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コロナ戦争とその後の設計

コロナちゃん、超巨大化してしまい、もはや「ちゃん付け」では呼べないくらいである。戦争状態だと思うし、すでに某コラムでも戦争との表現使った。ただ残念なことに、戦争状態の描写に関しては今日の日経新聞に先を越されてしまった。

ようやく日本でも緊急事態宣言が出される。待ちに待ったと言っていいのではないか。

これで思うのは、戦争において、とくに今回はウイルス側から仕掛けられた戦争であるだけに、指揮者(ボス)の適切な、それも迎撃の関する判断が重要となる。この点、日本の判断が、タイミングと手段において適切だったのかどうかが問われる。

具体的には、オリンピックにこだわらなかったのか。国民の生命よりも業者の儲けを大切に扱おうとしなかったのか。戦争に向けた準備(すでに戦争状態に入った諸外国からの情報収集、ウイルス検査=敵状の偵察、マスクなどの防衛手段や治療薬=武器の調達など)が万全だったのか。ボスに直接仕える幹部が積極的に意見を述べ、議論したのかどうかなどである。

以上についてはいろいろと書いてきたので繰り返さない。

戦争状態といえば、僕よりも少し前の世代(彼らの記憶に残っているとすれば、現在80歳前後以上の世代)が味わったアメリカ軍の空襲と、その恐怖は今回に近いのかもしれない。いつ空襲に遭遇し、死ぬかもしれないという恐怖である。もちろん常には感じないのだろうが、夜中に目覚めた時や、実際に空襲が近くであった(感染者が近くで出た)時に強く感じるだろう。

当時、都会に住んでいた子供は田舎に疎開した。山の師匠であるMさんは東京の下町から福島県の湯野上温泉近くに疎開したとか。当時、あまり興味がなかったので、それを聞いて「そうですか」程度の返事で終わったのだが、今となってはもう少し真剣に聞いておくべきだったと思う。

戦争とはいえ、田舎は平和だったようだ。両親が住んでいた奈良県天理市の郊外も平和だったと聞いている。当時は奈良盆地にも飛行場があって、その近くだったかに戦闘機が墜落したらしい。母親の弟がその部品の一部を拾った(拾いに行った)らしい。ある日、その部品(計器の磁石)を子供の僕にくれた。

父親がビルマ(ミャンマー)での捕虜の身分からから開放され、帰国するに際し、日本では米が不足しているだろうと思って米を土産に持って帰ったところ、父親の父親(つまり僕の爺さん)が「こんな不味い米が食えるか」と罵倒したとか。父親=息子(長男)が職を失って帰ってきたことに対して苛立っていたのだろうが、もう少し思いを馳せると、食料に困っていなかったことになる。

戦争にしろ、感染病にしろ、都市部に住んでいると危険である。望ましいのは地方に分散して住むことだろう。

コロナ後、テレワークの導入が本格化するだろうから、日本国民の地方大移住を計画してはどうだろうか。安くて広い家が持てる。自然環境も豊かである。テレワークで不十分なら、そう感じた時にだけ本社に出向いて会議に参加すればいい。まさに働き方、子育ての一大革命である。豚小屋みたいに狭い都市部の家に住む必然性は何もない。

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