新型コロナが、人間社会に与えたショックはあまりにも大きい。病気や生活に苦労されている方々に心から寄り添いたい。今回のコロナ禍で、新たに突然もたらされた苦労もあれば、元から存在していた格差や不安定な雇用慣行など構造的な問題が顕在化したということもある。
だが、現時点で普通の人間が出来ることは品格のある言動を行う以外は皆無である。逆にいうとこれほどまでに政治の力について考えさせられたことはない。政治には2つの課題がある。目下、補償を含む感染症対策の一点に集中すること。そして今回の騒ぎが落ち着きをみせた暁には、コロナショックを機に露呈された問題点などを真摯に束ね、より強くて、やさしいポスト・コロナ時代を創造することである。
政治への人びとの関心はこれほど高まったことはない。そんな日本の政治は、政治そのものの問題点を露わにした。「現金一律10万円給付」に至るプロセス一つを辿ってもそのことが言える。これは、遡ること1ヶ月ほど前から野党(国民民主党)から出ていた案であった。同様な意見の自民党の若手議員などもいたが、自民党幹部が聞き入れられる気配はなかった。結局、選挙の協力関係のある公明党からの一言で「現金一律10万円給付」が決まったのである。今の日本の政治は、「選挙のための政治、政治のための政治」であることを曝け出したようなものである。
アジアではじめてノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センが、社会の豊かさを判断する基準の一つに選択肢の有無を上げている。その点、日本の政治をみて国民がもっとも不幸だと思うのはなかなか政権交代が起きないことである。二大政権が交互に政権運営を担うことにより社会の質が高まる。何より政治や政治家の緊張感を高めることにより結果として国民にとってのサービス向上が期待できる。かつて中選挙区制において、擬似政権交代は起こったが、小選挙区制に移行してからは選択肢が増えるどころか、自民党政治における単一化、画一化ばかりが進んだ。擬似政権交代にもは期待できない以上、社会を豊かにするためにも政権の選択肢に期待したい。
今回のコロナショック、病気の恐怖や生活不案を気にしなくてもよければ、考えようによっては愛する者や家族などと共に過ごせるということは有難いが、限られた空間に拘束され、人びとのストレスは確実に蓄積されている。だが、我が家を見渡しても地元の教育委員会が始めたテレビでの授業を受け、塾はオンライン授業になり、勉強が終わると、子供たちは友だちとそれこそオンラインゲームで盛り上がっている。もちろん何もかもオンラインになれば良いとも、万能だとも思わない。だがポスト・コロナ時代に向けてすでに始まった未来の足音が聞こえだしていることは確かである。
※Yahoo!ニュースからの転載