休校で失われた学生生活を取り戻したい。そのような高校生の思いから始まった「9月入学」の議論が、大きな広がりを見せている。4月29日には全国知事会でもこの問題がとりあげられ、各知事からさまざまな意見が表明された。
新型コロナの感染拡大の影響で小中学校や高校の授業と行事にはさまざまな支障が生じているから、その対策として「9月入学」「9月始業」を検討することには十分な意義がある。もっとも、「9月入学がグローバルスタンダード」といった情緒的な反応をもとにこの問題を語ることには慎重でなくてはならない。
教育行政の責任者の思いつきと思い込みから始まった大学入試改革が、文部科学省の制度設計上の不備もあって見事に企画倒れになってしまったことを想起すれば、このことは容易に理解されよう(共通テストへの英語民間試験の導入と国語・数学の記述式の出題が見送りになったのは半年前の出来事だ)。
そこで、本稿では「9月入学」の問題をめぐるこれまでの経過を踏まえ、現実的な視点からこの問題について論点整理を試みることとしたい。なお、用語の使用における混濁を避けるため、本稿では初等中等教育(小学校、中学校、高等学校、特別支援学校など)における学年歴の変更を「9月入学」、高等教育(大学・大学院)における学年歴の変更を「秋入学」と表記する形で以下の記述を進めていくこととする。
一般に「9月入学」は9月を入学時期とする文字通りの「9月入学」と、9月を始業の月(各学年の授業期間の開始月)とする「9月始業」の両方の意味で用いられているが、「9月入学・始業」とすると煩雑でかえっていずれの意味で用いられているかがわかりにくくなるため、以下では「9月入学」と表記することを基本とし、「9月始業」を意味する場合にはその都度適宜補足をする形で記述を行うこととしたい。
1.問題の所在
「9月入学」をめぐる議論のここまでの経過をながめていて不思議なのは、小中学校や高校の授業と行事の円滑な実施に支障が生じている(そのために十分な授業時間を確保するための対策が急務となっている)という現実の切実な問題が、いつの間にか「9月入学にすると日本への留学生が増える(あるいは、日本の学生が海外の大学に留学しやすくなる)」、「高等教育の国際化・多様化が進む」といった形で大学の「秋入学」の問題にすりかわっていることだ。
これはちょうど東京オリンピック・パラリンピックの暑さ対策の話が、いつの間にかサマータイムの話になり、サマータイム実施のメリット・デメリットをめぐって新聞やテレビで議論がなされていた2年前の夏を想起させる。
「オリンピックのマラソンを東京で実施するためにサマータイムの導入を」という議論が「あり」ということなら、「高等教育の国際化・多様化のために小中学校や高校の9月入学の実現を」という議論も「あり」なのかもしれないが、オリンピックのマラソンについて札幌での開催という現実的な対応がなされた経過を踏まえれば、高等教育の国際化・多様化という目的のためには大学の「秋入学」の実施という政策を割り当てるのが常識的な対応ということになるだろう。
高校の卒業の時期が3月でも8月でも「秋入学」、すなわち大学の入学や始業の時期を9月にすれば、「高等教育の国際化・多様化」のために大学の学年歴を変更するという措置は容易に実施できるからだ。つまり、小中高の「9月入学」と大学の「秋入学」の話は分けて議論すればよいということになる(さらにいえば「秋入学」は多くの大学の学部・学科において既に実施されている)。
高校の卒業(3月)と大学の入学(9月)の間に空白の期間が生じてしまうことが、「秋入学」の実施が見送られる原因となったことから、一部の識者の間ではこれを機に高校の卒業の時期を後ずれさせることで空白期間をなくし、「秋入学」への移行の障害をなくそうという意向もみられる。だが、これは新型コロナの感染拡大を奇貨として自らの意向にそった政策(「秋入学」への移行)を実現させようという発想であり、場合によっては火事場泥棒という批判をまねくおそれもある。
大きな災害に見舞われた局面では「この際だから」という理由をもってさまざまな提案がなされるが、それは「危機にかこつけて」自らの意向を通すという発想と紙一重であり、むしろこのような時だからこそ冷静で落ち着いた議論が求められる。
東日本大震災の時に「次の世代に負担を先送りすることなく、今を生きる世代全体で連帯し、負担の分かち合う」という趣旨で復興増税により確保された財源が、「創造的復興」や「活力ある日本の再生」という名の下で、山口県のゆるキャラのPR経費や東京スカイツリーの開業前イベントの経費に充てられてしまったことを踏まえれば、不思議な高揚感に浸らず冷静に物事を進めていくことの重要性が容易に理解されるだろう。
「サマータイム」のエピソードからはもうひとつ重要な示唆が得られる。サマータイムの実施が見送られたのは、その導入がコンピューターのシステム改修をはじめ経済活動と国民生活のさまざまな側面に影響をもたらし、それに伴って生じるコストがサマータイム実施のメリットを上回ると判断されたためであるが、このことは「9月入学」の検討に当たっても重要な留意点となる。
サマータイムの導入と同様に、「9月入学」の実施も単に5か月分スケジュールをずらせばよいという話ではなく、学校教育に関する制度だけを手直しすれば実施できるというものでもない(詳細は後述)。社会的に広範な広がりを持つシステムを、実際の運営を続けながら所定の期間のうちに新たなシステムにスムーズに切り替えなくてはならないという点では、この作業はかつての国鉄改革に匹敵する大事業となる。
これらのことを踏まえると、まず何よりも小中学校や高校の事情を第一に考えて「9月入学」に移行することの要否や得失を考え(大学の「秋入学」の都合でこの問題を語らない)、そのうえで「9月入学」に移行することが望ましいとなれば、それを具体的に実施するための課題を整理し、このような検討の状況を踏まえたうえで大学の「秋入学」の問題を考えるというのが、この問題を考えるうえでの筋道ということになる。
以下ではこの線に沿う形で、さまざまな論点について順をおってみていくこととしよう。