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- 2012年08月15日 11:24
サラリーマンは” オワコン”なんかじゃない~オバタカズユキ×常見陽平×古市憲寿・三世代鼎談後編~
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鼎談の様子(撮影:野原誠治) 写真一覧
前編はこちら→「ノマド」ってバブル期の「脱サラ・フリーター」と何が違うの?~オバタカズユキ×常見陽平×古市憲寿・三世代鼎談前編~
対談場所:ソーシャルアパートメント麻布十番
“サラリーマン的ではない生き方”としての「ギョーカイ」
―バブルの頃というのは、「自分の腕1本で食っていく」というようなフリーランスの若者が注目されるということがあったのでしょうか?
オバタ:ないですね。バブルの頃は、いわゆる「ギョーカイ」の一員になることが憧れだった。
常見:「ギョーカイ」という言葉は、それこそとんねるずの歌とかにも出てきたし、「ギョーカイっぽい」という言葉が流行っていた。あとは結局今も昔も、秋元康。
オバタ:あともうちょいハイセンスな層には糸井重里。
常見:結局、秋元、糸井の手の上で踊っている。
古市:いわゆる「ギョーカイ」という世界観は、いつまであったんですか?
オバタ:結構続いたと思うけど、特定するのは難しいねえ。
古市:テレビ視聴率は90年代まで結構好調でしたよね。
オバタ:たぶん00年代に入ってから「ギョーカイ」が昔話になったんじゃないかな。ただ、就職人気だと、新聞社は下がったけど、他はそんなに下がってない。
常見:就職人気ランキングは出す会社によって違うけど、新聞はともかくなんだかんだいっても、集英社は入ってくるし、TV局も20位以内には入っている。電通・博報堂も下手したら10位以内に入っている。まあ、人気企業ランキングは就活が始まったbかりの学生が選ぶもので、昔も今もいい加減なのですが。
古市:それは「ギョーカイ」への憧れとは違う気がするんですけど。
オバタ:かつて「ギョーカイ」は、そこに入ったら宝くじに当たったというようなものでしたね。実際千倍ぐらい倍率あるし。内定取れたら一生もんの資産を得たみたいな、それに近い感覚ですよ。
文化としての「ギョーカイ」っていうのはちょっと変質していて、そのインパクトが00年代以降、急速に弱まったとは思います。それ以前は、「ギョーカイ」が、サラリーマンと対峙することができた世界だったんですよ。いわゆる「サラリーマンじゃない生き方」が出来るのが「ギョーカイ」だった。
古市:「ギョーカイ」とサラリーマンという対比があったと。
オバタ:「ギョーカイ」ってサラリーマンじゃない生き方なんですよ。午後から出社してもいい。スーツ着なくていい。ノルマに縛られるほどでもない。だから、代理店でもクリエイティブが志望多くて、営業はそんなに人気もない。
常見:今ではそういうことないですよね。
オバタ:そこが変わったの。
古市:それこそ「ノマド」的な働き方と言っても良いかもいいかしれない。
常見:「普通のサラリーマンになりたくない」といった時に、「企業かノマドか」といったノリで、当時は「ギョーカイ」というものがあった。
オバタ:「企業かノマドか」というような文脈で言えば、当時はアパレルとかも「ギョーカイ」に入った。不動産バブルだったから、個人店を出すにはかなりの資金が必要だった。そうした資金を融資する装置が日本にはなかった。結果として、自営業としての「ノマド」的な働き方は困難になって、「ギョーカイ」に集中した。
俺は企業に就職したくなかった人間なんですよ。そういう生き方のヒントになるような本を高校生ぐらいから、ずっと探していたけど本当になくて、唯一レイモンド・マンゴーの『就職しないで生きるには』があった。これは1981年に出て、コンスタントに重刷りされ続け、現在も改訂版がでている超ロングセラー。
ところが読めばびっくりで、とてつもなく役立たない。これは、カリフォルニアのヒッピーでベトナムの反戦運動をやってた奴が社会からドロップアウトして、それでも自分たちが食っていくにはどうしたらいいかっていう自分探しの本なんです。西海岸カルチャーみたいなものを知ることにおいては有用な文献かもしれないけど、日本のバブル期において、「会社人間はヤダ」と思っている奴には何の参考にもならない。でも、これしかなかった。
古市:当時、「脱サラ指南本」はあったけど、初めから「会社に属さないで生きる」という選択肢はなかった
オバタ:脱サラ向けのハウツー本はありましたね。でも、それはおじさん向けで、フランチャイジーの成功法がメイン。フランチャイズの草分けと言えるのは、「札幌どさん子」を出しているホッコクっていう会社。70年代の初頭から爆発的に増殖した飲食チェーンですけど、脱サラ店長はとても多かったはずです。
でも、それは団塊の世代以上の人生やり直し系でしかない。俺か俺より少し上の世代で、自我を肥大化させて勤めができない、もてあました自分をどうにかしたいという場合、リアルの世界に落とし込む言葉はなかった。
古市:『俺たちの旅』というドラマがありましたよね、1975年ぐらいに。あれもたぶん「プーで生きる」みたいなことがテーマだったんですけど。あれもリアルな感じではなかったんでしょうね。
オバタ:リアルだったのは『ふぞろいの林檎たち』。あれは、いわゆる「Fランク」の大学生を描くところから始まった。一方、社会適応できない東大卒も出てきて、彼は1人で謎の仕事をして、すごい高級マンションに住んでる。
ドラマの中で、柳沢慎吾は下請け商社を辞めて実家の中華屋を継ぎ、中井貴一が中堅どころの運送会社に勤める。それはすごくリアリティがあった。でも、東大卒の国広富之の暮らしや働きぶりにはリアリティがなかったんだよね。偏差値社会で押しつぶされている層はすごいリアルだったんだけれども、上の階層で自我をもてあましている層については、あの大脚本家・山田太一ですら描こうとして失敗していた。
―「いきなりフリーランス」といった選択肢も、以前より社会的認知度があると思います。常見さんは普段大学生と接していて、そうした部分をお感じになりますか。
常見:大学生の中で会社に入らない選択肢を選ぶ人は、偏差値で言うならば、よっぽど上の方か、あるいは下で、二極化しています。
採用担当者と話していると、8割ぐらいは基礎力があってポテンシャルが高い人たちを採る。残りの1~2割は「とがった層を捕りたい」と言っていて、NTTグループ、JRグループといった旧官営大手企業も実際に採用してるんですよ。でも、ここ5年ぐらいは、「面白い学生が就職マーケットに出てこなくなった」と多くの採用担当者が言っている。
オバタ:「とがった」って何を指しているの?
常見:大学時代に起業してましたとか、海外にインターンに行ってましたとか、NPOに参加してますとか。
古市:そういう人は、そもそも普通の就職活動をしないんじゃないですか?
常見:そのとおり。東大生の憧れをパターン化すると、最初はゴールドマンサックスやマッキンゼーなどで経験を積んでから20代後半でNPO立ち上げる、あるいは画期的な新事業やるという形ですね。確かに一部の人たちの間で、最初から企業にしがみつかずにやっていく、なんとなく就職競争に巻き込まれても、そのレールから外れていくという動きはある。ただそういった人たちって基本的に早慶とか上位校出身者です。もともと早慶って脱サラが多いですしね。




