- 2020年04月30日 13:42
上履きがないのが当たり前。たんぽぽ川村エミコさんの小中高の長すぎる“いじめ体験”と“別世界の作る”対処法
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小学生1年生から長年いじめられてきたというたんぽぽの川村エミコさん。
上履きがないのは当たり前。あだ名は「粘土」。靴の中に木工用ボンドがいっぱい入っていたことも...…。それでも、自分が好きなこと、夢中になれることを見つけて耐え抜いたそうです。そんな川村さんが、いじめをどう捉えていたのか、辛かった時期の心の支え、いじめている子、いじめられている子へのメッセージをたかまつななが伺いました。
https://www.youtube.com/watch?v=UqwKFTgWhP8&list=PLGIs2lskpIl1kYBQqTgOGBMe7Hl900JWD&index=3
いじめがはじまったのは小学校1年生。きっかけは先生のひと言

ーーーたんぽぽの川村エミコさんにお越しいただきました!
川村:どうも。小学生の頃のあだ名、粘土でした。川村です。
ーーー川村さんご自身もいじめられていた経験をお持ちなんですか?
川村:あります。小学生1年生のときは、うわばきが同じ場所に入っていたことがないです。今日はどこかな?って。靴の中に木工用ボンドがいっぱい入っていたことがあります。誰がいじめていたのかも、未だにわからないですね。
ーーーひどいですね...何か原因は何かあったんですか?
川村:すっごく暗かったっていうのもありますね。それから私、猫背だったんですよね。子どもにちょっかい出したり、いじったりする先生がいたのですが、その人に小学校の長い定規背中に入れられたんです。ちゃんと背筋伸ばしなさいって。それで定規が小学校のときに着ていた下着のスリップに引っかかって、ビヨーンて飛んだんです。それから先生や同級生から「ジャンプ台」って呼ばれるようになったのですが、多分それがいじめのきっかけだと思います。
ーーー先生もどうかしていますよね。
川村:盛り上げようとしたんでしょう。でも今まで誰がやったか追求しようとも思ったことないし、晒し者にしてやろうとも思ったことないです。
小学生のときの塾、転校先の中学校。ずっと続くいじめのループ

川村:学校だけではなく、塾でも仲間外れにされていて辛かったです。そんなとき、他の子のお母さんが私のいじめに気付いて、お母さんたちがいじめをしている娘さんたちを怒ったんです。そうしたらエスカレートしました。塾での時間が辛くなるわけですよ。
その後、中学のとき、横浜から少し田舎の三浦市に引っ越したんです。引っ越したタイミングが入学式だったんですよ。でも公立中学だったからA小学校出身、B小学校出身って集まっているじゃない。でも私は転入生。どちらの出身グループにも入れず、ポツンスタートなの。
ーーーきついですね。
川村:なので、この記事を親御さんが見ていたら、転校生はやっぱり転校生と分かるように引っ越しさせてほしいと思います。時期をずらして始業式3日後とかでいいです。あと、都会から来たので、勉強もちょっとできたんです。それが気に食わなかったようで、最初にあったいじめでは、バカ、死ね、アホとかいっぱい書いた紙が机の横にかけていた巾着袋に入っていました。すぐにやった子が分かったんですが、かわいそうだなと思って見ていました。けっこう大人な考え方でしたね。
「謝ってほしい」。相手に直接言ったことで、いじめがやんだこともあった

ーーーいじめている子のことをどう思いますか?
川村:すぐにやった子が分かることもありました。でもかわいそうだなと思って、いじめている人って。けっこう大人な考え方をしていました。だって無意味じゃないですか、いじめなんてなんにもならないし、死ぬとき後悔するのはお前だよって思うタチなんです。でも、謝ってほしいって言いに行きました、中1のとき。
ーーー相手はなんと言ったんですか?
川村:ごめんなさいと言いました。反省した感じはなかったけど、別に謝ってもらえばいいやって思っていたから、いいよって言ったら、変な苦虫を噛んだみたいな顔をしていました。
ーーーその後、いじめはなくなったんですか?
川村:なくなりました。
先生は助けてくれない。なぜか理不尽に叱られた経験も

ーーー友だちやまわりの大人は助けてくれなかったんですか?
川村:NHKの番組でも話しましたが、中学のとき、短歌を書くことになって、私がみんなの短歌を代わりに書かされたんですよ。そしたら先生にバレて、私が怒られたんです。国語の先生に「あいつらが死ねって言ったらお前は死ぬのか」っ言われて、「えっ」って。いや私、みんなに書かされたのに、断れなかったのにって……。
ーーーめちゃくちゃ理不尽ですね。
川村:理不尽だと思いました。立場って関係ないって思いました。先生・生徒と関係なく、いい人はいい人だし、人の気持ち考えられない人は考えられないと、そのとき学びました。
心の根っこにあった、「悪いことしていない」「ひとりで生きていく」という思い

ーーーそれにしても、川村さんは、本当に強い子だったのですね。
川村:私は、女子のよくあるAグループに行ったらBグループの悪口言う、Bグループ行ったらAグループの悪口言うみたいな、そういうのは嫌だったんです。だからそういう意味では強かったのかもしれないですね。それに、わたしは“悪いことしてないから”って思っていました。
ーーー何を心の拠りどころにしていたんですか?小学校1年生からいじめられているって相当きついですよね。
川村:友だちと仲良くできたわけじゃないけど、お習字、水泳、ピアノと別の世界があることで気が紛れていたんだと思います、今、考えてみると。
ーーーコミュニティが複数あるのは、すごく大事ですよね。子どもって学校と家の往復ということが多いので、習い事があるのは大きいですね。
川村:学校だけが世界じゃないんだってことを分かっていたから、ちょっと楽だったっていうのはあるかもしれないですね。
ーーー学校での心の拠りどころは何かありましたか?
川村:休み時間とかはずっとノートに硬めの鉛筆で真っ黒に塗ったり、パラパラ漫画を描いたりしていました。それから、ストップウォッチが好きで、ストップウォッチで時間を測っていたり。チャイムが鳴ってから先生が教室まで来るまでの時間を測って、下二桁がゾロ目だったりとかしたら、よしみたいな。その当時の写真を見ると、笑ってないんだけど絶対ストップウォッチ着けたりするの。
ーーー学校に行きたくないとは思わなかったんですか?
川村:私はノート貸してって言うのも、見せてって言うのも嫌だった。だからマジで一生懸命通っていました。中学とか高校とか、遅刻はあったかもしれないけど、多分ほぼほぼ皆勤賞ですね。自分で生きていく、一人で生きていくみたいなのがすごく強くありました。だから強かったのかもしれない。
- たかまつなな
- お笑いジャーナリスト・株式会社 笑下村塾 取締役
1993年神奈川県横浜市生まれ。慶應義塾大学大学院政策メディア研究科、東京大学大学院情報学環教育部修了。フェリス女学院出身のお嬢様芸人としてデビューし、日本テレビ「ワラチャン!」優勝。また「朝まで生テレビ」「NHKスペシャル」などに出演し、若者へ政治意識の喚起を促す。
笑下村塾ホームページ
https://www.shoukasonjuku.com/



