルビン・バンデロウ教授によると、人間の不安については「4週間ルール」という原則があるという。
大規模なテロや戦争、疫病の大流行などが起きると、人々は強い不安を抱き、まず食料の買いだめなどに走る。これは石器時代以来、人間の深層意識の中に組み込まれている、不安に対する反射的な自己防御行動である。
ドイツでも3月初めから中旬にかけては、保存がきく食品やトイレットペーパーが売り切れになった。そして市民は、強い指導者の下に固まって、身を守ろうとする。2015年の難民危機以来、低下していたメルケル首相に対する支持率が、コロナ危機が始まってから大幅に高まったのは、そのためだ。
しかし、人間の不安は4週間経つと弱まる。5月の第1週の時点では、食料品やトイレットペーパーの買いだめは収まっており、人々の間では「通常の生活」に対する願望が強くなり始めている。
約1000万人の就業者が自宅待機
実際に、世論調査結果が示したメルケル政権への高い支持率とは裏腹に、コロナ対策の模範国と呼ばれたドイツでも、世論に亀裂が入り始めている。そのことに対するメルケル首相の危惧は、5月6日の記者会見での言葉の端々に感じられた。
たとえば首相は、「これからも警戒を怠ってはならない」とか「コントロールを失ってはならない」という言葉をしばしば使った。そして、
「新型コロナが根絶されたわけではないので、緩和後も慎重に行動しなくてはならない」
という姿勢をはっきり示した。
実はメルケル首相は、迅速な緩和には前向きではなかった。元物理学者である彼女は、国立感染症研究機関ロベルト・コッホ研究所の専門家たちの意見を尊重することで知られている。4月中旬には、
「我々は感染者の増加速度を抑えることに成功しているが、もしも慌てて緩和したら、せっかくの成果が水の泡になってしまう」
と述べ、拙速を戒めていた。
だが一部の州首相たちは、4月の最後の週以降、迅速な緩和を求め始めていた。
その急先鋒は、ドイツで最も人口が多いノルトライン・ヴェストファーレン州のアルミン・ラシェット首相である。メルケル首相と同じく「キリスト教民主同盟(CDU)」に属するラシェット州首相は、4月14日には、
「これまで行われてきたような完全なロックダウンは、経済に大きな損害を与える。封鎖措置を段階的に緩和していくべきだ」
と述べ、連邦政府に迅速に出口戦略を提示するよう強く求めた。また彼は、
「ウイルス学者の意見は、ころころ変わるではないか」
と述べ、連邦政府が科学者の意見を偏重することについても反対する姿勢を示した。
実際ロックダウンは、ドイツ経済にとって大きな打撃となりつつある。「ドイツ小売業協会(HDE)」によると、食料品を除いて、営業禁止措置のために小売店業界が1日ごとに失う売上高は、11億5000万ユーロ(1380億円)に達していた。
「ドイツ商工会議所(DIHK)」が4月3日に発表したアンケート結果では、ドイツの企業・事業所の43%で業務が完全に停止しており、飲食店の91%、旅行関連企業の82%が全く営業していなかった。「ホテル・飲食業連合会(DEHOGA)」は、
「4月末までに、100億ユーロ(1兆2000億円)の売上額が失われる。このままでは、会員企業の3分の1に相当する約7万の企業や飲食店が倒産するだろう」
と警告していた。
経済活動の停止は、地方自治体の財政にも大きな影を落とした。5月5日にドイツ地方自治体会議は、
「営業税からの歳入が200億ユーロ(2兆4000億円)減る」
という厳しい見通しを明らかにしていた。
現在、ドイツ企業約75万社で、約1000万人の就業者がコロナ不況によって自宅待機を強いられ、最大で給料の減額分の80%(子どもがいる家庭では87%)を政府によって支払われている。企業が従業員に対して、一時的な労働時間短縮を求めた場合に補償されるこの制度は、「短時間労働(クルツアルバイト)」と呼ばれ、失業者の急増を防ぐのに一役買っているが、制度の適用者の数は2009年の金融危機の時の3倍に達する。
ペーター・アルトマイヤー経済エネルギー大臣は、4月29日に、
「ドイツの今年の国内総生産は6.3%減少し、第2次世界大戦後最悪の景気後退になる」
という予測を発表している。私もあちこちで、「一体いつになったら仕事を再開できるのか」とか「これからどうなるのか」という自営業者らの声を耳にする。人々の間で不満は沸々と高まっている。



