記事
- 2012年08月12日 17:13
我々が現場を離れたら5・6号機も危ない、撤退する気は全くなかった。放射能の数値が高いなかヘロヘロで現場に向かう同僚は地獄の中の菩薩に見えた、と吉田東電前所長
昨日福島で行なわれたシンポジュウムに、東電の吉田前所長がビデオ出演するとのことなので、是非生の声を聞きたいと福島市の会場まで出かけた。
吉田前所長はビデオの冒頭、「福島県民の皆さまに多大なご迷惑をかけたことをお詫びいたします」と述べその上で心境を語った。
また今までマスコミのインタビューを断っていたのは、責任ある立場として政府事故調などの調査の妨げになってはならないと思っていました、調査が終わったのでと・・・語った。以下私のメモからです(文責土屋)
吉田・人間の命はかけがえがないので、直接管理する人間を除いて退避したが、我々現場にいた人間は撤退する気は全く持ってなかった。本店とのやりとりでも撤退とは言ってない。
吉田・われわれが現場を離れて注水できなくなれば、5・6号機もメルトするし、やがて第二原発も危機に陥る。そうなったら取り返しがつかない。絶対に撤退しない覚悟だった。
吉田・放射能の高いなか、満足な食事もなく十分寝ていない同僚が、ヘロヘロになりながら現場に飛び込んで行ってくれた、私は法華経を信じているので、地獄の中で地面から菩薩が湧いて来る(地湧菩薩)を見る思でした。
吉田・そういう人たちがいたから、ここまで持ってこれたのです。私はただ免震棟にいただけです。
(司会者)50人の現場の人たちに聞くと、吉田所長という精神的支柱があったから私たちはがんばれたといっています。
吉田・私は幸い4回赴任したので、50名の同僚の名前を全部知っていて名前で呼べました、昔から一緒に仕事をしてきた仲間です。唯々頭を下げるしかない。
(司会者)3回死を覚悟したと言いますが。
吉田・3月14日の3号機の爆発だった。今考えると当時は何が起こったのかよく分らなかったが、免震棟の屋根にガラガラ当たった。あれだけのガレキが飛んできたので、10人くらい死んでもおかしくなかった。全員の無事を確認するまで安心できなかった。
吉田・爆発に遭遇した自衛隊の方にはまことに申し訳ない気持だが、幸い人命に影響あるけがではなくてよかった、仏様のおかげだと思っている。
(司会者)免震棟のホワイトボードに全員の名前を書いておけ、墓標になるかもしれないと指示のことですが。
吉田・そうです今話したことは全て事故調、とりわけ政府事故調には全部話してありますが、しかし肉声が届かない思いがありました。(今回のビデオインタビューになった)
吉田・責任論もありますが、いかに発電所を安定化出来るか。世界の知恵を集めて安定化に向かえば・・。非常に残念な事故だったと思いますが世界の知恵を集めて次ぎ次ぎ技術を上げることが必要です。
吉田・東電社員であることを堂々と言える日が来ることが究極の目標。応援メッセージは山ほど寄せられました。世界中から来ました。免震棟のメンバーが救われました、日本国中、世界中からいただいて・・。
このインタビュアーは人材コンサルタントの薮原秀樹氏だが、昨年11月吉田氏に接触、免震棟に入ってもいいとの許可を受けて、1ヶ月に1回訪問計10回訪問してビデオ収録となったという。
ビデオ収録は2012年7月20日行なわれた。吉田氏は7月26日脳出血で緊急手術を受けた。吉田さんのご快癒をお祈りする。
吉田前所長はビデオの冒頭、「福島県民の皆さまに多大なご迷惑をかけたことをお詫びいたします」と述べその上で心境を語った。
また今までマスコミのインタビューを断っていたのは、責任ある立場として政府事故調などの調査の妨げになってはならないと思っていました、調査が終わったのでと・・・語った。以下私のメモからです(文責土屋)
吉田・人間の命はかけがえがないので、直接管理する人間を除いて退避したが、我々現場にいた人間は撤退する気は全く持ってなかった。本店とのやりとりでも撤退とは言ってない。
吉田・われわれが現場を離れて注水できなくなれば、5・6号機もメルトするし、やがて第二原発も危機に陥る。そうなったら取り返しがつかない。絶対に撤退しない覚悟だった。
吉田・放射能の高いなか、満足な食事もなく十分寝ていない同僚が、ヘロヘロになりながら現場に飛び込んで行ってくれた、私は法華経を信じているので、地獄の中で地面から菩薩が湧いて来る(地湧菩薩)を見る思でした。
吉田・そういう人たちがいたから、ここまで持ってこれたのです。私はただ免震棟にいただけです。
(司会者)50人の現場の人たちに聞くと、吉田所長という精神的支柱があったから私たちはがんばれたといっています。
吉田・私は幸い4回赴任したので、50名の同僚の名前を全部知っていて名前で呼べました、昔から一緒に仕事をしてきた仲間です。唯々頭を下げるしかない。
(司会者)3回死を覚悟したと言いますが。
吉田・3月14日の3号機の爆発だった。今考えると当時は何が起こったのかよく分らなかったが、免震棟の屋根にガラガラ当たった。あれだけのガレキが飛んできたので、10人くらい死んでもおかしくなかった。全員の無事を確認するまで安心できなかった。
吉田・爆発に遭遇した自衛隊の方にはまことに申し訳ない気持だが、幸い人命に影響あるけがではなくてよかった、仏様のおかげだと思っている。
(司会者)免震棟のホワイトボードに全員の名前を書いておけ、墓標になるかもしれないと指示のことですが。
吉田・そうです今話したことは全て事故調、とりわけ政府事故調には全部話してありますが、しかし肉声が届かない思いがありました。(今回のビデオインタビューになった)
吉田・責任論もありますが、いかに発電所を安定化出来るか。世界の知恵を集めて安定化に向かえば・・。非常に残念な事故だったと思いますが世界の知恵を集めて次ぎ次ぎ技術を上げることが必要です。
吉田・東電社員であることを堂々と言える日が来ることが究極の目標。応援メッセージは山ほど寄せられました。世界中から来ました。免震棟のメンバーが救われました、日本国中、世界中からいただいて・・。
このインタビュアーは人材コンサルタントの薮原秀樹氏だが、昨年11月吉田氏に接触、免震棟に入ってもいいとの許可を受けて、1ヶ月に1回訪問計10回訪問してビデオ収録となったという。
ビデオ収録は2012年7月20日行なわれた。吉田氏は7月26日脳出血で緊急手術を受けた。吉田さんのご快癒をお祈りする。