風が吹けば桶屋が儲かるというが、新型コロナウィルスが流行り、流通大手のAmazonやパソコン用カメラメーカーなどが儲かっているようである。「オンライン」はいつの間にか老若男女の合言葉になった。お仕事もだが、子どもの学習も、PTAミーティングも、大人の飲み会もオンライン。そこに「オンライン帰省」との言葉も出てきて、もはや訳が分からないところまできている。
世界的にウィズコロナとアフターコロナ時代に向け、新常識が生まれようとしている。日本も、心配になるほど、なんとなくの習慣から頑固なこだわりまでもリセットされようとしている。日本らしく独自の進化も見ていて楽しい。塾の授業をオンラインでやっている子どもを見ていると、授業開始と終わりにパソコン画面に向かって起立礼をしている姿を見た。元からの文化とオンライン文化が融合している。
新旧の共存が必ずしも上手くいくとは限らない。日本文化の代名詞の一つ、「ハンコ」がここに来て言わば足かせになっている。感染予防のための外出自粛を求められても、ハンコ押すために出勤せねばとの悩みが聞こえる。そこに経団連の会長の「ハンコはナンセンスで、デジタル時代にあわない」との発言が注目されている。日本もハンコは、電子署名や署名に切り替るのは時間の問題と言えよう。
元外国人として、日本文化として知り、取り入れ、楽しんだハンコがなくなっては寂しい。同時に、元外国人として、この際のハンコとセットで署名(サイン)の行方も気になる。実は、ほとんどの日本人は知らないが、外国人の場合は、日本でのハンコ使用は必ずしも必要ではない。現行法で、「外国人ノ署名捺印及無資力証明ニ関スル法律(明治32年3月10日法律第50号)によると、「法令ノ規定ニ依リ署名、捺印スヘキ場合ニ於テハ外国人ハ署名スルヲ以テ足ル」つまり、外国人は法令の規定によって捺印すべき場合、サイン(署名)のみで足りるとなっている。
私も実際には日本で拵えたハンコをいくつか持っている。ただ、サイン文化で育ち、周りの大人のサインを見よう見真似でつくった(周りのみんなもそうであるように)自分のサインが子ども時代からあったので、日本で長年外国人だった間、経験を積む意味においても書類などに署名(サイン)を試みたことがある。これがすんなりとはいかない。そこで気づく大事なことが一つある。日本では、署名=サイン(シグネチャ: signature)を同義で使っているが、世界の常識と日本の常識との間にズレがあるということ。合わせて日本におけるサインに対する信用のなさである。